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ぶろぐん

通ってた小学校を見学。そしてチャリ暴走族の脅威
 私が通った学校は、廃校になったか、建物は残ってても運営者が変わってるのばかりだ。母校を見ようにも今は集合住宅なんてのすらある。最近は学生がいるのに大学すら廃校になる時代ですからね。
 引っ越したら元のところに行かないのが一般的だから街が変わってゆくのを全く知らなかった。そこで、先日、江戸川区へ行ったついでに歩いてみた。

 江戸川区へ行ったのに葛飾ってことだが、境目に建っている。鉄柵が境界。全国的には「葛飾柴又」って頭に浮かんでしまうだろうが、その世界とは縁遠い昔からの住宅地であり、江戸川区と思われがちな場所。

 枝が切り落とされた木々が残されているが、小学校に通ってた当時、この横は大木に覆われた広い敷地の屋敷だった。


 ここが6年間通った入口だが、どうやら今は使われてない模様。この先が校庭で、高い部分が体育館(3階)。

新しい感じからもわかるよう入口の横にある地域消防の建物なんてなかった。


 小学校をつぶして中学を増やすとは思えないので調べてみると、特殊な施設のようだ。

 一時集合場所の看板に名残を見つけた。小学校の名前を口頭で伝えると、神奈川県に間違われてしまう「しょうなん」なのだ。

 校歌か、“大東京の空おおう…” 、そこしか憶えてないや。


 裏って感じのこちらが現在の正門らしい。


 知らなければ気づかないだろうが、またも学校名が違います。さっきの看板は「松南」で、こっちは「小松南」です。

 この理由もわかった。松南と小松が合併してこちらの校舎を使ってたが、のちに元・小松小学校のほうへ移転した。


こちらが元・小松小学校で現・小松南小学校。

窓から一部にX型の支柱が見えるため、こちらの耐震工事が完了するまで、元・松南小学校のほうを使っていたのだろうか?


 団塊Jr.な子がいっぱいいた時代なので、こっちの小学校も家から近かった。駄菓子屋とか、小学生の小遣いでも買える単位で売ってくれる たこ焼き屋さんとかあったのだが、面影を残すのみとなっていた。
 元・職場とかでは思い出を感じることも少ないが、幼少期に住んでいた場所ともなると全く違った感情を呼び起こす。2~30年で変わったところ、変わってないところ、それが混ざったのが今か。つい、昔の友達の家の前を通ってみたが、私のほうが先に去ってるわけだから、いなくなっていても不思議ではなかった。



 こうした自治体の筋違い警告にもうんざりしてる。書くなら、「基本、歩道は自転車通行禁止」と書くべきである。やむなき場合に“徐行”が許されてるだけで“走行”は許されてない! 警察官自体が自転車で歩道を走り、どうみても警察庁の見解の徐行じゃなく走行してるから示しが付かない。

 この問題、都心どこでもな大問題なのだが、過疎地遺伝子の持ち主には都会での道徳的な行動が何もおわかりでない。特にここで怒る理由は「歩道がすごく狭い」からである。そこを激走できる精神異常が理解できない!
 私の時代は1クラス50~55人、1学年に5~6クラスあった。昔と今の生徒数の差を痛感し、今のモンスターペアレントが行うお受験とは違い当時の受験戦争を思い出すと、通ってた学校の偏差値が10くらい下がってても不思議じゃないし、学業じゃなく人間の質が劇的に下がってるのもわからぬでもないな、と頭の中をよぎった。

 親は学校に入る前からの人間教育を怠ってきた。“ゆとり教育”なんて政府の教育方針が間違ってる以前にバカ親の子が目立ってきた結果にすぎない。政府の失敗は勉学であって、育てたのは 都市生活不適合者 の根源である親だ。
 過去に比べたら 都市生活不適合者 の増加はある。

