サイト内 移動
NEW ENTRIES
Search Box
CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<  2024 - 04  >>


2024 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2023 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2022 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2021 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2020 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2019 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
COMMENTS
    JR東日本「ひたち東京フリーきっぷ」なども9月末にて終了
  • emisaki >10.06
  • 常磐民 >10.05
CATEGORIES
ARCHIVES
Status
現在: ゲストモード
PROFILE
OTHERS
POWERED BY
ぶろぐん

優先席で電源オフ緩和!? 教えるべきは科学ではなく道徳
 思想家に言わせると身の丈を超えた正義感を振りかざす人は実行する段になって残虐性を発揮するという。確かにニュースになってしまう場合もあるが、その場合はだいたい物理的行動に走ったがゆえ注意する側が罪を犯すことなった。これを問題視するよりも桁違いな不道徳者の増加を考えるべき。本件の内容的にはそこまで堅苦しい話ではなく、“社会生活における当たり前” な決まりごとであって、この程度すら守れない程度の低い人たちがいかに多いかが嘆かわしい...

 もとから世間が注意し、周りから白い目で見られれば自分からわかってゆくはずなのだが、逆ギレを怖がって世間中が萎縮してしまった結果、赤信号みんなで渡れば怖くないとばかり、席も譲らずして占領し、優先席で若年層がケータイ、スマホをいじくってるのを見るのは日常的(もはや若年層だけにあらず)。社会、および警察に至っても、「小さな罪悪感を失わせることが凶悪犯罪につながる」ことが全くわかってない。反対から言えば、小さな罪悪感を持たせることで犯罪を減らせるのは既に海外で実証済み。

 外は自分の家の中ではないのだが、電車の中だけでなく飲食店内でも自宅のように子が走り回ったり、音を出してゲーム機をいじくらせたりと “頭のご不自由な親” にかかればどこでも自宅と同じだ。度がすぎた悪ふざけ写真を投稿する前に わからないのも、こうして育てられたから何が悪いかすら理解できなくなった結果ではないか。

 「優先席で電源オフ」とは、ペースメーカーに支障をきたすとか、今の機器なら問題ないからで決めることではなく、本来ならば“ロクでもない奴はこのあたりに来るな”とでも言いたいのを、客に対して企業としての限界から“命令”が“お願い”に変わってしまってる。当てはまるかは別として法律には無過失責任というのがある。優先席に座って通信が程度の低い奴だけで済むのではなく、故意でない殺人未遂状態の可能性に気づきもしないで操作し続けられるモンスターを政治、企業など社会まるごとが作り出してしまった。


・田舎と都会でのルールは違うのが当然

 先日のフジテレビ「スーパーニュース」によると交通機関内でのベビーカー利用を考え直すという。私は社会生活の変化などではなく、「自己中なバカ親が楽をしたいだけ」で前例のように“赤信号みんなで渡れば怖くない”とばかりに増えてきただけだと思ってる。10年前に戻るだけでベビーカーに子供を乗せたまま電車に乗る奴なんていなかったと思うよう爆発的に増えてしまった。

 問題提起されてからは「混雑時は乗らないようにしてる」など上から目線。そういう考え方は、「車がいないようだから赤信号だけど無視して構わない」という、ご都合主義につながってしまう。東南アジアでの高潮被害で略奪行為が発生したが、東日本大震災では発生しなかったのも教育のたまものだった。しかし自分勝手が蔓延してしまうと将来の日本も危ない。災害のたびに武装しなければいけない愚かな他国のようになってもよいのだろうか。

 過去から存在するベビーカーは真っ当な考え方を持つ人たちによって交通機関内で使われることはなかったのであり、だからって子連れの事故が多発したなんて聞いたことがない。むしろ最近のベビーカー利用を正当化させようとしてから利用者による事故のほうが目立つ。安全を盾にして使わせろと言うほど、自己中であると言ってるようにしか聞こえない。この道徳および都市生活におけるルールは、社会によって子育て支援をするのとは全く別問題。座席を譲らなくなったなど、同世代のモラル低下のツケが親となった自分に回ってきたのだと、なぜ気づかないのだろうか。

 田舎で許されてきたことを都会に持ち込まれた可能性について、モラル低下が目立つであろう地域から予測したことで確かなデータがない。そう疑いをかけるのには江戸っ子として長年に渡って“都市生活不適合者”による都市部での不道徳(侵略)行為の正当化を目の当たりにしてきたからだ。東京近郊で報道されるに至る問題の原因は ほぼここに集約されると感じる。代表例として古くは新興住宅地、近年では高層住宅乱立地域のモラル低下と都市生活不適合率が劇的に高いと感じる。その地域にはルールを教えることができる人が住んでないし、たとえ誰かが言ったとしても若年ほど聞く耳持たない。

