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再開発は地方創生であるのか?(1)
 伊豆をチェックしてきた側ですから前から知ってたことも、「中止をと言うなら私を殺してからにしてください」と三島の市長としての資質がない頭おかしいと言うか稚拙ぶりがテレビで全国区に。あれを選んだ市民の質が疑われた。2018年7月23日に起きたことで東京で発信されたのは先週の後半だったと思うので2週間経過、あの政治パフォーマンスにしては取り上げるのが遅いと今更感が漂った。では反対派はどうかと言うと、お粗末と言うしかない。

 賛成、反対なんて損得勘定以外にあるはずもなく、犯人捜しと同じで誰が得するかを探った上で三島市民に有益かを検討するのが基本でしょう。いまのところ再開発事業の効果、価値に関しては双方が都合の良い言い分を出しているにすぎず、この点では前記と反対に双方の不利益な部分が見えてこないが、それこそ比較すべきことである...

 本件固有ではなく前提として思っておく必要があるのは、全市民に対して民主主義的に役に立つことをするのが役所であるのに固有の利益で動くこと明るみに出た不祥事から事件まで多々あること、そしてよく耳にするNPOなる肩書きがあっても少数の真っ当な方には悪いが大部分が胡散臭い連中であり、固有組織の利益で民主主義的に考えてると思えないことが全国的に問題視され、更に勝手に市民の代表ヅラして結局は狭い範囲で戦いを繰り広げ、役所・政治家と固有の組織の対決となり「本当の市民は置き去り」にされることが大部分なのだ。固有の事件があったとしても平均的には役所のほうが公平性というのに縛られて動いている証拠のほうが多い。

 同様に一般論であるが、私は若い頃から政治家で言われる「地盤・看板・鞄」のうち「地盤」とうのが大問題であると考えており、それが悪代官と越後屋の関係を生んできた。政治家は、まるで関係のない土地に配属して純粋に仕事のみを評価すべきだと思ってる。これに関して出そうな反論はだいたい間違った思い込みにすぎない。

 例えば三島市の近くの熱海市では地元が仕切ってきた前政権が財政破綻寸前まで好き勝手に食い潰してきて、それを立て直した現・市長はたぶん私より熱海との関わり合いがなかったはずである。その土地を知ることは大切であるが何十年も必要ないし知っててもダメなのは前記の通りである。癒着をせず公平な考えをするため、必要なことは部下が知っていれば良いことである。

 これは政治的な話であって外部の人間がいきなり知らぬ道を歩けるかって話とは違う。だが、土地に関係なく状況に応じた道の歩き方を知っているかどうかは重要である(「道の歩き方」ってのは能力の例え)。




・地方都市でよくある問題だが三島は推進派も反対派も程度が低い

 各地の揉め事を調べてきて感じたのは、賢いことを書いている人ほど賛成や反対という場面には登場しないってこと。そして見限ったときには「去る」という選択肢をとりやすいのも隠れている賢い方々である。実に日本人的かとも思うが、感情で騒ぐ連中よりも賢い方々こそ論路的な攻撃を先頭で行うのに向いている。

 どこかで聞いたことある話だと思うことばかりで各地で同じような再開発議論がおきてる。前に秋田駅前を取り上げたが、駅の真ん前に駐車場が存在しているなんて田舎である証拠なのだ。企業も儲かる公算があれば黙ってても商談は入ってくるでしょうが、長年と駐車場でよかったってことは企業に公算はなく必要なかったとも言える。好条件を出して事業者を呼び寄せたってことなのかな(憶測)。

地方都市の典型だが、車社会であると電車の駅前に商業圏がなく駅前が一等地ではない。

 住民訴訟に至った件、再開発事業で問題なのが三島市土地開発公社が民間企業に市場価格より著しく安い価格で土地を売却したことである。これは開発企業を呼び寄せるためとは考えられないだろうか?

 現在の再開発計画の事業費が暴利であるとも思えないし、事業開始後の収支は予測で不透明な部分があるのも当たり前で決定的に批判できることが見当たらない。三島市にとって事業規模が妥当かどうかは考える予知がある。
<追記 2018年8月20日: 住民説明会にて三島市の負担は61億円と説明された)

 水源に影響は考えられるが10年間くらい楽寿園の中にある池の水位記録を見てきたけど富士山がどうのではなくその年の状況じゃないのかと思えてきた。今年は猛暑があっても雨も多いから水位が高い。三島駅南口(海抜 約36m)と柿田川(約15m)なんぞの低地のわき水は違うが、高層ビル建設ともなると地中に何十メートルも杭を打ち込むはずだから何らか影響は出そうだ。開発予定地の南東数十メートル先にある菰池(海抜25m)の水源はどう通ってきてるのだろう?

