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日本の公園は快適?過剰掲示問題
 長期出張や転居でもしてない限り特に他国の生活を知ることはできないが、幼少期にテレビで見たアメリカの問題が日本でも現実化してきて思い出して何年か前に投稿している。アメリカの場合、注意書きは訴訟対策で日本企業もアホ相手に敗訴して巨額をふんだくられているため過剰どころか異様な注意書きが増えることとなった。取扱説明書など多国語で作られるから日本語版も変なのが出てきたのではないか?

 日本も子に対しての問題ではモンスターペアレントの激増によって正当な苦情とはかけ離れた“難癖”を付けられるようになり、いちいち反応して聞き入れてきたから逆に付け込まれて過激化の一途である...

 公園の砂場だって昔より今のほうが劇的に綺麗であるし、汚いとか言い出したらどこでも汚いと言えるわけで綺麗好きとは違う“潔癖症”という頭の病気をなんとかしないといけない。

 動画投稿サイトに公園で遊ぶ外国人の動画があって、そこは引っ越すまで幼少期に住んでた近くの場所が紹介されてたから見てすぐわかった。私が小さい頃はドブ川だったが徐々に整備され、宅地の下水道より工事しやすいから地下埋設され川沿いに何キロも公園になってた。東京だからそういうふうに人工自然を作るしかない。桜で有名な中目黒より上流を紹介したが、東京には元ドブ川の上を利用したところが多い。

 その公園だがアメリカだと注意書きだらけで何も許されないって話だ。勝手に遊ぶのは別として訴訟対策として禁止だらけってことでしょう。小川を渡る飛び石、登って遊ばれそうな石や展示物は危険視されるの間違えなし。日本でも保育園だか幼稚園で水深数センチで溺死なんて事故もあったくらいだから小川なんて立入禁止と書くでしょう。

 そうした“親水”公園は夏場は幼児のプールになっている。そういう風に作ったとは思えないが、入れるようにはなっているから自然とそうなったと思われる。親が放置して事故でも起きれば立入禁止だの日本中に波及する可能性が高いが、ほとんどの問題は利用者もしくは親(保護者)にあるのが指摘されず提供した役所の責任だけを追及するマスコミどもによって社会がおかしくなってきた。




・外国人の意見は自己中?

 一方、日本にやってきて相反することを言う。既にアメリカでは訴訟大国とは違った部分でも警告が染みついているのかもしれない。そもそもだが、小さい子、もしくは子供だけで遊んでいるなんて考えられないどころか、放置したって逮捕されちゃうような社会ですからね。

 日本だって確率的に事件事故には巻き込まれるでしょうが、低い確率がゆえにとで言うか大騒ぎになるため、固有の問題が日本中かのように思い込まされて社会が狂ってしまい、小さい子だろうがほぼ全員が携帯電話を持ったりする。それが精神的に未発達の子供社会で別の本題を誘発したことは言うまでもなかろう。外国みたいに親が学校に送迎しないといけない荒廃社会にする気なんだろうか?

 日本人には切腹のような遺伝子が残されているのか知らないが、自殺が多いのは自己完結や逃避ってことなのではないかと思う。最近じゃ日本も自己中が激増中だが、まだ欧米に比べたら集団主義があるところが救われてると思う。外国人に言いたいが、日本で自殺が多いっても、お前らの国で事件で殺されるのとどっちが多いのか!?それにアメリカの銃による自殺は多く、各国の犯罪も銃の所有率に比例している。毎度のことながらだが外国人の頭悪すぎ意見にはうんざりだ。


 外国人観光客は日本にやってきて英語(多国語)表記がないとか言うのだが、それにいちいち対処した結果が日本人として不便な生活である。前に出した例だと京浜急行線の電光掲示板が、日本語→英語→中国→ハングルってなるわけで、急いでるときの いらつき感は、たまったもんじゃない。日常的に使わない側にとっては、行き先や停車駅が変化するから確認の必要があるわけ。「つぎ」「こんど」はなくなったが、特急ナントカから各駅停車まで訳のわからない7~8種類は旧来の私鉄の問題。企業からすれば勝手なことも社会的 民主主義的には外国人優遇という差別なのがわからないのが日本人。表立ってする事ではない。

他国に来てるんだから不便は当然だって考える外国人は少数派に思える。
外国人が自己中だってのは我々が外国に行った場合はどうなのかを考えれば一発だ。

  おもてなし <> おせっかい
  親切 <> 迷惑
  便利 <> 別角度の不便

など。日本人はこれを正しく考えてない。相手のことを考えると言っておきながら、まどろっこしい、とか、押しつけがましいとか、一周しちゃって実は自己中なんだと大昔は日本の中心だったところの人種でよくわかることだね。

