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ぶろぐん

今年もエスカレーター歩行禁止キャンペーン始まる
 エスカレーター歩行禁止キャンペーンとは言え地方都市のほうが数年前から問題にし始めたことである。ところが、こういう問題に限って知らなければいけない会社員が見ない時間帯のテレビ番組でばかり放送されてきた。
 キャンペーンは何年も前から始まっているのですが、テレビ離れに加えて道交法違反の暴走自転車と同じように学生や会社員が見るような番組で報道されないため浸透してないのが現実。夜のニュース番組は政治経済が最優先で不道徳者を減らすことには無関心のようだ。

 夕方のワイドショーにはローカル時間帯が何度かあり18時15分からが多い(局や地域によって違う)。旅ではワンセグやホテルでの視聴と単発的であったが、関西や中部では古くからの友達と長期的なやりとりがあったため地域的報道は地元並みに知っていたつもりだ。

 この問題が過去に東京で取り扱われてなかったのは「郷に入れば郷に従え」が多かったからと考えるが、時間(年月)の経過ととも地方出身者の子孫が都会人と勘違いしてきたことで、エスカレーターどころか列の並び方や道の歩き方もわからない連中によって事故が増えてきたからだと実際の行動を見ての結論だ。

他人が見ている前に平気で立ちはだかれる異常者が増えたことは過去に投稿した。

地方の田舎で問題がおきない理由は迷惑をかける対象者がいないだけ。

 都市部ではエセ都会人および旅行者が引っ張っぱりまわしてるキャリーバッグが他人の足をひくとか、進路妨害、落下事故などを起こしてる。誰にでもある うっかり とは違う能力の違いによって引き起こされる事故。同じようにエスカレーターでの歩き方がわからないから問題が大きくなった。

 事故の発端ですが、立ち止まってる人に荷物などが接触するからであるが、私にはどうしてそのような歩き方ができるのか不思議でならない。もちろん英国式として広まった世界標準とも言える行為。大勢がいる社会を知らない連中によって禁止されるのは頭にくる。

 名古屋に長くいたからではないが、多く旅してきて道路は東京より地方のほうが怖いと書いてきたように、いつでも人がいるという概念を潜在意識化に持っていたのなら起こさない行動なのだ。

 桁違いに長くいる東京に比べて、名古屋や大阪に行くと、自動車のクラクションは当たり前で、1度は揉め事を見るのだが、偶然で片付けるには確率が高すぎる。地域社会による性格形成、間違ったすり込みは恐ろしいものがある。

 その昔、今の中部か関西から江戸に多くの人が来たから性格は同じと感じるが、あっちはいまでも自分勝手が多いのに、なぜ江戸は道徳性を取り入れるようになったのか?狭い地域に人口が多かったからだろうか。東京都な時代だって庶民生活としては隣近所の隔たりも少なかったから、地方のほうがつながりなく排他的と感じてた側からすると、幼少期には東京人は冷たいってマスコミを賑わせた話が意味不明だった。

 近代移民の都市部居住者(東京人)が堕落および道徳を失った原因は、郷に従えないのではなく「郷に入れば」と思ってないことにある。カエルの子は(同じ)カエルになるとわかってれば学習もするでしょうが、都民=都会人 だと勘違いしているようでは今後も問題は増え続ける。

 NHKのお笑い投稿番組で、こんなカーナビいやだってお題で、何々県に入りましたって部分をもじって「(ピンポーン)田舎者が東京に入りました」ってのがありましたが、自覚してるほうが救いが残されてる。

 専門家が大部分は後天的だというのならば、都市生活不適合者に対して教育という対処をしなかったのが失敗。地方出身者ならば親が教育者になれるはずがない。ゆとり教育が騒がれる前、昔は存在していた道徳教育がなくなったのも原因の一つ。その結果が自覚症状なき不道徳者たちだろう。

 幼少期に連れまわされていたとしても特に教育された記憶もないが、体が勝手に動くかのよう混雑で人が入り乱れる中を、まるで量子コンピューターが答えを出すかのよう刻々と変わる状況下で的確なコースと速度を自動調整するのも後天的能力なんだろうか?ならば棋士名人とかイチローなどプロスポーツ選手に誰もが知らないうちになってるでしょう…現実、そんわけないから後天的ではない。学習自体は後天的でも学習に至るスイッチは先天的でないと現実に合致しない。