 富士山の景観に関しても法を犯してないから建つわけ。例えばウチから東京スカイツリーが見えなくなっても文句が付けられないのと同じ。東京と比べるのは酷であるが、ならば100mのビルが阻止されない景観条例がないほうが悪い。予定地から見て低地になる南東方向の近隣はどうせ富士山は見えない。影響があるのはもっと離れた場所でしょう。直線になる道路上で見えるところがあるが電線だらけである。

 景観条例に関して市民の代表であるなら市議会は何をやっていたのか?何かと仕事のできない奴らなのか、それとも役所と一体なのかだ。役所と一体には二通りの意味があり、鵜呑みにしているだけか、心から計画に賛同しているかだ。この再開発事業において市議会の記録と議員の意思確認も必要である。

 もし、市議会が再開発に賛同しているならば特定の市民団体だけが騒いでいることになる。普通は誰かしら出てくるのだが、報道においてまるで議員が登場しないのである。

 「三島駅南口の整備を考える市民の会」なんかの主張も実に政治家・役所がやる手法と同じであり、反対するための数字のみを全面に掲げて正しい収支計算がなされていない!

 再開発しなければ駐車場収入が年1.5億円と言うが、その先の収入は現実味がない。では、再開発を行ったときの収入(税収も含む)はどうかと言うと一切書かれていないのだ。比較しないと正当性がない。再開発における税収や経済効果から三島市の出資が何年で取りもどせるのか、永遠に損なのか?

 商業施設にすれば当然ながら高層化した駐車場を用意するに決まってるため収入がなくなるかのような言い分には大笑いである。謎の計画での年5億円予測に絵空事にしか見えない数十億円支援とやら何の意味があるのかわからない。新たなまちづくりで5億円ね、どうして生み出すのか何も示されてない。これでは市役所の計画よりずさんである。反対したいがために都合の良い数字を並べているだけだ。計画を進めるために数字を出す役所と同じ低次元。

 民間の地権者がいるとすると資産価値が上がることになる。三島市が所有していても何にもならないことが、民間への売却、そして再開発による土地の評価額アップにより固定資産税の収入の増加、住宅による住民税あたりは確実であり、加えて商業による税収、経済効果は反対派が言う額面の比ではなかろう。だから焦点は商業が破綻しないかどうか。慢性的に足りなくなってきたホテルだが、富士山観光で御殿場線に加えて漁港など沼津のほうが優位だが、路線バスとなると三島になる。

 念のため、賛成でも反対でもなく、双方から間抜けな点を洗い出しているだけである。市議会もあるわけで市長のみで強引に進められる話でもない。そこで反対派の言い分に頭のご不自由なところが多く、「私を殺して…」なる下衆のパフォーマーより下回って見える。


 例えば、ありがちなトリックだが、三島市公共施設保全計画基本方針の中から使ってる。
本市が保有する建物施設について、建物の耐用年数を標準的な60年(建設後15 年で修繕、30年で大規模改修、45年で修繕、60年で建替え)と仮定し、耐用年数経過後に現在と同じ床面積等で更新することを前提条件として、専用ソフトを用いて改修や建替えに係る費用を算出したところ、今後30年間に総額で約830億円、年間平均で27.7億円が必要という結果になりました。
出典:三島市公共施設保全計画基本方針(案)

 この断片を使って、30年で830億円、三島市の年間予算の2.4倍だとか言ってるのだが、なんで30年と1年が比べられてるのか? しかも、これは三島市の全体にある公共施設の維持費(建設、補修・修繕)であり、本件で言う再開発の維持費ではない。

 三島市の年間予算が350億円ならば施設の維持費は27.7億円であるとしてから問題があるなら語らねばならない。だから、何を読んでいるのかボケって言いたくなり、三島市の資料には続きがあって30年現状のままならの試算であり、だからこそ人口も減るわけで圧縮、削減することが書かれている。

 ここもだが、こうして長文にすると正しく読まれず意図も汲まずに文句が来る。ちゃんと取扱説明書を読まずに機械が動かないとか電話するのと同じで、関連資料も含めてちゃんと読め。三島市公共施設保全計画基本方針は突拍子もないことは書かれてない。“割れ窓理論”にあるように現状では悪いほうにしか進まない。説得力のまるでない中止要求は意味がわからない。今ある戯言じゃなく、筋が通った納得させるデータを出せ!


