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マスメディアが触れぬ人間の地域性
旅をする上においても、生活する上においても気にとめておかなければならない。
これはタブーではなく、教育しなければいけないことだ!

 昨今の交通事故多発というか、不慮の事故でなく過失が多いことからマスメディアにて語られることが増え、先日も蒸発現象について語られましたが過去から個人的調査によるとある傾向がみられる。

 ちょっと適当だが蒸発現象を作ってみた。左側の状態のまま右側では電池が見えなくなっている。実際、夜間の車と自転車や人間なら逆からライトを当てたところで蒸発現象を避けることはできず見えなくなる。私たちは中学生の頃からわかっていたので、こぐのが重たくならないよう自転車としては高価で軽いダイナモ発電ライトを装備していた…。

 私の知る都会人は教育もされずに体験的にこれらの危険性を察知してるため、夜間に街灯があり明るいと感じるからといって自転車のライトを付けないなどいうバカな行為はしない。地方の人間には暗い夜道を照らすものらしいが、都会では自分がいることを知らせて危険を回避するためのものと全く意味が違う。だから街が明るくて自分が見えるからって自転車でライトを付けない人は「いなかもんです」という看板を背負って走っているようなもの。 点滅(道交法上は無灯火扱い)だけしてるのが増えたが、それでは判断が遅れるし、たまにいる前照灯が赤は進行方向を間違えるし違法だ。

 ある学者の経験は遺伝しないと聞いたことがあるが、ならば学習できる能力が遺伝するのだろう。個人的な調査では元から都会人と地方出身者の子孫では明らかに性能が違っていたし、積極的に親や学校で教育を受けた覚えなどないと言う。当然だが、道の歩き方、列の並び方、切符の買い方などなど学校で教える訳がない。そして必要とされる人間にこれが教育されてこなかった。


 危険性がわからないがゆえに、車両たる自転車での2人、3人乗り(親+子供)を要求したり、公共交通機関内でのベビーカーなる迷惑行為を認めされたりと都会のなんたるかが解らないのが増えて困った。「赤信号みんなで渡れば怖くない」のような要求を認めてきて恐ろしい結果となってきたことに行政は早く気づくべきだ。

 また、日常的な都会の混雑を知っていれば電車にリュックサックを背負ったまま乗るとか、電化製品のような大きな荷物を電車に持ち込むのすら空気が読めない証拠。ベビーカーは過去より存在し、過去のほうが子供が多かったが都市部においてそのような迷惑行為をする人はいなかった。今は、当たり前のようなツラして混雑車両に乗ってくる。

 役所や企業としての交通機関は大きな勘違いをしているのだが、使わないと危険ならば過去より事故が多発してきたはずだがそんな話はない。むしろ、なし崩しにベビーカー利用を認めたら事故が増えたのではないか!

そもそも車内でベビーカーを使うのは安全ではなく、親が楽したいだけの自己中心的な行為でしかない!
安全を盾に使わせろと言ってるだけ、都会的には言語道断、迷惑千万。

 そのようなのは歩いてるだけで迷惑だと感じるが、人混みとか列の並び方も指示しないとわからない事から読み取れる。昔なら複数の電話ボックス、今なら銀行のATMだが、なんで一列にならべないのか不思議でしょうがない。 駅の階段の「上り」か「下り」か書いてあっても無視、書いてないからと言って区別できないのがわからない。 そして、何十人もいる訳でもないのに番号札を配る理由がわからない。

 まず、銀行のATMとかだが都会人にはもともと「先に来た順」という考え方があるので、複数ある時は一列に並ぶのが当然であり、線を引かれるまでもない(空間的に並べない場所を除く)。次に駅の階段だが、乗車するには徐々に人がやってくるが、降車するのは一斉なので降りる側が広いのは当たり前のこと。

 子供の頃から日曜に床屋さんに行くと10人くらい待っているのだが番号札など存在せず順番は把握できてた。もちろん座り順などバラバラだし自分の前の順番などわかるはずもないが、誰が先にいたか、そして自分の後から来た人を把握できていた。

 よくテレビで私からしたら全然似てないと思う人を似てると称する人がでてくるが、過去より大勢の空間で生活してきた側と、そうでない生活環境の違いによる識別能力の差ではないかと考えるようになった。だから傾向として似てると言うことはあっても、双子でもあるまいし「劇似」なる言葉を使うことはまずない。大自然の中で暮らしてたら都会人にはできない山川海などの微妙な状況が読み取れるようなものではないか。イヌイット族には雪の降り方の言葉が22種類あると聞いたことがあるが、日本人に区別がつくはずもない。

生活環境による性能の違いを把握すべし!

