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路線図と称する停留所一覧は困る@交通
 過去に都道府県名も書いてない市町村のウェブサイトや電話の市外局番を省略してるのが全国各地にあり批判したが、そこは改善されつつある。

 ところが全国的に旅先を調べてると困るのがバス停留所の名前から場所が全くわからないことで、路線図と書いてあるから見ると停留所名一覧で残念に思うことが多い。そこで無償の都道府県地図の枠を使って道路と場所を描いてみた...


 即興で描いたよう、手書きのやっつけ仕事なので品質の苦情はお断りするが、本来ならば自分が旅するのに使うだけなので著作権は関係なく市販やネットで見える正確な地図を印刷して書き込んでしまえばよいのだが、全国に訴えかけるために実際に作ってみようと思った。尚、現地でネット接続環境があり地図が見えるような端末を持っていることは前提としていない。


【全国各地に見られる一般論として】

 市販の地図が使えないことが多いのはバスの停留所まで掲載されてる地図が少ないこと。掲載されているような地図は持ち歩けるような大きさじゃなく、自動車用ならバス停の掲載は意味がないという相反することがある。

 地図は年単位で変わらず置いてあるようだから廃線や変更の多いバス停まで掲載していると精度を問われるのであえて掲載しないのだろうか?これはインターネットに頼る以外になくなった。私も品質向上のため協力通知している記載内容の違いは紙の地図であると出版し直しかない。


 例にしたよう山奥だとGoogleも未踏の地が多くバス停の存在を確認できないこともある。またストリートビューは自動処理の誤動作によりバス停の標柱に書かれてる名称にボカシがかかってることがよくあって困る。通常でも離れてて解像度が低く読み取りにくいからボカシがかからない距離に移動すると解読不可能。ストリートビューがあってもバス停の標柱が存在しないところすらあるから万能ではない。いや、残されてても管理がなされず既に廃線ってことも有り得るから運行元での確認が必須である。

 観光地もなく地元の人しか住んでなく管理する予算もないことくらい理解できるが、実際にどこを走ってるのかわかない次々と停留所名が連なってるだけの資料はちょっと勘弁してくれよ。地図の地名と停留所名が一致しやすいのは地名が細分化されてる都会での話であって、番地が4桁にもなるような広大なところだとバス停の名称は外部の人には理解不可能。中には、そこに住んでいる人の名前もあるからね。


 誰かさんのように文句のほうが多い批評雑誌で評価されたことがあるパソコン用ソフトウェアの取扱説明書を私が作ってきた方法は、「知らない過程から使う過程への流れを汲んでいたのをそのまま説明にした」からだと思う。

 「どーせ誰も読まない」って読まなくても使える代物を作ろうとするのは偉いがまだ無理であり、今までも誰も説明書を読まないんじゃなく「読めない」のを作ってきたことに大企業とて長年と気づけない奴らなのでした。

 説明書ってやつは開発者が作ることが多く、それを元にして別の専門業が書き直すことが多いだろうが、この流れが既に間違ってる。解ってる開発者が書くこと時点で腐った解説になるのだ。なぜなら、わからないポイントが何もない奴が誰も相手にせず妄想で説明するから。それで真っ当な説明書なんて書けるわけないじゃん。

 これくらいの例で解るだろうが、ようするに地元が作る案内ってのは熟知しているから何が不明かも解らず、何が困るのかも理解せず作ってしまうわけ。バスの路線だけじゃなく観光ガイドとかにも顕著に見られる間抜けなところなのだ。100%住民用でないのならば説明が足りなさすぎる。

  そうだからパンフレットは紙面の関係だとしてもウェブページを見ても多くの疑問が湧く

説明が足りてたら旅先を決めて計画を立てるのに俺はこんなに苦労してない。だって関係ページや各種交通機関にリンクすらないところ、大雑把にしかない観光地なんて大量に転がってます。観光協会のウェブサイトが機能してない田舎も多数ありますが、ちょくちょく更新してても地元の人間がやってる以上はダメなところが多い。

 観光ガイドなら熟知してなければ場所を知らないわけだが、その当事者が道のりとか説明をしてはいけないってこと。観光ガイドを制作する知らない人に説明してあげると作り手は客目線で不明点を加えることができるのだ。

俺にとっては当たり前に取るに足りないことすら日本中の観光地の奴は認識できない。
前から言ってるように客じゃないからさ。

 だから私が多くを知ることになった地域でも客という過程を踏んできているため、なんらしがらみのない説明をしてあげることができるのだ。観光案内所なんてのは裏で何か縛られている。役所のような組織なので力関係もあるくせに変な公平性で客が欲する情報を与えてこないこともある。

 たとえば紹介する宿とか内心知ってても優劣を表に出せない。更なる現実は地元の人が泊まるわけがないので地元に聞いても無駄。当事者の経験じゃなく別口の情報蓄積をもってして語れるだけだから。

 そういうことでは客の総合的意見のほうが桁違いに良いわけだが、結局は悪いしがらみによって観光協会ってのは客にとって有益な情報の出し方をすることができないわけよ。組織の意味を自らが否定しているようなもの。客には境界線なんて存在しないのだが、役所や付随する観光協会には境界線があるから使いにくいこと避けようがない。そっちがマトモだったら旅行雑誌なんて売れないよな。

 私たちは一つの情報源ではなく、個別の情報もインターネットという集合体一つとして選別と判断能力を持ってすれば有益な情報を得ることができる。

| emisaki | 2018-01-15 Mon 22:47 | 交通::情報・考察・計画 |
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