 日本人も自己中化している。除夜の鐘に苦情、盆踊りに苦情(東海市は無音ヘッドホン)だが、それはそのとき限りだ。連日のほうが容認されるって意味がわからなかったのが函館の早朝イカ売りである。元は拡声器は使ってなかったと言うから、朝5時からでは販売業者の自己中だ。昔は田舎で成立してたが、都市化して不成立。函館で文句言ってるやつもひと事(被害者)ではなく田舎の人間が都会にやってきて無秩序と化すのは口が酸っぱくなるほど語ってきたこと。


だれが最初に言ったか知らないが、理解してない証拠に昔からこういう言葉も聞く
「小さな親切、大きなお世話!」




・小さい頃にテレビ見たことが現実化して当方も問題提起したこと

 先日、伊豆新聞が「潮の響 過剰な注意書き」として書いており、2017年9月21日放送 フジテレビ「フルタチさん【気遣い・忖度・おもてなし…過剰なニッポン社会を徹底検証SP】」のことを取り上げていたが、番組で取り上げられたのが私が小さい頃に見たアメリカを扱っていた番組そのもので、スーパーマンのコスプレ衣装に「飛べません」だの「強くなれません」など書かれているのを扱って当時は日本ならそうならないと小馬鹿にしてたかもしれない。ところが徐々に伝染してきての今の日本。

 頭おかしいクレーム例をもうひとつ。生理用品で吸水力を示すためにCMで青い水を使うわけだが、そこで「私は青くないですけど」って、あたりめえぇだろーーって出川哲朗がやってるっぽく「お前はバカか」って言いたくなる話があった。だからって、どのメーカーも赤にはしてないからな。

 旅番組の入浴シーンでは「撮影のためタオルを使用しています」なんて書き始めた段階で、表示しなければならない理由から「お前ら、入浴ルールもしらないのか!」ってことでしょ。それには核家族化と自宅風呂の普及ってのが背景にあるが、状況の違いに対処できない人間を作り出したわけ。

今なら不謹慎狩りのバカ対策なんだが、
元々は状況の識別能力もない連中へ真似されないような警告であったであろう。


 同「フルタチさん」で扱われてた、店舗での“声かけしないでください印”も人間の質が落ちたことを示しており、空気が読めなくなったから客のほうに示してもらないといけなくなった。店主が区別付かないからって言ってたが、それは間違えで識別能力がなくなったからにすぎない。ベテラン店員なら可能だったが、技を得るでもなくマニュアル通りにしか動けないし、やっつけ仕事でいつまでいるかわからないアルバイトばかりになったことは日本として大きな損失である。

 日本の場合は訴訟対策よりも文句を付けられることを先回りした対策が多いのは“お客様は神様”が根強く残ってるため難癖にすら戦う気がないのだ。玩具のST基準からして「ここにビー玉があります」なんて頭おかしな記述をしなければならないなど何を意味するか、それは日本人がバカになったってことだ。

 加えてモンスターペアレントやら不条理なクレーマーなる精神障害をタブー視せず社会の将来を考えたら全力で潰しにかかる必要がある。特にお役所が動く基準が見えないのだが、大勢の苦情を無視し続けるが、たった一人の単なる難癖の苦情に対処したりする。面倒くさいから逃れるのは役所が大好きな公平性をも超えるってことなんだろう。

 役所や企業の対処の違いを分析するのは簡単、もはや社会教育をする気など毛頭なくなり、てめえらが責任を追及されることから逃げるなら何でもやるってことなのさ。前にも書いたじゃん 政治家も似たようなことするが何かと潰されるのだが役所であると外的責任逃れに関しては最強のプロだと。


私は改善点を知らしめるため正当な文句を言うよう心がけてたい。




 本題の注意書きとは違うが、走行中には読み取れない道路標識が多々あるばかりか、要所でも景観を崩すような立て標識(方向指示)がやたらとある。狭い熱海梅園にも恐ろしい数の案内板があって、改修前(2008年より前)は次々と後付けされたかのように同じ場所に何本も立ってた。既に昭和の温泉街の様相を捨て去ったから自業自得。

 外国人観光客が喜ぶ情景の高山(岐阜県)では景観を崩すようなことはしておらず多言語(別々に12カ国語)の小冊子が置いてある。草津温泉(群馬県)で近代的な店舗ができたりリゾートマンションが見えるとイメージが崩れてドン引きすることになるから観光地として日本人だって求めてない情景を崩すのは間違いに決まってるじゃないか。

下手に景観を崩すも無駄も大いなる損失だ。
| emisaki | 2017-10-01 Sun 22:18 | comments (0) | 生活::暮らしと社会問題 |
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