2025-04-29 Tue


長良川から分岐させ長良川に戻ってゆく農業用水路でしょうか?本当の川と違って各所で直線だし直角にも曲がってる。近代化して曲げたのではなく水路に従って家が建ってる。斜めで直線状じゃない部分は農地ではなかったのか?
改めて地図を見て気になったのは西柳ヶ瀬アーケード商店街が終わったところ岐阜市春日町1丁目12西柳ヶ瀬コミュニティ広場「輝き」を中点に斜めに通ってる道。水路だったか暗渠になってそうな匂いがプンプンしてくる(言葉の綾、実際に匂わない)。
もう10年前だがイベントの合間にウロウロしたときは全く気づかなかった。
南部は岐阜市徹明通8丁目10まで道路を負うことができ、岐阜市鹿島町1丁目1(Googleストリートビュー)にて表に出るため暗渠だったことが解った。
本荘公園で曲がって抜けると暗渠になるが、車道を辿ると岐阜市本荘西1丁目179で見えるようになる。岐阜市本荘西4丁目46−1にて再び暗渠になり道路上の蓋を負うことになり太めの道路にぶつかって見失いそうになるが岐阜市西荘2丁目11−8で見えたら地図でも水色になってるよう表に出ていて論田川ってのに繋がっていた。
北部は途中で見失ってしまいそうになったが変な曲がりをしていて岐阜市役所の西側の住宅地を通り、また東へ進み市役所の北のメディアコスモスなる施設の西側から斜めに北上、忠節用水分水門跡になったが北へ向かって長良川に取水口が見当たらない。
長良川に近いのに水路は東へ進み山にぶち当たったところで北上してた。山に沿って進み、岐阜市伊奈波通1丁目46にて見えるようになり、更に山沿い岐阜公園の北側で長良川から分岐した水路から分水されていた。大々的に埋められてしまってないため暗渠にした上の道路には数々の蓋が設置されており非常に追いかけやすかった。
自分なりに地図を見てからネット検索したら調べた水路の分岐がアクアージュ柳ヶ瀬であり、商店街の通路が暗渠の上なのか柳ヶ瀬グラッスル35を回ってる。南側には地下駐車場が作られてるが避けるよう西へ進んで金町自転車駐車場の下が暗渠と思われ、道路を西へ横断して斜めの道、繊維問屋街のどこかを抜け忠節橋通りを南下してJR東海道線沿いに通ってる水路に接続。そこから東へ岐阜駅の南口で見た清水緑地に繋がっていた。
| emisaki | 2025-04-29 Tue 12:25 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-28 Mon
→ 小松川境川親水公園@東京都江戸川区を探るから続く前回に続き地図上で上流へ移動したら気になるところが多々あった。葛飾区小菅四丁目 レンゴー葛飾工場を避けるように水路があった。元は直線状だったのかと思ったら違っており、北部に大きく蛇行して現在の綾瀬駅に達しているため1950~1960年の間に邪魔だから途中で接続して現在の流れになってた。
→ 地理院地図 > 東京都葛飾区小菅四丁目付近の1936~1942年頃の航空写真
先っぽは北部の水路と接続していて、痕跡は残っていてタワーマンションが建った東側の細長い公園が水路。駅の南部へ通路および自転車置き場(区営綾瀬南自転車駐車場)として蛇行した状態で残ってる。小菅四丁目19番地の南側の水路に穴が見えるため暗渠となり繋がってそう。
堀切橋(東京都足立区千住曙町~葛飾区堀切四丁目)あたりだと1928年の航空写真がなく、1936年以降だと荒川放水路が完成してしまってるため推測になるが、荒川放水路を作ったことで綾瀬川は隅田水門があるところで隅田川へ繋がっていたように見える。
中川(旧中川)の蛇行からして綾瀬川は直線的すぎるため更に昔に人造だったのかもしれない。そう思う理由として過去を見通せる構造が近くにある。
自然なら三日月湖だが荒川放水路の人造によって地面になったと思われるのが、下流から上流(北部)へ足立区柳原1丁目37、柳原1丁目36(足立共済病院)、柳原1丁目34、柳原1丁目30、柳原1丁目1、柳原2丁目1~5、柳原2丁目53、柳原2丁目54で荒川放水路で見えなくなり、先は、葛飾区小菅1丁目2−1小菅西公園だが過去の痕跡は見えなくなってるが川としか思えない。
見えぬ川は荒川放水路沿いに蛇行していたのだろうか?作りやすいところに作ったに決まってるわけで、最適解なら荒川放水路は今より直線的に作るはず。少しでも安上がりにするなら誰か住んでいても立ち退きしやすいルート、元から川を利用するでしょう。
東京都から出て埼玉県となるあたりの隅田川(荒川)も蛇行してる痕跡は現在の地図からも見える。蛇行してる頂点を繋いで直線状にしたのが新河岸川(少なくとも都内は人造)でした。東京都板橋区舟渡2丁目14 浮間公園は蛇行した部分が残った部分。その他の川底や蛇行を止めて生まれた土地には住居こそ見られないが倉庫や物流センターが建ち並んでいた。現在の日本金属板橋工場の南側も工場だったが、今は巨大な物流倉庫になってる。
