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昔のドラマ「旅は道連れ世は情けねェ!」に見る平成初期の熱海
 キーワード「熱海」で自動録画されてた。当時から世は情けねェだったのか。いったい何年なのか映像から探ってみることにした。品川駅で特急踊り子、今の車両と同じじゃん。そりゃ脚のやり場がないって文句つけてきたのも当然。座席回転式で向かい合わせ窓側の真ん中に灰皿と小さいテーブルが付いてる懐かしの車両だもん。

 今はチャリンコでヒーヒー言ってる年寄り感の強くなった火野正平が若いけど既におじさんの年齢に見えた。萬田久子も出てるけど美魔女なので年代の指標にならない。あの人は何歳なんだ。どこかで見たことがある子役は日本人っぽくないクッキリ一重まぶたの長い顔で思いつくのは歌舞伎役者にいる。その子役だが美形ってわけじゃないし作品的に違うだろって写り方を何度もするので当時からチカラ関係か忖度なのか? そこはどうでもいいか。

 映像から40年以上前かと思ったら出演者からして思ったより古くない。何年に放送されたかは調べられず推定1980年代後半だろうか?それにしては古く感じてしまう。すごく若い水谷豊が出てた「傷だらけの天使」のほうが時代は古かった。 熱海のシーンを箇条書きしてみる...

<放送日判明により投稿の題名を変更しました>

さて、ほんとうのところ何年くらいの熱海だったのだろうか?

・熱海駅舎はつい最近まで古かったので年式判断は無理
・新幹線は走ってる (1964年からだから)
・駅舎の横の二階建てな土産物屋と食堂も2010年くらいまではあったからなぁ
・駅前に溶岩の山と豆汽車はあるが足湯がない
・改札口 目の前の旧タクシー乗り場に「ようこそ熱海温泉へ」の高さ10mくらいの構造物あり
・第一ビルに「雑貨・おみやげセンター」と巨大看板ってことは、それがあったの?
・第一ビル、駅から見て正面入口の右、西の角は喫茶店か飲食店っぽい(確証なし)
・第一ビルに旅館組合案内所
・熱海銀座商店街が栄えてるように見える (訂正:それでもバブル崩壊してたようです)
・梅園も大きく改装したのは8~9年前で年代指標にできず
・澤田政廣記念美術館がある (1987年~)
・糸川、ドラゴン橋がある (1985年以降 ※熱海まち歩きガイドの記述から)
・糸川がすっきり (ジャングル状態にしやがったのは最近だから)
・ヤオハンの時代 (ヤオハン → セイフー → グルメシティー → 解体)
・姫の沢公園の前の道路の歩道部分の構造が今と違う (途中の比較資料がない)
・シャトーテル赤根崎がホテルとして営業 (1975年~営業終了不明)
・イルドバカンス2世が映るが既に古くさい (何度塗り直したんだろう)
・熱海城から熱海後楽園ホテルが見えない (※タワー館は[1996年]平成8年7月21日 会社概要より)
・浄水場のある埋め立ては完了して更地状態で映るが岸壁は平ら
・居酒屋のシーンで梅まつり ミス梅の女王 ってポスターが貼ってある。着物だ。
・千円札が夏目漱石 (1984年以降 ※造幣局資料より)
・「温泉まんじゅう」って看板の常磐木羊羹店が熱海銀座商店街 国道135号側から3軒目にある
・熱海サンビーチができてる (完成してるか不明)
・パサニアクラブがある
・伊豆山神社の鳥居が赤 (今は焦げ茶色の鉄板が巻かれて木ではないかも)


 小さい頃に見たことがあっても全く記憶にないが駅前の「ようこそ熱海温泉へ」の高さ10メートルくらいな構造物があった場所、2004年に撮影した写真では木になってる。ネット上で見つけた1983年の写真には本件のテレビドラマで映る構造物がある。巨大なのがなくなり高さ3メートルくらい「ようこそ熱海温泉へ」と樹木にいったい何年に変えたのか不明。それらがなくなった駅前再開発は2011年から工事で目の当たりにしてるから知ってるけど。

 他のドラマでも見たがシャトーテル赤根崎だけが当時から撮影に協力的だった感じがするほどよく映る。ホテルだった時期は全く知らないが、私が知ったのは数年前に不動産屋のウェブサイトからで捨て値みたいな中古分譲マシンションという認識。熱海はリゾートマンションの管理費がバカ高なのと別荘税があり維持費がかかり、地理的にも生活には不便。私が転居を躊躇した理由。

 ほか、古いドラマや映画で街中や外観は映るものの中心街のホテルが撮影に使われてるのは今のところ見たことがない。熱海の旅行バブル、昔の人の新婚旅行先は昭和30年代とか聞いたことがあるが、日本経済としてのバブル崩壊までは何の危機感もなく宣伝する必要もなかったのだろう。だから昔の街中のシーンもニュース映像くらいの数秒しか見たことがない。射的やスマートボール場の中のほうが長く映ってたくらい。


 インターネットもデジタルカメラもない時代は古いテレビ番組からしかわからない。もっと古い写真が熱海銀座の柱に貼ってありますが変化がわからない。熱海だから日本中に写真フィルムなら残ってるんじゃないかと思うが埋もれて消えてゆくんだろう。何十年前と今って写真はよくあるのだが、その間の変遷となるとないんだよね。

 幼児の頃に熱海はテトラポッドだらけでの海岸で海水浴場は網代でもダメで宇佐美までバスで行った映像の思い浮かばない記憶があり、いったいサンビーチなる人工砂浜はどういう経緯で作ろうとし、工事の段階的な記録は見つけられなかった。昭和30年代の写真と次に見つけた写真は昭和50~60年代になってた。別途調査にて、熱海サンビーチ 1985年7月 部分完成、1988年 全面開業との情報を得た。


<追記 2018年6月27日
わかっちゃったんだけど 思ったより新しくて

   放送日は 1992年2月14日 でした。

昭和じゃないじゃん! 26年前って、そんなにダサかったっけ?




