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光と色の4K写真展より(1)

光と色の4K写真展
「ブラビアでの4K写真鑑賞」セミナーにて  その1

光と色の4K写真展
東京カメラ部2013-2014写真展 by BRAVIA
2014年3月28日~30日
「ブラビアでの4K写真鑑賞」セミナーを聞きに行ってまいりました。

受講して感じた疑問点やソニー製品について遠慮なく語ってみよう

※ この展示会場でのことは投稿可能となっています。


 下記で綴ってゆくがセミナーでの話が理解できなかったため終了後にお話したのですが、私のような意見は初めてとのことでした。推測として、そう言うからには先生の近くには同調するファンしかいないのでしょうか。ご意見を伺う際に出した当方の考え方は別段特殊なことではないからです。全体的な話からすると矛盾した理論をお話されたかと思いますが、短い時間であり、私のほうの立場の説明も完全ではなかったため意思の疎通がなかったと判断しましたが、セミナーのほうで理解できなかった矛盾した話は下記にて考えてゆきたい。



・勉強しに来たので批評しに来た訳ではありません。筋が通ってないと受け入れられないだけ

 これから書くことを間違って読み取られると困るので先に説明しておきますが、自論を肯定するために批評をしているのではありません。むしろ、自分の至らぬ点を探すためにいろいろな方の意見を聞く中の一つです。


 セミナーでは案の定、ボケの話がでましたが、表現とは違う質の部分では、まさに日本メディアによる洗脳に染まってるのではないかと思った次第です。既に疑問を持ってブログでは書いてますが、私が知る限り品質より芸術性を高く見てる米国誌の風潮とも異なり、日本の写真雑誌ではレンズの評価などでもピントを合わせて撮る被写体部分より何倍もボケがどうのと書かれてきた。専門誌の成れの果ては光源のボケ部分の真円度にまで細かく書くような状態。編集部ではなくプロカメラマンの記事でも同様。

(マスメディア記事は宣伝ですから世間が思い込んでるように書くとは思いますけど)

 だとしてもカメラマンという芸術家が語ることなのだろうか? ボケてる部分も作品のうちと言われるでしょうから深くは突っ込めないのですが、日本はボケ部分への関心が大きすぎて私には理解に苦しむ部分であります。重要度が低いから焦点とならずにボケさせているのではないかと。レンズの話を盛り込むならば写している(ピントを合わせている)部分について多く語っていただきたかった。

 セミナーの総合的な話から他人を感動させる写真なら画質じゃないように受け取れたのですが、ではなぜ固有レンズのボケと品質のことを語るのかわからなかった。性能のことを語るなら話の筋が通らなくなり、私が終了後に「8bitでは階調が足りない」と言ったことを「今はこれ(現行性能のモニター)があるのだから」とか「130万画素の頃からやってた人はうまくなってる。画質じゃない」と言う流れで私の意見を斬ることはできない。

 「近づいて見る人もいる」という話をなされたのだから、「汚い」って見えると作品どころではなくなるって部類もあるのです。例えるなら、有名人を使っても下手すぎる吹き替えの洋画は内容以前に悪評が出回る。吹き替え映画なら英語で聞け(字幕)と逃げられるが、写真ではそういう逃げ道がないのです。


< 受講生としては異なる論が展開されると理解に苦しむ >


作例については、背景に写ってるもののボケがあるからモデルが引き立つとか言う話は理解できます。



 写真の上手、下手については抽象的すぎる。指標という定義がないものとなると、何をもってして上手と言えるのか? 他人に感動を与えられた率という謎の指標なのだろうか? 評価は撮った自分にしかわからず、また、見る側も個々に異なるのだから何が「上手」の絶対的な指標なのかがわからない。印刷物か、テレビに映すか、はたまた、スマホで撮ってスマホで見るという世界、そして、チェキ(富士フイルムのインスタントカメラ)やプリクラ(プリント倶楽部)の印刷でOKな層ごとに考え方は違っている。会場に集まっている人たちは後者である可能性はないが、写真撮影の多様性については先生自らがおっしゃっていた通りなのだから。