 歴史的に人口の多かった日本の都市だとしても、現在は先天的に都市生活者としての道徳的学習能力を持ってない人が大部分である以上、差を埋めるには幼少期からの教育が重要だってことです。ところが、これがなされてないのだから学業を教えたところで社会が腐敗してゆくのも当然。

 地方なら放置しても良いのではなく、地方こそ、誰かがいつでもいるという概念を持たせないと危ない。エスカレーター事故どころじゃなく、即刻生命に関わる無謀自動車運転手が多いのは東京じゃなく田舎のほうだ。東京が危ないのはそういう人たちがやってきて狭い路地でスピードを出すからだ。


順番が逆  歩行が悪いわけじゃない(機械としてどうのは別として)

 エスカレーター歩行禁止としているのは対処能力のない奴らが増えた結果的であって「臭いものに蓋」な間違った対処法。だから原因の解決には至らない。他人に配慮できる人間を育ててたなら問題は起きなかった。ラッシュアワーは昭和より少し緩和されたし東京の人口も劇的には増えてない。増えたのは世代交代による都市生活不適合者なのだ。

 エスカレーターを階段加速装置として使うには立体的大都市という社会において必要な行動であったが、上下移動距離が長いからと勝手に思い込み階段を作らなかったのは誰の仕業なのか? これで歩きたくても階段を歩けなくなった。文句があるなら階段を用意するのが先である。建築物のところでも書いたが都会を知らない奴らが近代東京を作ったり政治を行っている。

 東京でエスカレーターと言うと起伏の違いによるものがあり、地下深いより早くからあるのが地下鉄 千代田線 新御茶ノ水駅、東京駅地下ホームもだが、地下鉄を通す場所がなくなった最近のほうが地下深い駅が増えたが階段は用意されてない。前に書いたが私が知る路線で長いエスカレーターの横に階段があるのは永田町駅から赤坂見附駅への地下道。ほかは階段がないので歩くなと言われたら、のろのろ自動運搬されるしかないのだろうか。

エスカレーターが2つ以上あっても速度に違いはない

 私は地方に旅するとき、自己嫌悪に陥るのが嫌だから何かしでかすかもしれないと恥じないように心掛けてるのだが、逆方向の人たちはなぜ同じことができないのか?幼少期に山のほうで何気なく耳に入った「都会もんだから知らない」という言葉が効いていたかはわからないが、そのときは警告なのか馬鹿にされたのか判別できない年齢。馬鹿にしようがそれが警告につながったら本日ニュースにあった西伊豆町での電気柵の感電死亡事故も起きなかったのはないかと。過去にも避けられたはずの死亡事故ってよくある。近年は親族にすら口出しがなくなってるし、爺さん婆さんのほうが道徳を失っていたり、子を甘やかす。そして増えるのは、田舎でも迷惑、都会でも迷惑な、どこにも順応できない奴らばかりだ。

 NHKもOKだったから差別ではないので使うが、都会に巣食う田舎者は階段のどちらが上りで下りかはお分かりかな?書いてあるとかいう問題じゃなく(書いてあって守らない奴は論外)、右側通行とかいうのも関係なく、書いてなくても決まっているのだよ。これがわからない人は、あらゆる面で都会では迷惑者である。自転車に免許という話の前に大都会にも免許と違反取り締まりが必要なのかもしれません。

 歩きたいという自己中、荷物の置き場がないという自己中、これらの側面で語るから話にならないのだ。東京という大都会においては双方が認められるような状態にしなければならない。そして田舎者が都会のルールを決めるとベビーカーのよう自己中を増やすだけ。状況が違うのだから地域ごとにルールに違いがあるのは当然だ。


人口減少などにより都市への集中がなされている以上、
大多数の人が都市生活の本質を理解するまでは、今後も数多くの問題が発生するに違いない。

| emisaki | 23:23 | comments (0) | 生活::暮らしと社会問題 |
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