 都市部の幹線道路ならGoogleストリートビューが2010年くらいから1~2年おきに見ることができるが、だいたい住んでいる人って自分のところの記録はしないものだから。私も自分が使う駅の写真なんて撮ったことがない。観光客のほうが持ってそうだが、個別に持ってることになるから調べられない。

 大阪に行く度に通天閣を撮ることもないし名古屋に入り浸ってしまった時期にナナちゃん人形の写真をちょくちょく撮り忘れるようになったことからも容易に想像がつく。何か特別な行事でもない限り自分の学校や会社の写真を撮るかと考えたら全く撮らない。携帯電話にカメラが付いて簡単に写真が撮れるようになっても変わらない。

たまに行くと写真を撮るようになるが、そこでも大きなところしか目が向かない。



<スピンオフ1> そういえば買い手がついた aune だったところは熱海パールスターホテルと早くも名前が付いてる。5つ星クラス?てめえで決めるなーってのもあるが5つ星をなめきってるようですな。高級ホテルの従業員って公募で集められるようなレベルじゃない。お家芸の盗みなら引き抜きが絶対条件。一流ホテルって自分のカネでは行かないが仕事上で行ったところ、まあ、することなすことの次元が違いますからね。設備が豪華とかそういう問題じゃなく某国の人間が最も持ち合わせてないこと満載。

 最初っからクチだけはデカイく自分から敷居を上げすぎてしまったことで、がっかり観光地予備軍にされては地域として迷惑となる。敷居は下げて行ってよかったと思われたほうがはるかにイイのである。本当にフォーシーズンズ、リッツカールトンになれたら絶賛しましょうぞ。まだ開業もしてないが状況から怪しい空気は漂う。日本人が良いように使われそうで怖いのは、日本の安宿のレベルの高さと比較して海外はカネ次第で通常ホテルのレベルの低さがあるからだ。熱海として廃墟にならずよかったではなく金儲けの匂いしかしないと要注意か。




<スピンオフ2> ドラマの年代を調べたいものの違う資料ばかりが出てきて、そっちも気になってしまう。「女ホテル王」なる新聞記事でニューフジヤホテルの当時の総工費35億とか40億円とも書かれてた昭和38年末の記事。その年代の周囲の状況を考えると今でいう駅前の高層マンションが目障りだって思ってるのと同じくらいの建物だったでしょうね。



<スピンオフ3> 結局は高度成長期の熱海バブルのままダラダラ経営で時代の変化への対応能力がなく人手に渡る。多くが同じ結末を迎え、たぶんバブル末期に計画されたからバブル崩壊後に開業があるものの、そこから10年間で多数の観光業が多額の負債を抱え倒産してる。そこから経営権の流れで、なんで私物じゃなく市物になってた梅園なのに2002年に○○庭園が作られることになったのか胡散臭いところが見えてきそうだ。そこらじゅうが居抜き屋 伊東園ホテルズ。そうなる前に従来の経営者の脳足りん!と怒っておく。大江戸温泉物語とて私が忌み嫌う投資ファンド(外資)の配下だし、太陽光発電事業の後ろにいる奴らに多い件もあって日本の復権がなく経済回復しても苦労せずカネだけ動かす連中によって吸い取られる事例ばかりが出てくる。



 なんだかんだ古いって見つかる写真も新幹線が通ってる時代のばかりだから古いんだか新しいんだか? 首都高が50年以上で老朽化して工事ってように生まれる前から走ってた新幹線も古いってことか。そりゃ外国人が日本人は宇宙人だって言うわけだ。欧米人だって人殺しの道具を作ることなら得意じゃないか(全然お世辞になってません)。


 自分の記憶にないけど小さい頃は熱海の海岸は泳げる余地もないテトラポッドだらけだったようだから人工でも砂浜を作ったのは正解と思う。ただし、欧米化のヨットハーバーや親水公園の作りは大間抜けだと精通した今でも強く言いたい。熱海大火があったから短期間で朽ち果てることも知らずコンクリートの選択をしたのが間違え。コンクリートだって火事になったら使い物にならないが、江戸の発想なら木造なら壊して延焼を防げ、すぐ建て直せ、正しく管理すれば長持ちする。今からでも遅くないが、町ぐるみじゃないと意味がない。伊勢(おかげ横丁)や犬山城下町みたいに近代になってから江戸時代の街並みを復刻させ集客力を上げたわけだが、熱海は温泉地であることを理解せず湘南の後ろ姿を見て追いかけた。


 いまでも花火には興味があるがその土地には興味がない所は多々あって、熱海という町も “愛しの八重歯ちゃん” に出会わなかったら興味を持つことはなかったでしょう。だから2009年以前って花火の夜の記憶と小さい頃の記憶の断片しかない。
| emisaki | 2018-06-23 Sat 13:21 | 熱海::情報・考察・批評 |
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