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ぶろぐん

国道135号旧道(廃道)を想う
 ひょんなことから廃道を探索するページが見つかった。危険なのは自己責任として、どう考えても立入禁止な場所へ無断で侵入しているのは許し難い。そうした彼らの動きに価値があるとすれば既存の道でも時間経過(地形の変化)によって危険な道があるかもしれない事を教えていることだ。とりあえず侵入はひと事として、そこから得る道の危険性と物心付いた頃に通ったであろう記憶を思い出してみた。

 旧道・隧道のサイトはいくつも見つかるのだが廃道に関しては入れるところまでとなっており、無謀な侵入を試みてるサイトはおおむね2つでした。参考にした廃道のサイトのページは、「廃道 旧道 隧道 国道135号」で検索すればすぐに見つかるでしょう。国道135号としては宇佐美峠とトモロ岬(稲取)である。


 国道135号旧道で現役の道は多くある。更に古い道も民家へつながる道として存在してそうだ。幼稚園だか小学校低学年だかの頃には小田原から湯河原の間とか海岸の有料道路がつまんないのか、旧道のみならず地形に沿って通ってる民家の道を通るようねだったものだ。熱海から網代ではニューアカオのあるところは現役の旧道で、ここは自分でも最近通ってる。

 錦ヶ浦のトンネルができたのが生まれる前の話だから通る必要もないが、記憶にない頃にニューアカオにでも宿泊したことがあるのかもしれない。ここ一見、綺麗そうに見えるが30~40年前から建ってると思う。赤い屋根のホテルとか赤い場所の分譲マンションも古い番組の再放送に出てくるから相当古い。物件情報によると平成13年耐震補強とあるが元が旧耐震基準ですから地震が怖くなりますね。そんなことなら俺が生まる前からあるのに建て替えじゃなくリフォームで名前も変えて綺麗ぶってるホテルもあるからなぁ。東京タワーすごく古いか。

 網代から宇佐美の間の旧道より更に古い廃道、現役の灯台があるようだが自動車なんて通れるはずもなく危険度からしたら歩行者すら事実上の通行止め。そのサイトの該当ページタイトルは宇佐美峠なので本題はこれからだった。宇佐美の御石ヶ沢トンネルと新宇佐美トンネル前の旧道らしい。ここも立ち入れる状態にないが地図には通れるかのように載っている(車両は明確に通行止め)。

 くり抜いたトンネルではなく落石から守るようなトンネル状の建造物は記憶にある。同じ場所ではないけど昔は伊豆の海岸線の道路の各所でそんなふうだったと思う。前にもどこかに書いたような気がするが、国道135号線では落石とか土砂崩れで通行止めになった記憶があり、それで帰れなくなったときに網代の大成館の布団部屋に泊めてもらったのだった。後から聞かされたことで記憶にありません。新宇佐美トンネルが昭和61年完成じゃ、俺は旧道の時代だわ。何度も通行止めの記憶があるので、渋滞とかより危険性からトンネルにしたんじゃないかな。
 現地の人に尋ねればもっとよくわかると思うが、うちの年寄りにきくと、台風大雨で通行止めになることが多かったとか。旅の時期が台風と重なってたりで余計に記憶に残ってるのかもしれない。トンネル掘っても前後の道は変わらないから、近道にする以上に難があった場所なのでしょう。

 ふと思ったけど何で「伊豆」なんだ。さくっと検索では旧国名ね。私の疑問はそれじゃなく、なんで「伊」で「豆」だったんだが、それを言ったらきりがなかった。よく荒れ狂うから荒川とか、大きかったので大島とか日本中に何カ所もあるほど単純じゃないか。

 廃道のサイトで紹介されてるのに戻るが、稲取付近の旧国道。これは命に関わる場所がいくつもあり確実に立入禁止だ。昭和53年までバス道路だったというから近年のものすごい変わりよう。草なんかは数年で道をふさいでしまうかもしれないが、落石や崖崩れで道路がなくなっていたり、トンネルがふさがっていたりするからには30年くらいで変わってしまったのか。忘れてるけど、伊豆群発地震で伊豆半島中の宿がキャンセルされまくりになったのは大昔の話ではない。大昔に作られて放置された道が30年以上も生き残れるはずないですね。

 この旧国道の全ては地図には載ってないのだが、ジャングル状態や崩れて崖っぷちと危険すぎて入れないところでも今の地図には載ってる。リポートされてるのは2007年なので更に危ない状態になっているでしょう。好奇心にかられたとしても、元は道路だったとは思えない絶壁や草木が生い茂って地面が見えないため非常に危険である。命賭けるのは勝手だが迷惑がかかるので何の体制もとってない個人が行くのはやめろ。

 ほかの隧道のサイトで東伊豆のを見ていると、埋まっちゃったりしてるのが多いが、なかには危険性はないのに必要性がなくなったために封鎖されたのもあるようだ。誰もいないしハイキングコースでもないから観光になってるのは旧天城峠くらいですか。

ほとんど記憶に残ってない時期であるが、なんとなく昔を思い起こしたのであった。
| emisaki | 08:20 | comments (0) | 交通::その他 |
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