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報道されないだけで日常的な自転車での殺人的行為
 今回伝えられた事件は茨城県つくば市であるが危険性は東京で毎日のように感じる。そして、殺人的運転をする奴らは自覚症状がないから怒っても通じない。ちょっとよそ見する歩行すら危ない大都会東京にも大迷惑を当然のごとく持ち込み侵攻してくる。不道徳な部分において旅行なら仕方がないと思うところもあるが違反は誰でもどこでも犯罪である。

 報道も能力のなさを差別だと思い込んでタブー視するのをやめたほうがいい。違反、すなわち犯罪者ですよ。都市生活不適合者どころか都市圏でなくても他人がいる集団生活の不適合は、間違った核家族化が生んだと考えている。本日もテレビ番組で田舎の子が恐ろしいことを言ってた「(バスに)誰も乗ってないから騒いでも怒られない」。そんな概念を持たせて育つから社会に出たとき人間のクズに成り下がるのである。だからこそ能力がないことを認め、社会という集団生活を知ることから始めなければならない...

 そうして育つと、誰もいない → 誰かいても誰も見えない に変化する。規律を守ることは誰かいるか、いないかは関係がない!誰も見てないからいいやって思った瞬間に人として終わってる。これが不法投棄を多くしてるよう地方の病。

 誰か見てようとも不道徳行為を働けるのは終わってる連中だけで、普通は人目につくところで悪いことは起きない。それは罪に自覚があるからで、自覚がない、もしくは、外国で略奪行為なんかに見られるよう倫理の欠如が起きてるとどうしようもない。

 インターネットの普及からSNSにて見かけるようになった異様な自分ルールも他人との関わり合いを知らぬ連中が大量に解き放たれた末路である。ネットは近年だが、歴史的に集団生活の場を知らぬ大勢が都会人のフリをし始めたのは昭和からである。


 全国ニュースになってないことが多々あって、静岡県のニュースから拾った浜松市で歩道上で起きた事故(事件)は歩行者は軽傷で重過失の加害者の運転手(高校生)が自滅することとなったが、その高校生の親は死を悲しむではなく恥じなくてはならない。

 そう思えるような親がいたら、それ以前に戻って真っ当な子育てができただろうが、地方となると親自身にまるで自覚症状がないので教えようがないのが大問題なのである。一般的な道徳性は近代にかけて落ちてきたが、世代を戻したところで理解できないこともある。

 最初から全員だとは言う気もないのだが、「自覚症状がない」って指摘してきたように理解できる人は希に見る存在なほど少ない。そこで救いだが、先日、テレビ東京「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」にて秘境駅の利用者を探す企画を放送しており、電話するために下車した学生がいたのだが(不道徳者ばかりだから素晴らしく見えるのだが本来は当たり前)、東京都近郊の学生は車内通話から地ベタ座りなど阿呆どもばかり見かける。単に都心部はその行為をする余地がないだけだろう。そうなるとテレビで見た少年は逆方向に移民した子なのかとも思えてくる。

 旅番組からわかるように田舎の人が悪い人ではなく、能力がないことで何が悪いのかさえ気づけない。単に集団生活の場を知らぬから他人との関わり合いや配慮という状況判断能力が欠如しているだけなのだ。どうすべきか遺伝子には刻まれてないから幼少期から大脳に刻み込むしかないのだが、仮想(言葉だけ)の教育では不可能だとの結論を出したい。学習だけで済まない証拠は子孫が都会で産まれても何も理解してないことがある。


 念のため、こういった怒り事は加齢症状ではなく、本物の都会人同士のなかでは若い頃からみんな怒ってた。今でこそ強制的に並ばせているが、銀行のATM、電話ボックス(当時)、買い物の支払い(レジ)など列の並び方も知らない奴らと。いつ行っても自分一人だけしか客がいなければ場面に遭遇しないが、レジが2つで3人並ぶことがあれば遭遇することで理解しなければならない。スーパーマーケットは空間の関係で1列に並ばせていないがコンビニでは採用してる。番号札を配らないと順番に並べない奴らが増えたからこうなった。店の買い物は概念を持っているかどうかの例であるが、交通ルールであれば法律なので赤信号は誰も通ってなくても赤は止まれである。





2018年6月25日 つくば市の歩道上で起きた事件が今頃になって伝えられたが、

・無灯火 (灯火義務 第五二条)
・歩道走行義務違反 (第六三条の四の2)
・安全運転義務違反  …複数の違反 前方不注意など
・速度超過の可能性が高い

ぶっちゃけ道交法はどうでもいい 胸くそ悪いほど迷惑なだけ それを集団で平然と行ってる!