 論じるならば事業内容、規模、額などではないのか。進捗状況から既に遅いが、なぜ計画中の情報を掴んでないのか。こんな大きな話が市議会で議論されてないわけない。それも監視してないし、議員とのつながりもないような孤立した団体なんでしょうか?

 探る上では双方の意見や主張を調べる必要があり付き合わせてみるわけですが、ちょっと話にならん。伊東で大規模太陽光発電事業が行われようとしてる問題を扱ってる個人のほうが桁違いに賢く、資料を提示し適格な意見を述べている。再開発事業の目的からすると、土地をいくらで売ったかなんて微々たる問題となり訴訟なんて脇でいい。まるで国会で野党がやる不信任案の提出みたい。根幹である再開発事業がどうであるのかであり、問題ありと主張するなら証明すべく資料と分析が提示されているか。そういう誰をも納得させるだけの事が提示されていない事を恥ずかしく思うべきだ。




・商店が不振ならば、それは店主の責任でほかの誰の責任でもない!

 悪いが真っ先に思ったのが、再開発地に入るであろうダメそうな商店の並びとボロ屋が土地成金になるから絶対に賛成だろうってこと。営業してるだけでかなりのお金が入る。表に出てる予想図からすると立ち退きが必要になる場所が含まれてる。

 シャッター通り商店街は、なるべくしての結果だと客目線で述べてきたが、使えない経営者たちに投資したところでお金をドブに捨てるようなもの。客が必要とする商品や質、見合う値段など使える業者に入れ替えたほうが市民として幸せである。

 「古い」と「汚い」の違いもわからず、また、時代遅れや自分の提供してる商品の質に気づいてないのに潰れる商店を生かそうとするから町ごと連鎖的に潰れてしまうのである。日本は社会主義ではないのであり、ダメな商店には退場していただくことこそ町を守り存続に繋がる。

 先日テレビ番組で花畑牧場の田中義剛が飲食店のダメな部分を指摘していたが、客からして実に適格である。古いと汚いは違うと書いたが、汚いと思える部分があって女性客のほうが近寄らなくなる。そして商店には真っ先に女性客が必要である。

 ではコロッケに例えて、旨い店の100円を買わずに昔からあって何の学習能力もない劣る店の150円を誰が買うというのだ?シャッター通り化するのはそういう店主が集まってたからであり、自覚しないまま他人の責任にするからである。日本各地にご当地コロッケというのがあるが多数派は一括工場生産であり請け負う企業が存在している。ところが元気が良い商店街ほど個々の店舗が独自に自家製造している。三島はどちらなのか?




・三島駅前に商業施設は必要か?

 住居も必要だが三島市に足りないのはマスメディアで有名になった お隣の「長泉町」との違いである。長泉町も下手に住民が増えたら大きな事は言ってられなくなる。なぜなら長泉町を潤しているのは存在してる複数の工場であること間違いなしで、その割に住民が少ないから手厚い住民サービスが行える。三島市の計画は市全体として、こうした住みやすさまで考えてから再開発事業計画したとは思えない。長泉町と違って人口が多いから工場では無理で別の商業がベッドタウンになるか。

 熱海に比べたら三島には多く行ってないが、主目的が終わった後に観光客は行かないような住宅地や商店街を長時間も廻ったことがある。駅前なら北口と南口を一周もしているし、三嶋大社どころ柿田川まで歩く奴は俺以外に観光客の1%もいないだろう。そこでだ。北口から南口へ通り抜けられないと言うが、そんな駅は東京にだってある。徐々に改装によって減ってるが、それまでは離れた地下道やら駅の脇の道路まで廻る。車社会に毒されてない都会人は歩くのが苦ではないが、あれくらいが問題だとしてるほうが不思議に感じた。

 上記で示した商店の能力のなさのうちであるが、世の中における自らの立ち位置が見えないから三島駅に南北自由通路がないのを原因にしてるのではないか。以前に分析済みだが、駅の構内を突っ切りたいと思うような住民が多数いるとは思えないし、突っ切りたいと思うような人は既に定期券を持ってそうな人たちである。北口の前には工場と学校が進路をブロックしてるよう占めてるから駅構内を通行する必要がない。工場の北側には別の商業圏も形成されている。