 だからこそ安易には田舎者という言葉は使いたくない。だったら逆に都会者とも言われる迷惑もあるだろう。大きな問題は、性能の違いよりも「郷に入れば郷に従え」または違う状況での身の振る舞い方を知っていたら、どのような環境に変わっても迷惑者にはならないということだ。今の状況は、まるで宗教組織みたいだが別のところに行って自分の思想を他人に強要するようなものだ。ローカルな地域で通用しても都会で通用しない事を行使しているのが増えすぎた。

都市部への流入が多いため、不道徳な侵略者にしか見えない!

 私が問題視している多くは近代の地方出身の子孫で都会人と勘違いしている部類。だからこそ上記で語ってきたルール無視や性能差は新興住宅地での傾向が高いのではないか。これらがマスコミも騒がせる迷惑な人達であると考えられる。こうなってくると能力がないのか、単にモラルの低下や自己中なのか区別がつきにくくなる。


 さて話は自動車問題に戻るが、自分が旅行が多かったり、愛知県や北海道に何人も知り合いがいると性能以外にも「人間の性格」とやらが起因していることがわかる。前にも問題にしているが愛知県では交通機関の運転手がイライラしてるのを何度も目の当たりにし、市内の道は広すぎて混雑のうちにも入らない状況なのに延々とクラクションを鳴らしたりと、気の短い江戸っ子が異常と思う事態に遭遇する。

 同じく交通事故死でワーストを争ってきた北海道では過疎地域の道民から広くて病院が近くないから死に至る事が多いとか変な言い訳をされたが、秋葉原での無差別殺人事件後に東京では受け入れ拒否のたらい回しが多く都道府県別の平均搬送時間で長いことが判明してる。
 札幌市内を歩けばわかるがスピード出し過ぎなので病院搬送は関係ないでしょう。車両数と人口からしたら東京が最悪のはずだが、そうならず交通事故死件数ワーストを争う都道府県には理由があるはずだ。東京都市部は慢性的渋滞とスピードの出しにくい構造が減らせてると思ってるが、反面、都会を知らない奴らが多いため路地でスピードを出すなどして事故が減らない。

昨年、北海道がワースト1、2戦線から離脱した理由は何か?

  独立行政法人 統計センター

 都会の路地でスピード出し過ぎを田舎者と称するのも歴とした理由があり、夜中だろうと どこでも人がいる状況がわかってたら怖くてスピードなんて出せない。ここから読み取ると日頃から人がいないと思い込んでる地域のほうが怖い。関東では東京に続いて神奈川、千葉、埼玉と交通事故が多いのは必然で、車両と人口を勘案すると茨城県が最も危険だ。

 以前から地方の花火大会の帰り道で懐中電灯を使うのは、少人数となると車が歩行者がいることに気づかなくて怖いから。歩行者側には自分がいるのを伝える事しかできない。

 例外として人がいるのがわかっていても怖いのが関西であって、商店街にも平気で車が突っ込んでくる。なのに事故が抑えられているのは関西人の性能として歩行者が蜘蛛の子散らすように避けるためと思われる。関西の違法駐車のCMが取り扱われた事があるが、これまた性格的に大阪、兵庫の事故は多い。

 ヘッドホンステレオを聴きながらとか携帯端末を操作しながら歩く奴は都会人ではない。全ての感覚器官を使って歩いてても危ないのがわからないからで、雪山にTシャツで行くような感じ。歩行でも危険なのに自転車乗りながらや車で大音響なんて違法であるが感覚器官を遮蔽するのは最初から運転する資格がない。

 このように原発より恐ろしいものを把握しておかねば逃れることもできないでしょう。そして犯罪を防ぐにはルールを守らせること=小さな罪悪感を植え付けることなのだそうだ。これが成功して凶悪犯罪の低下つながった所もある。


追記: テレビ朝日「ナニコレ珍百景」にて新潟県の接骨院の順番待ちで最後の順番の人が「しゃもじ」を持つ順番を示すために次々と手渡すのが紹介されていた。私からしたら多くて数人しか待てない空間で憶えられないのが信じがたい。土地柄の能力の違いを証明している例ではないだろうか。
| emisaki | 19:34 | comments (0) | 大衆媒体::社会 |
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