戦時中からある工場が移転で住居になったのはUR都市機構豊島五丁目団地、テレビ番組でやってたがUR都市機構ハートアイランド新田なんて名前を付けたところ、過去に工場が建ったの戦後の話。工場は1996年に操業停止してるため2000年頃から建ち始めたのだろうが、最寄りの鉄道駅(王子駅、扇大橋駅)まで約2kmと都会人には無理な立地条件。
晴海、豊洲のよう都市生活不適合者が住むためチャリカス軍団が登場して迷惑地域になる。近くなら赤羽駅の近くに団地を作ってから酷くなった。ほか武蔵小杉を代表とする高層マンションが建ち並ぶ地域って秩序瑕疵物件、ある意味で心理的瑕疵物件なのだ。お化けより生き霊のほうが恐ろしい。
小さい頃から新聞の折り込みチラシを見るのが好きだったが調子が良いことしか書いてないため、一世一代の買い物をするならばお金を投じても調査が必要。東京23区内なんかで有り得ない閑静な住宅地を求める都市生活不適合者は同族が集まってくれたほうが迷惑にならない。
物件を探すにおいて天災を考慮して昔を探るよりも見えない人災こそが恐ろしい。事件を例にするならば、生卵を投げ続けてくる奴が隣だったら? ヤンキーのクソガキに親も親ってチンピラ一家だったら? 道路族(現代の意味)を叱ったら周囲が嫌がらせを開始したら?
家の間取り、近くの商店なんてより桁違いに重要なことがある。
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-04-28 Mon 12:37 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-27 Sun
気にしたことあるけどCBCテレビ「道との遭遇」に影響されてしまってるな。江東区や墨田区ではもう今の地図では解らなず江戸川区だと痕跡が残ってるため古くは農業用水路、戦後の工業時代(汚染)にはドブ川だったの追っていた。
江戸時代に作られた浦安、行徳から運搬用の水路、今の江東区で小名木川、江戸川区で新川は解りやすい。昭和の海岸線も新左近川親水公園、市川野鳥の楽園、船橋港親水公園、ららぽーとTOKYO-BAY(船橋ヘルスセンター)、谷津バラ園(谷津遊園)の南に谷津干潟。ねずみーランドなんて昭和でも海の底。真偽は不明だが失敗しても宅地にするからって小さい頃に小耳に挟んだ。
江戸川の河口部の支流なのか古川は古川親水公園として全域が見えていて、境川は一之江境川親水公園として更に長く新中川まで繋がってるのが見える。実際に水路としては繋がってないでしょう。
新中川は人造のため東側を探すと都営住宅の縁に水路(椿親水緑道)が見えるが、そこから先が見えなくなってしまった。都営住宅を建てるため水路を曲げたと考えられ、椿西通りも怪しいが突然に直線状態は考えにくく、更に東に斜めに建ち並ぶ家屋のほうがもっと怪しい。
戻って江戸川区一之江5丁目12-4 カンタンの里で鋭角に曲がってるのは異様で、北へは区民農園 西一之江第3、江上しらさぎ公園のほうからも水路があった感じがする。
江戸川競艇場があって、小松川境川親水公園が荒川によって消えてしまう部分が東京都江戸川区西小松川町1−31だが西は中川(旧中川)につながってただろう。
北上して今井街道と接する小松川境川親水公園、更に北上すると江戸川区役所の北側に住民立ち退きによって拡幅して作られた道路が接する八蔵橋交差点付近、更に北上すると東へ向かうのと葛飾区との境界に分かれてる(南下で見れば合流)。
東は入り乱れ交差点の菅原橋を過ぎて新中川の小岩大橋までが見えてきた。下小岩親水緑道に繋がるのかどうかわからない。
江戸川区と葛飾区の境界だが新小岩四丁目の鹿骨街道までは公園になってるが、そこから北は道路の完全なる暗渠、途中で分岐なのか、どちらかなのか怪しい場所がある(Googleストリートビュー 上流向き地点/下流向きの地点)。
だが、もし存在したとして総武線沿いに直線的なのは昭和の戦後に作ったドブ川だと思う。総武線を越えて北へ向かってるかもしれない(Googleストリートビュー)。総武線が通る前の地図が見つからないため不明。1945年頃だと総武線沿いに直線な人造水路、少し蛇行した道路が自然の水路か。
葛飾区になると人造感が増してしまう。旧中川を両脇にして斜めに西井堀というのと、亀有駅付近に続く曳舟川ってのはかなり直線に近い。
過去の綾瀬川がどうなっていたか不明だが、もし隅田川につながっていたなら曳舟川通りがあるように今の葛飾区から墨田区へ水路があったのかもしれない。