 例えば、歩くにしても誰もいなければ歩き方など気にもされず迷惑もかからないが、どこにでも人がいる環境では歩くのにも能力が必要となる。過去に分析したとき、自動車を運転するときに正面衝突しないためにも重要な時間軸(時間経過)の能力が根っからの都会人のほうが優れてると個人的に結果を出した。

 自分の前に人が歩いてる。向こうからも人が歩いてくる。前の人は歩くのが遅いので対向から来る人にぶつからず追い越せるか? これを瞬間的に判断できる能力が劇的に違う。当然、都市育ちには山道での危険性など野生の勘はないので知識でカバーするしかない。それらを考えると、都市部への移民者は異なる環境を学習しようとせず、都市生活における迷惑行為を自己中心的に正当化しようとするのだろうか? アメリカに行って相手に日本語を強要してるも同然な異常なのに。

 問題は現在の東京近郊に居住する近代移民の子孫は都市も田舎、どちらの暮らし方の能力も持ってない(都会人だと勘違いしてる)。いくら民主主義的と言っても、大多数の理解してない人たちの意見を聞いては道徳崩壊の道しか残ってない。役所や交通機関が決めるのなら、このような状況を把握する必要がある。 公共交通の企業はお客様は神様ではなく教育しなければならない。本当の田舎では有り得ない「整列乗車」だって教育してきたではないか。
これ以上、わがまま行為を受け入れるのは日本のためにはなりません。

総務省平成24年度電波の医療機器等への影響に関する調査結果及び当該結果に基づく「各種電波利用機器の電波が植込み型医療機器へ及ぼす影響を防止するための指針」の改訂


自分が完全無欠などと言うつもりは毛頭なく、こう指摘していることで考え自制されるのである。


(追記) 週刊ポスト2014年1月24日号より

記事の内容のすべてに賛同しないが70歳代の意見に秘められている

> 私たちの世代は子供たちに“人に迷惑をかけるな”と言い聞かせてきたもの。
> このままでは人に迷惑をかけても平気な顔をしている大人がたくさん育つのではないかと心配です

 残念だが、もはやそんなバカ親ばかりである。いいきかせられる子を放置したり、親の自己中な行動は話が全く違うのだ。全ての責任は家の中と外の区別もつかなくなった親にある。だからバカ親の反論ってのは自己中の上に成り立っているので聞き入れる余地がない。

 そんなバカ親を作ったのは仕事にかまけて子育てを放置したり、学業優先で社会と道徳教育をすっかり忘れた団塊の世代だ! 特に都会のなんたるかも知らない奴らと怒ってるのも、そうして育った子が都市生活能力も持たないのに都会人と勘違いしていること。


 「赤ちゃんは泣くのが仕事」だから論争になってること自体が異常。ようするに「自己中vs.自己中」だから論争が起きる。バカ親は子供が泣いても対処の努力もなく放置、逆からは頭ごなしにうるさいと言う。以前のように、配慮の行動でも見せていれば外側からの批判も収まる。どうしても泣き止まないから迷惑だからと考え自主的に親が行動しなくなった。「赤ちゃんは泣くのが仕事」の流れを勘違いし「そうだからしったこっちゃない」という風潮。逆は、てめえらがガキの頃に泣いてたのも忘れて文句を言うわけだ。

 核家族化の次世代となり親が親として持つべき能力も失った。そもそも座席を譲るような姿勢があれば大都会の車両でベビーカーを広げたまま乗るバカ親なんて登場しなかったかもしれない。優先席に座ってスマホを使えるまで頭がご不自由になってしまったのだ。

 残念な表現をするしかないのだが、都市生活不適合者の仕業としか思えない事態というのが、マスコミで報道されている迷惑行為の数々なのだ。違法駐輪、暴走自転車、公共交通車内ベビーカー利用、周囲を気にしないキャリーバッグ利用などなどと都会のなんたるかを生まれたときからわかってれば、起こすはずがない迷惑行為が実に多いのです。我が物顔で育った都会のイナカモンたちは地方に行っても勝手に冬山に入ったり、スキー場で立入禁止と知ってても平気で入ってしまうよう人格が作られた。人数で都会の問題が取り上げられるが、過疎地の人が道徳的かと言うとそうでもない問題も多く取り上げられ、例えば迷惑釣り人は地方の地元民である。全体層で道徳を失ってしまったのである。

「自由」と「勝手」は違うんです。これが全くわかってない。
自由とは責任の上に成り立つものである。(昔に聞いた受け売りですけど)

なかには真っ当な主張をしている若者もいるのが唯一の救いである。
| emisaki | 08:50 | comments (0) | 大衆媒体::社会 |
コメント