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自動車は必要悪では済まされない(2)
 福岡県の博多で64歳が運転する個人タクシーが加速して(目撃談)病院に突っ込み10人を死傷(3名死亡、1名重体)する事件が発生(2016年12月3日)。加害者によれば手前の交差点からブレーキが効かずエンジンブレーキなど止めようとしたなどと言ってるようだが(供述)、目撃者は手前の交差点から加速したと語っている(確証はない)の、もし故障だとしたら運転手は壁にぶつけて止めようともせず、柱も避けて人がいるところに直進したことなど現実から疑問点ばかり...

以下、かなり強い言葉遣いが含まれます。人の命です。それくらいの表現をしなければわからない。




 こうして常に危険を伴う我々としては多くの運転手が他人を殺そうとも自己防衛、生存本能のほうが大きいのだと思っておかないと危険である。本件で言うタクシーは乗客も乗っていなかったわけですし、ハンドルが効かないわけでもなかろうから「お前だけが壁にぶつかれば済む」ことをなぜできなかったのか?

  普通の運転手も同じだからプロ運転手かどうかは関係なく、人間としてどうかだ。

  自分で車両は点検できても自分を点検することはできない。

 小さい頃に見た再放送のテレビドラマを思い出した。飛行機(小型機)のパイロットがあることを決めて「ゼット」と A-Z の終わりって意味と思われる隠語としていた。その「ゼット」とは機体に何らか問題が発生して地上の住居等に墜落の可能性が少しでもある場合には事前に何もない場所へ墜落させるという行為を示していた。

  真っ当な人間なら当然の選択。

でも、自動車運転手は飛行機パイロットのようには訓練もされてないし責任感も植えつけられてない。以前に持病を持つ人が隠して重機やトレーラーを運転して死亡事故が何件か立て続けに発生したとき、その病気の団体が文句をつけてたが、人殺しにつなげといてお前ら何様だって思った。職業に選択肢はいくらでもある。突発的と違って発作を伴う持病なら爆弾を抱えているも同然だ。薬でどうにかするではなく、可能性という点で桁違いに危険である。だから、

  自動車の運転は権利ではない! 許可だから駄目な人は駄目。


 現代に自殺する奴らってのは単なる自己中にすぎず、責任を取って死ぬのではなく迷惑をかけているだけであるが、近年の事件をみてると今の日本人って奴らは上記のTVドラマで「ゼット」と呼んでた行為もできず低次元の生存本能でしか動けないほど質が落ちてしまったようだ。責任取って切腹は何の解決にもならないが、そんなこともできなくなってしまったのだ。連日ニュースになるだけ人殺し老人運転手が現れても首吊ったなんてニュースは一度も聞いてない。だからって生き地獄に落ちてるとも思えないし加害者のくせに自分本位ばかりになったよう感じる。

  お天道様に顔向けできないとか世間様とか死語どころか思想も消えたか?


 危険運転関係の罪ができたのも確か福岡県の役所の若造が飲酒運転して何人か殺したからだったように思うが、飲酒を筆頭に最近ならゲームやったり、爆音鳴らして耳を塞いだりと故意の結果で人を殺してしまっても罪状が軽すぎる。中には当然だが罪の意識で苦しむ加害者もいるわけだが、だいたいそういう故意に事態を悪くするような悪党は罪悪感なんてありゃしない。先日だって、ビートたけしのネタにあるのと全く同じ、事故を起こしてから酒を飲んで運転してたときはしらふだったフリ。人間の資格がない。原因に人間性が関わると地域性が色濃く出る。


  自動車という凶器を扱っている以上は万が一に故障だろうが許されないことはある。

 人殺しの言い訳にできるのは正当防衛だけだろ。アクセルとブレーキの踏み間違えからに代表される「パニックになった」は言い訳じゃなく自らの罪を自白しただけ。

  百歩譲って故障だったとしても、すべきことをしてない!

