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電車マナーの変遷@京都新聞より
 「電車マナーの変遷、世相を反映 ポスターでたどる」という記事があった。結局は全てのことが私がずっと指摘してきた問題である「他人へ迷惑をかけない」概念を持っているかどうか一つに集約される。先日に取り上げた京都で発生した近隣トラブル事件と同じ集団生活の場の自覚のなさに原因があること。だからこそと言うべきか、記事によると各種PR活動に対して「押しつけがましいと批判の的にさらされる場合がある」と書かれてるが、そういうことを言う奴は自らの悪行を指摘されて逆ギレしてるだけな実に関西人らしい...

 記事の文末には私も問題視してきたリュックサックの問題が書かれていたが、記者は東京を正しく見てない。その件に関しては別の記事があって、そこで「関東では電車内のリュックの前抱えはかなり浸透していた」と書かれているが、全く浸透していません!

 ラッシュアワーでも背負ったまま堂々と乗車する田舎者で埋め尽くされます。東京という場にやってきてまでも田舎でやってきた自己中を続けるがためにベビーカーなんぞの不道徳ぶりまでも正当化させてしまった。先にいた田舎者の不道徳を後から来た奴らが見て

   総合して地方出身者(近代子孫も含む)が都会でしでかすことは、
   「赤信号、みんなで渡れば怖くない」 という不道徳を集団で正当化。

 記事にあった とんでもない勘違いはリュックサックの「前派」「後ろ派」として考えていたことであり、想定してなかったと書かれてる「手持ち派」こそが本来あるべき姿なのだ。人間の身体は胴体が最も体積を喰っているわけですから、前だろうが後ろだろうが場所を喰うことに関して関係がない。前なら見えるってだけである。

   リュックサック背負ったまま電車に乗るなんて言語道断! (混雑無関係)

 「他人(ひと)が見てる前に平気で立ちはだかれる奴」がいて、それは固有の人間じゃなく各地であり田舎へ行くほど高くなる確率で見てきたわけで、代々と集団生活の場を知らない人たちってのは教育とは違うところで本来持つべき能力を持っていない。学者が否定しそうだが状況証拠からも染みついた遺伝子が違っており、何が違うって「どうすべき事が正しいか」という考え方が教育を受けずとも勝手に発動するのである。
 そして人混みの中を歩くなら刻々と変わる状況を量子コンピューターが全てのパターンを算出したかのように見えてしまうのである。囲碁将棋の名人の域と同種の能力を本物の都会人なら誰でも持っている(いた)のである。

 もう一つ、京都新聞は専門家としてマナー教室の先生とやらに尋ねるから間違うわけで、東京圏と関西圏は最初から人間性が違っており、携帯電話が買いやすくなった頃、車内通話はするなって言うことを聞かず車内通話が多かったのが関西に行くと感じることだった。都市圏の大きさが異なるだけで大阪の市営地下鉄なんかの混雑も東京と変わらないから同じ集団生活の場であり、違いは他人への配慮である。

 人口の多さではなく土地柄からくる人間性の違いであるが、今の“東京人”は数において大多数が近代移民者であり「真の都会人」とは言えない。過去より出張やら旅して感じてきたことから大阪は土着性が強いにも関わらず交通モラルが低く他人に迷惑をかけようが自己中という我が道を行く連中が多いだけで、今となっては人種のるつぼである東京のほうが酷いって思うこと多々ある。

 迷惑をかける相手に出くわすかどうかが事件化する可能性を上げるわけで、大都会ではない地域で起こすようでは人間 終わってる連中がどれほどいるのかと思うと日本人でありながら世界が羨む日本に嘆く。

 当方として居住してないから大阪の事は何度も行ってた時代のこと程度で知ったかぶりはできないため転勤していた人からなど人づて情報も多くなるが、新聞記事というマスメディアであるならば東京の事を語るにおいて簡単に否定できるような甘い調査の記事を書くなと言いたい。

 関西人のモラルがずっと酷いだけで、東京は良くなってたのが近年のモラル(道徳)が低下した移民者によって地に落とされたのが今と言える。関西の交通マナーの悪さは氷山の一角で土地柄であるから人間性を変えなければ正すのは無理でしょう。当方の統計として悪さを注意して逆ギレされたワースト3が中国、朝鮮、関西人だった。次点が南方系の顔であったが地域不明は無視できるほどワーストの占める率が高かったのです。同じ関西でも大阪と京都が違うと感じてるのは表現性だけで、こうした記事が載るってことは交通道徳に関しては同じだったわけか、それとも東京のように田舎者の仕業なのだろうか?

京都新聞電車マナーの変遷、世相を反映 ポスターでたどる
京都新聞リュックマナー、なぜ東高西低 京都市営地下鉄で調べると




<追記 2018年7月23日:
 予想通りと言うか、北海道美唄市東5条北3丁目4?16 事件当事者の自宅アパート前で近隣トラブルによる殺人事件が7月20日に起きていた。だだっ広い北海道に狭いアパートって本文に記載した通り他人への配慮なんてことを遺伝的に持ち合わせてない育ちの人には無理だから起こるべきして起きた事件。

 どうやら犯人となってしまった人も警察に相談していたが仕返しを恐れて介入は拒んだようだし、引っ越しも考えていたとの報道もあり、被害者となってしまった人は元々クソ野郎だった気配すらある。本件の京都で起きた事件と人間としての類似点を多く感じる。

 ネット上で揉め事を探ればわかるが日本中で日常的に大なり小なり犯罪となる問題を引き起こしている。常に暴れてても迷惑をかける相手に出くわさなかっただけで、熊みたいなものだが人里に降りてきたら撃ち殺されてしまう熊のようにはいかないのが人間。田舎の人間は都会に出たり集団生活の能力がないと悟る必要がある。居住地選択の自由の撤廃と所払いの刑の復活がよろしいかと。この問題を考えなかったが地方での買い物弱者や住民サービスのために“町じまい”をして集まるべきだという私の考えは崩れてしまいそうだが、狭すぎるアパート(通称マンション)が問題だから地方なら狭くても一軒家は維持できるだろう。再教育は、まず無理。

| emisaki | 2018-07-22 Sun 07:44 | 交通::情報・考察・計画 |
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