 葛飾区から江戸川区へ延びる商店街も私が幼少期から車両(自転車は車両)通行止めであるが、禁止看板がある中を平然と自転車に乗ってる頭のご不自由な方に何人も遭遇した。それでも地図上で言う上下の地域よりかまだマシに感じる。その大きな理由は大規模な宅地開発が行われなかったからと推論する。足立区では南千住~北千住、江戸川区は葛西、西葛西の住民の程度の低さは痛感済みだからだ。同様な地域、品川区の湾岸地区、中央区の湾岸地区も悲劇的であると嘆きを聞いてる。東京都の西側や神奈川県でも自転車の暴走族は問題になってる。集合住宅では周りが同じ人種だから “人の振り見て我が振り直せ” すら正しく働かず、周囲の真似して悪いとは思わなくなってる。

 この都市生活不適合者の行為が、前から訴えてるよう過去には誰もやらなかった車内でのベビーカー利用など単なる自己中を正当化させてきた(そんな同世代も席を譲らない人種だから自業自得。だからって自己中に走ってよい理由にはならない)。どういう脳ミソだと自分勝手な事でしかないのに子育て支援の権利だとか勘違いできるのだろうか? 優先席に座ってスマホをいじくる奴といい、法律で取り締まらないといけなくなったら悲しい社会になるが、辞めないなら罰金より意義のある罰を与えるべきでしょう。本来なら社会が教育してたのだが、逆ギレという暴力や殺人事件をきっかけに社会が萎縮してから悪がのさばるようになってしまった。

 東京の道路は私が子供の頃より安全になってる一方、都会がわかってない人たちによる路地での無謀運転の増加があるが、それでも地方の道路のほうが怖い。これは人口に対する事故発生率が証明してくれてる。それなのに東京の道路が怖くて走れないとは意味がわからない。ならば車両である自転車に乗る能力がない=資格がない。

まずは危険だから、自転車で歩道を走るな! このあたりから始めてくれないか。
東京の道の歩き方はそのあとに教えてあげるから。

 夕刻、新小岩駅から江戸川区内への帰宅者が歩道の狭い平和橋通りを我が物顔で走るチャリ暴走族。歩道走行、無灯火、歩行者往来妨害(警笛違反)、いくつも重ねた罪を犯しているのに警察は何もしない。身体能力が落ちて歩いてる老人はもっと恐怖しているに違いない。錦糸町でも四ツ目通りの歩道が狭くて危ないんです。品川でも晴海とか見ても住民が犯している罪は同じなのだが、道が広いから悪事に気づくことがないという問題がある。そもそも数世代に渡っての都会人でない住民は都会のなんたるかがわかってない。じじいくさい言葉になるが、困ったもんだ。
最終的に、こんなことを思わせる江戸川区から葛飾区への移動でした。


今後も取り上げられるでしょう。
なぜなら、自動車事故は減り、自転車事故が激増しているからです。




 あるところで言われてた。当事者に怒りをぶつけても自分の苛立ちの解消なだけで、相手には届かず正されることはないと。小さい子なら一時的でも言うことをきくかもしれないが、大間抜けな“叱らない教育”を受けてきた小学生以上の子となると、待ってる反応は逆ギレである。だから方法論として、親子の場合には親を叱れとある。親が謝れば子にも届くとのことだ。(親が逆ギレしてきたら、そいつら人間終わってる)

 そもそも手本となるべく大人ども(警察官を含む)が悪さ(道交法違反)をしているのだから子が従うはずがない。同じ違法であれ、人っ子一人いない場所と人混みの狭い路地では影響の桁が何桁も違う。こうした大人は自分らの都市暮らしの能力の低さと不道徳行為を犯してるのだという自覚がないのだから、どうやって大人に叱れというのだろうか?


本件は一般人によるチャリ暴走族を例にしたが、不道徳もの全般に繋がることである。

| emisaki | 07:58 | comments (0) | 生活::暮らしと社会問題 |
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