 工場に移転されたら三島市の財政は更に悪くなるだろう。東京であったなら駅前の工場は不要で、私が生まれた頃までには駅前という一等地にあった多数の大きな工場が移転したが跡地が公園でも役所の維持には問題ない人口という特殊事情。平均的な市町村だと大きな工場があったほうが町が潤う。三島市の隣の長泉町の住民サービスが行き届いてるから転居者が増えた理由には町の潤いがあるわけだが、その理由が複数の工場であろうと考えると、三島市は住民が増えるでもなく財政を維持するには移転どころか、場所があればもっと工場を誘致したいくらいでしょう。


 私がずっと墓じまいがあるように「町じまい」しなければ住民サービスおよび民間事業も維持できないと書いてきた。地方が生き残る策のトレンドが「コンパクトシティー」であって、離れて住んで過疎化して朽ち果てて誰もいなくなるまで離れて暮らすことで市の財政を圧迫する。地方創生には市町村を潰す前に積極的に集まることが必要。人口が減るのだから集まれば公共事業や施設にかかる費用が著しく下がり、お年寄りの買い物難民や病院まで遠いこともない。災害が多かったが、一般論として土地に固執しすぎ、とんでもない所に住んでおきながら災害が起きたら文句をつけるまで自己中へと成り下がった。都会における「道路作るから立ち退け」とは違って自主的に行えることなのだ。

都会の集合住宅は単に土地がないからで、田舎の集合住宅は孤立を防ぐべく集まるためにある。

 地方の場合、それほど高層化する必要もないが規制範囲内で容積率をいっぱいに作ったほうが分譲マンションとして出しやすい値段にできる。予定されてるホテル・住宅棟の高層ビルは、お約束の99.5mと100m未満ギリギリと建設コストを浮かすために違いない。

 61.0m と 99.99m なら同じ基準だが 100.1m なら建築基準法および消防法により耐震基準は上がり、更に [R] じゃなく [H] なヘリポートの設置が義務づけられる。99.9m と 100.1m のビルは見た目でわからずとも全然違うことになるから例えば100mを少しだけ超える建物があったら建設コストが上がり売価も高くなるが、そうでも作ったのだから素晴らしく感じるわけ。

 基準ギリギリは事業者の儲け話で起きる。1階あたりの高さも重要で高さの割に階数が多いと天井が低い・床(壁)が薄いとなり買いたくない。日本中で行われてる儲け話の結果だから避けるのは自分が施工主になるしかない=無理と言われてる。これは個人的な不動産評価でした。何かと問題が起きるのは、例えば家(住居)と一世一代(いっせ・いちだい)の買い物だってのに資格を取るくらいの意気込みがないのが多すぎること。これで素人扱いされ付け込まれる。欠陥やハズレを引かないためにも担当者に対して「お前の知識じゃ話にならん」となるくらい武装は必要。こうした考え方があらゆる面で必要。


 現在の再開発事業においてJR三島駅における北口と南口の自由通路にまで至らないのは計画がJRと一体になっていないから。そこまで計画を膨らませたら三島市では維持できる公算がないというのもある。私が述べたよう公共事業費の支出が減るよう三島市の過疎部から全員が退去して市の中心に向かって集まってくれる好都合な条件が必須となる。そうなったとしても三島市の経済圏として継続的商業が成り立つのは無理かと思う。大きな理由は車社会の地域だから。



 地方が生き残る道をまじめに考えてきたのは何十年と都市生活不適合者が東京に来て道徳をねじ曲げてきた事に怒り狂いたく都会に出てくるのを絶対阻止したいばかりかUターンさせたいから。よって固有の儲け話も許すような間違った意見を出す気もない。悪代官と越後屋が生まれない“公平”な地方創生論を求めるのみ!


 新たな情報があれば続けたい話である。最近話題にならないが再開発と言えば沼津のほうが先に揉めてたか。韮山反射炉の入場料100円を500円に吊り上げたハコモノ行政をやりやがった奴とか、伊豆高原のメガソーラー、下田市役所庁舎、また別角度で台風被害などなど伊豆も問題だらけである。
| emisaki | 2018-08-12 Sun 21:31 | 生活::暮らしと社会問題 |
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