 軌道(線路)に乗って走ってるわけでもなく人間が運転している以上は緊急時対応能力は必須であるべき。日本の教育の間違ってるところは悪い部分を隠して教えないことで、英語で悪い意味な言葉を軽々しく使うことを指摘したように、自動車教習場においてや試験において、何一つとして危機的対処能力の試験は実施されていないはずだ。

  危険が多いのに電車の運転資格より格段に楽は、誰か殺すのも当たり前の酷い制度。

  第二種運転免許に関わらず運送なども含む営業運転手への道筋が安易すぎる。


 「リストラでタクシー運転手になってまだ道をよく知らない」とは、自家用車を持たぬ私はタクシーを多く使うので何度も聞いた言い訳であった。世界がうらやむ日本もロンドンタクシーからしたら大笑いな低レベルなんです。地理の話じゃなくて能力も同じ。カネ払ってちょこっと勉強すれば資格くれるナントカ検定ほど次元が低すぎる。免許交付への過程と更新が甘すぎるし、危険行為の前科者は一生涯免停であるべき。

 だから一般人ほど何年運転してもブラックアイスバーンすら知らず、雪道やら何やらと対処能力を学習してない。一般人だろうとタイヤチェーンの付け方がわからないって話にならない。タイヤ交換の実技試験もなし。自動車教習場とやらはボッタクリのくせに外国並みのいい加減さなのは試験に出ないからだろう(実技はそこで免除だがな)。うちの近くの教習所も警察の天下りさ。実技のほうが桁違いに重要なのに出題内容がアホらしい筆記試験で左右されるほうが多い。どうせ教官は特殊運転技術も持ってないからアイスバーンで立て直す方法すら教えることさえできまい。

 過去と違って今の車はアンチロックブレーキ ALB(ABS)など搭載されてるわけだが、全てではないため不用意なブレーキでハンドルがロックしてしまわないように危機的な状況下で何度も体で覚える必要がある。

交通戦争の年間1万何千人かから5千人ほどに減ったのではなく、いまでも年間5千人も殺されている!
(不慮の重大事故は少ないから「殺されてる」と言うのが正しい表現であると思う)

自動車運転が必要だからって誰か殺す大きな可能性を負って運転する権利はあるんですか?
隠居するか暮らせないなら引っ越すことでしょう。それができないようでは人間として恥。


 新しく施行される75歳からの検査では遅すぎる。全員であるべきだが、65歳からが最低ラインだ。後期じゃなく前期高齢者の悪事(違法=犯罪行為)を注意して逆ギレされたことが何度もあるように危険は認知症だけではない。還暦が生まれたときに戻るって意味で赤ん坊の赤なのだとしたら、更に長く生きるわけですから全員でないとしても自覚症状のない究極の自己中な老人が続々と生まれているのです。なのに凶器となる自動車の運転を許可させるのか!
 100年前に誰が自動車を使っていたのか?50年ちょい前の東京オリンピックの時代だって誰もが自家用車を持てたわけじゃない。急速な車社会が人間を狂わせただけで、田舎だから必要って論調は一度便利を手にしてしまったものが手放せなくなっただけの自己中側に踏み込みすぎとなる。論じるなら思い込みで作った前提を捨て去って行うべきだ。

個別の検査は事実上不可能であり運転免許終了を年齢で切ることも必要である。




 うちも高齢者をかかえているし、親戚関係でもいろいろ見てきたから症状はよくわかってる。自ら老いたから解らない、できないと言ってるようなら真っ当であるが、訳のわからない要求をしているくせに自分がマトモだと思っているのが本当の認知症。忘れっぽいは加齢症状でもあり若くしてもあるが、本当にすぐに忘れてしまうのとは違いがある。

 マスク洗えって言われたから、次はオムツって言うんじゃないかって話をしたのが現実化したって話を聞いてドン引きしてしまったのだが、紙おむつなんて洗えないの回答にそれくらい洗えるだろと怒りだしたとか。紙おむつが洗って再利用できるわけがないと理解ができなくなってしまったのだが、それでも何やら予想して競馬には行くのだと言う。

 ボケても判断能力が欠如してても運転できないわけじゃないし、切符買って電車の乗り方も忘れてないように脳の何らか部分が違うのだから一見して真っ当に見え世間話が成立してるからって認知症でないとは言えないのである。いくら体が丈夫でも正しく判断して動かせなくては意味がないから脳の機能のほうが優先される。

 役所の介護認定において体が悪ければ等級認定も狂わないが認知症の場合は役所の人がちょっと調べに来るくらいでは無理。年金を受け取り始めるような前期高齢者だとよほど酷くない限りは深く調べもしないでしょう。人数が多すぎて検査が甘くても隠居してるならいいが、生命に関わる仕事なんてとんでもない。そんな奴らに車で引き殺されたほうはたまったもんじゃない。老人のくせに自分は大丈夫だと思っている奴が一番危ない!

| emisaki | 2016-12-05 Mon 19:11 | comments (0) | 生活::暮らしと社会問題 |
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