 無灯火だが、「街灯ある都市も夜は暗い」が理解できない人種のほうが東京で多数派を占めてしまった。「ライトは暗い夜道を照らすもの」だと思い込んでいるようでは話にならない。

 歩道も特定条件下でやむを得ず歩道を通行する場合、徐行義務「徐行=のろのろ運転」の必要があるが、事故の報道からすると歩道だから「走行」が認められる場所ではない(歩行者の危険回避から自転車と別けられている法律上は歩道)。

 ヘッドホンステレオは明示されてとか言うアホがいるが、これに関してはいちいち記載できないほど違反行為があるので書けない。あまりにも酷いため後になって運転中に携帯電話などの使用禁止が明確化されたにすぎない。よってヘッドホンステレオは周囲の状況判断を阻害し、ながらスマホは前方不注意であるから以前から安全運転義務違反で取り締まれる。自転車は免許による反則点制度がないので略式起訴にて即座に前科者だから見逃す警察が更なる悪を生んだ。

 前方不注意は「ながらスマホ」なんだから当然で前なんて見てるわけがない。速度超過に関しても被害者62歳男性で死に至らせるには徐行してたとは考えにくい。


これらの罪状のうち、全部または複数の違反は日常茶飯事で、

   毎日、大勢の人間が犯罪者!

であることで麻痺して違反=犯罪だと思わなくなってる。

 以前、南千住で細い歩道で危ないところを走行してきやがって罪状を述べてやったのに「お前がどけ」と言ってきた南方系顔のクソ野郎がいたが、言い放った時点で現行犯である。歩行者往来妨害罪でベルを鳴らしてどかしても同罪。

 勘違いする奴が増えるのに、歩道上で歩行者と自転車を別ける行政のバカ行為がある。あくまで歩道は歩道なので、自転車と書いてあっても「走行」することはできず「徐行=のろのろ運転」しか認められないし、安全性のため別けてるだけで区分に義務は生じない(全部歩道だから)。自転車は車両である以上、車道であり歩道上で区分してはいけないってこと例え東京の役所とて都市生活不適合者の連中にはわからないのです。


 なぜ歩道を走る?と尋ねたことがあるのだが、車道が怖いとの自己中な回答しか聞かない。自転車が過保護扱いされすぎて歩道走行が違法を知らない奴も多すぎる。正確には2016年まで有無も言わさず違法だったのに警察官を含めて当たり前に走行していた。常態化が改悪を生み特定条件下で通行が認められた。こっちから見れば通行量が多いだけで車道のどこか怖いのか理解できない。客観的かつ絶対的な判断として地方の運転手のほうが恐ろしいからである。無論、その人たちが都会に流入して怖いのもあるが、混雑が安全を生み出している。

決定的な違いは、

  いつでもどこでも誰かいる / いつも誰もいない

という潜在意識下に刻まれた違いである。これによって安全確認能力が天と地ほど開きが出る。事故が少ないように見えるのは単に他人と出くわさないだけで、出くわした時に必ずと言ってようほど大事件(事故)になる。それなりに広い道なのに車線はみ出して正面衝突ってどういうことなのか? 逆走状態なんて有り得ないと思うのはこっちだからで、スピード違反が常態化している地域だと普通ってことになる。それが北海道なんかでちょくちょく起きる事故である。


 予期でき避けられるのにしでかす殺人的行為なる狂人への刑事罰は恐ろしく軽く、報道された重過失致死傷罪は「5年以下の懲役または禁固か100万円以下の罰金」でしかない。民事訴訟にて賠償金数千万円の判決が何度か出てるが、確実に支払われ加害者が生き地獄に落ちる保証はない。

 同種のことで今年2月の新百合ヶ丘で、右手に飲み物、左手にスマホ、ヘッドホンステレオ(左耳イヤホン)にスマホ画面見ながら走行で歩行者を死なせた重過失致死罪の女子大生に下ったのは、たったの禁固2年、執行猶予4年とブタ箱も見ず車両を使えば殺人的行為の刑罰は実に軽い。

 裁判で加害者の自転車の算出速度が時速9.3kmとされていたが、条件下で歩道通行可能な場合も徐行のみで、自転車の徐行とは時速5km以下だと道交法が改正された際にテレビの取材にて「警察庁」が見解を出している(都道府県でも所轄レベルでもないことに注意)。

   やむなく歩道を通るとき、自転車は のろのろ運転 しか許されていない!