 片方で技術面を語り、もう片方では芸術性を持ち出して技術面を否定していた。私は技術者の次の仕事があやまちを探す分析なので、どうしても つじつま が合わない話になると、せっかくのプロ写真家の方なのに意味がわからなくなる。私のような凡人では同じ土俵で語ることはできないのだが、鑑賞客としてなら論じることができる。


 本日、得たことは大切にしたいと思ってるが、これからもいろいろな方々の意見を聞いて総合的に方向性を考えないと見えてこない。目標を見失って、まだ探している最中なのだから私には時間がある。


 目標を持っていた頃の写真を見ると。確かに先生がおしゃった表現が含まれてる。そのとき、技法や小細工なんて全く考えないというか、知らずに撮ってる。自分が美しいと思うがままに撮っただけ。モデルさんとか自由にできる被写体でないし、景色なら当然ありのまましか表現できないので偶然の産物。被写体が美しかっただけで、偶然にも良いシーンでシャッターが押せたにすぎない。現実には偶然にそうしたシーンに出遭うのが難しいだけ。


 構図の決め方や撮影技法、視点などなど、プロ写真家といえども良しとする選択がバラバラであることは作品だけじゃなく、過去の デジタルカメラマガジン が判りやすい例で証明してくれている。構図や視点など数多くあり選ばせていたのだが、選択の傾向があったとしても決まったものはなかったのだ。ということは、多くの専門家から聞いて判断する必要があり、誰かに見せるなら個々の受け止め方が違うことを忘れないようにしなけばならない。




・自分のためだけの写真を撮る
・誰かに見せるために写真を撮る

 大きな意味で後者の場合に必要なことを勉強しなくてはいけない。大きな意味と書いたのは現在では共感される必要がなく自分のためにだけ撮影したものを外向けに見せられる。展示会と同じで見たい人だけ見ればいいから迷惑にならない。そうであってもコメント欄には厳しい意見が来てしまうので必然的に精神面が鍛えられてしまう。コメント閉鎖で脱げるのは簡単だが、それでは得るものもない。

 元は写真しかなかったが、ビデオカメラが一般化して長年動画漬けになってると1枚で表現することは逆行してしまって難しい。花火の場合は、写真では音が表現できなくなってしまうが、動画では光跡が表現しにくい。例えば写真だけで光景が頭に浮かぶというのは見たことがある人にしか通用しないから難しいんだ。

 鉄道写真なのに車両を主体としないか全く写さない「ゆる鉄」分野の方や時刻表の写真なら好きだが、マニア雑誌の写真は嫌いと表現した。それは個人的な目標からの意見であり、マニアの世界でのみ通用する写真としては非難する気は毛頭ない。マニアってのは自己のためだけで完結している。

 日本の古い思想がまだ続いてると思うのが、例として「時刻表の表紙なら好きだが、鉄道マニア向け雑誌の表紙な車両しか写ってない撮り方は嫌いだからほかのようにする」と言ったとき、「そういう考え方はおかしい」と否定されてしまったことだ。嫌いを語るのではなく「好きなことを語れ」と。そうなると共感なくしては成立せず、相手を考えずして自己中心的に語ることになってしまう。

  どうやら鉄道写真家の中井精也さんなど作品や時刻表表紙の写真なら好きと例に出した部分は飛ばされてしまったようだ。私が先生のことをよく知らないように、先生も「ゆる鉄」分野を知らないようなので、時刻表の表紙写真のようと付け加えたのだが、知らないもの同士で、どのような例をもってして正しく伝えるか、本件においては質問側である私の失態である。

解答を得るための質問ですら異分野では話が成立しにくい

 鉄道は、わかりやすく例として出しただけで、言葉では表せない目標を語る上において消去法を使って語ったにすぎない。未熟だからどうが言葉で語れるほど目標が定まってないのである。この先も目標って言葉で語れるほど絞れないと思うが、好まない写真のほうが言葉で表しやすい。 なぜ好まざる写真を語るのかと言うと、放置してると自分もそっちの自己中心的な写真の方向へ流されてしまうからなのです。


つづく
| emisaki | 22:01 | comments (0) | 催し::関東 |
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