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ぶろぐん

日本人は批判が好きなのか
 そう言われてみるとそうか。この点は他人のことは言えないかもしれないが、私がやってるのは批判じゃなく批評であり、表に出す前に問題点を探し出すという仕事をやっていた関係から改善のためだと思っており内容も前後関係を考慮するから違う。ところが世間で稚拙な連中は分析した批判ではなく誹謗中傷へと転落してしまうことが多い。稚拙がゆえに線引きもせきず内容を理解すらしてないのだろう。その例として実際にテレビや新聞も見てない奴らがネット上で騒ぎになったからって知りもしないくせに同調することが多々ある。これではマスコミの餌食にされても仕方があるまい...

 元タレントで被災者ブログに誹謗中傷書き込みによって更新停止と報道。それで探ってみた。誹謗中傷の行為などあってはならないが、そうなるべき原因を作ってるのは当事者だと感じた。被災者が書くようなブログではなく悲劇のヒロインを演じてるかのような文章であったから。被災者がなぜあんな写真や自らの悲劇を美化した文書で書けるのか理解できなかった。テレビ取材の断片からだけ見ても、ほかの被災者はそれどころではないからだ。

 私の老体と親が階段から落ちて救急車で一緒に病院に行ったのだが、救急車が走り出すまで時間がかかったものの、ひどい格好のままでロクにものも持たず状態だった。そんなとき、写真を撮れるか?一瞬たりとも撮る気にならない。自分の怪我じゃなくてもSNSなんて投稿できるわけがない。起きた問題を誰かの参考になるべく後日談として語るくらいだ。

  例えるなら、こんなときに写真を撮って投稿できちゃうのは異様
  そこに反感を買う理由があるのではないかと個人的に分析した。

この点を分析もせず、一方的に誹謗中傷だと問題にするようではマスコミも同類なのである。もし、悲惨な状況下におかれてしまったら、そうなる人間もいるとか心理学の観点から述べるべきだ。悲劇のヒロインと書いたが、それによって現実逃避かもしれないとかは素人でも考え付く。この分析を怠るようでは主要テレビ局とて芸能ゴシップ週刊誌と同じである。

 大地震が起きたってのに、わざわざ楽しんでる投稿をするやつ。不謹慎狩りがどうのではなく、人間としてどうよ。投稿する必要ないだろ。同じ生命でも国民と明らかに差別化されてるのだが、それなりの年齢なら知ってる昭和が終わったときにマスメディアを含めてどういう雰囲気になったか。いつかは来ることだから起きたらやっていただきたい。そしてそれが不謹慎ではないのかと。

 しかし、なんでもかんでも書いたことに対してこじつけるよう不謹慎だとか攻撃されてしまっては、投稿できる段階(状態)になったとしても被災者側も助ける側も萎縮してしまう。この件はもっとマスコミが扱い専門家の意見が出るはずだが、もはや遅いか。更に国会議員から地震のタイミングが良いなとど不謹慎で済まされないキチ○イな発言すら飛び出す始末。
何事にも見極め能力が欠如しているのである。


有名人が寄付すれば支援の輪が広がるのか?

 それにしてもタレントや企業家は、なぜこっそり支援活動ができないのか?言うまでもないか。東日本大震災のときも巨額の義捐金額を公表し、助けよりも真っ先に儲けの臭いがプンプンする奴がいた。案の定、表明したのになかなか寄付してなかったり自分の会社を通したりと、行為に探りを入れてた側の非難の的となった。反対に何も語られずに何億円も寄付している人がいるが、私は寄付の額ではなく売名や宣伝ではない後者こそ心ある義捐金であり尊敬に値すると思っている。支援の輪が広がるよりも先に嫌なムードが広がるのである。

目立ちたいなら有名人が能力を発揮できるのは募金活動であろう。

 そう示して更に問う!芸能人や高額な利益をせしめている経営者は、なぜ表立って寄付しますと言う必要があるのか? この本題として語るなら批判が好きなのではなく、批判されるようなことをしているからではないのか? それとも、志も何も関係なく、巨額寄付をした奴が偉いのか?そんな連中、世間が批判せずにいられるか!

 テレビのバラエティー番組でさえハゲだのデブだの言えなくなったほうに危機を感じるよう何でもかんでも不謹慎だと言う気はないが、ネットで「不謹慎狩り」と非難されるような理由付けのない騒ぎに関しては問題だ。それを書くマスコミが「お前が言うか」ってところだと目くそ鼻くその大笑いだったりもする。


 正しい批評とは原因となった事や、その先に何があるのかを論じたものだと思っているが、その不謹慎狩りと言われるような連中は前後関係も見ず、原因も考えず言葉1点を問題にして日頃のうっぷんばらしでしかない行為をしているのではないか? 「もっともだ」と言われる意見をすることができず、確証もないまま断片を拾った不謹慎狩りしかできない年齢だけ成人の未成長児が増えすぎた。


いくら寄付しましたとか自慢げに言う奴に必要なのは批判より厳しい説教。

 例によってマスコミは責任逃れのためわざと言葉を取り違えて使うわけだ。真っ当な意見としての批判は当然であり、怒るべきは「単なる難癖」を付けているだけの連中に対して “難癖” だと指摘した上で報道する必要がある。何でもかんでも言葉をやわらかくする。正しく通る言葉はすぐに放送禁止用語にするとか、差別や誰かを守るような理由付けをしながら言葉から報道の自由に相反するようなことをしていないか? 犯罪(違法)のことをマナーとまで下げるようでは犯罪に歯止めをかける罪悪感が消え去ってしまう。

 本当に支援している方々との見極めが難しいところもあるので注意したい。そして、報道として筋の通らないことばかり、事故や災害すら食い物にしているマスコミは、でかい口を叩く資格があるのか自問自答したまえ。

| emisaki | 2016-04-19 Tue 20:59 | comments (0) | 大衆媒体::テレビ |
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