そもそも、こうなった悪の根源は集団社会構造を知らぬ連中が都会に出てきたことであるが、法律の改悪として「道路交通法第63条の4(普通自転車の歩道通行)」にあり、改正されるまで自転車=車両は歩道走行は違法だった。

 自転車は歩道を走るって思ってる連中は、信号においてわざわざ横断歩道上を走ろうとしていることからも明白である。ちなみにサツのチャリも歩道や横断歩道を堂々と速度超過で走行する。そういうやつらだらけで世間にしめしがつかない。前に目撃したよう携帯電話を操作しながら運転してた警察官もいたくらい。

 判決では反省の弁を述べていると記載されているが、ネット上で裁判の傍聴者とされる投稿によると飲み物を持っていたのとイヤホンは当初隠蔽/大学から勧告で真の自主退学じゃない/人殺しは自分の子なのに父親のマスコミ非難/何かと保身ばかりとあり(この傍聴投稿の信頼性が高いのは報道が伝えてない具体的な事が書いてある)、更にネット上では事件後に花見してる投稿とあった(2ヶ月くらい前に殺人的行為をしたとは思えない楽しむ写真はあったが、既に削除されたか花見自体の画像が見当たらないため疑惑レベル)。

 遺族のインタビューを要約すれば、被告は反省してない(真っ当な謝罪もしてない。基本的に裁判前の手紙は弁護士の悪知恵だから。弁護士は間違えており加害者すらの権利を守るのは刑罰を軽くする小細工をすることではない。そんなことするのは悪徳)。判決は軽すぎるであった。

 日本国として性善説をやめる必要があるに続き、事件では被害者をないがしろにして更生なんて重視するのも終了せよ。お前の未来なんていらねーんだって奴らが守られすぎてる。

別件で今の子があるのは親から腐ってるのだと訴えかけてきたことがよくわかる事件。

 一生罪を背負えるような奴であれば、そもそも運転しながらスマホ、ヘッドホンステレオで音楽に、片手にジュースなんて異常行動、いや、そのどれか一つすらしないのである。もっと細かく言えば、歩きながら店の陳列を見る奴がいるが、何秒もよそ見しながら歩くなんて勝手に死ぬのはいいが、死ぬにも迷惑であるし加害者となれば更に迷惑を理解できない人種。こんな簡単なことが解らないことに、人間として下だと劣等感を持つべきである。


   注意すれば悪態をつく奴らが多々いることから、
   更生なんて不要な人間のクズは実に多い!


飲酒運転など、いくらバカであっても車両であると過失という言葉で片付けられてしまうが

  ここで取り上げるのは故意で過失にあらず、交通事故じゃなく無差別 殺人事件!

そうじゃなければ被害者も死にきれない。


 是非とも実現してほしい提案があるが、交通違反(限らず)の罰金は収入および資産に応じた率にして額も上げて徴収すれば消費税上げなくてもよいくらい財源が確保できますよ。その財源がひっ迫したら日本が素晴らしい国になったってことですから。腐ってる外国と比較して自己陶酔してはいけない今の日本人は落ちぶれている。


 歩行者で大量に見るようになったが、ヘッドホンステレオで音楽聴きながらスマホ操作を格好イイと思えるのは劣等種族で、それがクソ野郎にしか見えないのが本物の都会人だということを知ったほうがよい。

「他人の迷惑かえりみないクソ野郎です」という見えないレッテルを貼ってすまし顔で歩いてる。
歩いてぶつかっても死なせる可能性はあるわけで、自転車や自動車なら最初から殺人的。

 こっちだってジジイじゃないんだからウォークマンはあってアナログテープじゃなくDATやCDだったが、運転などに関わらない移動中の利用であって歩きながらなんて信じられない。音漏れしないも当然の配慮。これらを理解できない人間が急激に増えてしまったのが、あらゆる問題の原因となっている。


 うちの方でもエアコン室外機の通常とは思えない騒音(その場での音量よりも共鳴、共振現象)が問題になってるが、アパートでの近隣迷惑から起きた事件で書いたが「自分がする行為に対しては無頓着で、受ける行為に関して発狂する田舎者」をタブー視してると本当に世界が羨む日本が終わります。
| emisaki | 2018-08-26 Sun 12:03 | 生活::暮らしと社会問題 |
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