1936年頃の写真にて、今の亀有駅から斜めにある「曳舟川親水公園通り」は四つ木付近で分岐して墨田区の曳舟川通りへと東武亀戸線 小村井駅の西側を通る道が昔は水路な模様。狭い路地でもないのに「八広はなみずき通り」が近くで平行だから怪しいと思っていたんだ。
古地図から見えてくる東武伊勢崎線や亀戸線が意外に早く明治35年頃には開業していたのだが、荒川放水路は長期計画じゃなかったのか線路が移動させられてた。
鐘ヶ淵駅から堀切駅の荒川沿いが直線状なのは荒川放水路が作られたからだった。東武線開業から荒川放水路の建設が始まるまで20年くらいある。巨額でも治水事業は可能ならば早くやってしまう。
古地図で答え合わせしようとしたが東京府の頃だと範囲外であり小松川村などだと無料閲覧できるのが見つからなかった。よく探せば出てくるかもしれない。
国土地理院にて第二次世界大戦後くらいに鮮明になる航空写真があるが、「1928年頃」とあるのは都心部のみ。よって既に荒川放水路が完成してるが新中川は完成してない。
その時代を見るだけでも水路は見えた。旧水路を拡張して新中川になっていたりしたが、小岩側へすぐの鹿本通り(北部は東用水せせらぎ通り)も水路だったのが見えた。
本件の場所とは違うが気になったのが戸田競艇場の付近。1945年の時点で戦時中、戦後のため競艇場なんてあるはずもなく軍事用かと思ったら1940年の幻のオリンピックのための競技場。
更に荒川放水路を作って当然かと思うのが、現在の隅田川の恐ろしい蛇行の痕跡。現在の隅田川と荒川に分岐する前から直線状に改良されてる。
葛飾区北部の水元公園を見て川に決まってるだろって正解だった。蛇行してる中川につながってたが蛇行した部分はもうなく直線に改造され埼玉県八潮市大瀬、新古田は中川で分断されてる。荒川放水路を作ったため江戸川区なのに平井と小松川が離れてしまったようなもの。
そんなことで八潮市大瀬と三郷市戸ヶ崎の境界に家が建ってるが近代まで川底である。人が多く住んでおらず堤防なんて作らなかった昔は流れが変わっていたはずだから周辺だって安全とは言い難い。これ言い始めると安全な場所なんて存在しないけど江戸時代じゃなく、大正、昭和まで川なら危険度の違いはある。
こうして仕事上で外出はできないけど暇な時間が生じても楽しめることなどいくらでもある。
→ 国土地理院 > 地理院地図 (地図ボタンを押して年代別を選択。古い年代は大都市中心のみ)
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-04-27 Sun 23:31 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-25 Fri
変貌と言えば西武グループである伊豆箱根鉄道の衰退によって十国峠パノラマケーブルカーおよび箱根駒ヶ岳ロープウェイが富士急グループへ移った。ただし箱根での交通路は西武グループ(伊豆箱根鉄道、バス)または小田急グループのままだ。事業者の変更があってからも一時期は継続されていた周遊券の適用内容も変更、または廃止。
伊豆箱根バスによる「絶景富士山乗車券」については富士急になった十国峠ケーブルカーもセットになってるが事業者変更後に1700円になった。バスも富士急になったほうがよさそう。
箱根駒ヶ岳ロープウェイが本日(2025年4月25日)に大々的に改築された。事業者が複雑に絡み西武グループの周遊券だった「箱根旅助け(旧・箱根スマイルクーポン)」は廃止されてる。
バス乗車券だけだから「箱根バスフリー」は残ってるが2019年に1日券1700円、2日券2000円が2025年4月調査時点で1日券2500円、2日券3000円となっていた。
箱根駒ヶ岳ロープウェイの料金は事業者変更と改築が料金に転嫁されてしまったため最後に行ってから10年で2倍となった。知ってる側からしたら目が飛び出そうな値上がりを見せてるためリニューアルオープンにて劇的に料金値上げしたら客足が遠のくため限界に達している。
既にインバウンドやイチゲンさん狙いになってると思う。リニューアルと言って初耳は見当たらず、柳の下の二匹目のドジョウを狙うってよう日本全国でやってる真似事だった。
箱根駒ヶ岳ロープウェイ 往復1080円(2015年)→1600円(2019年 事業者変更)→1800円→2200円
十国峠ケーブルカー 430円(2015年3月末まで)→730円(事業者変更後)
絶景富士山乗車券 1000円(2015年3月末まで)→1200円(2015年4月)→1700円(事業者変更後)
大山ケーブルカー 往復470円(2014年)→630円(2015年10月)→途中不明→1270円(2024年4月)
下田ロープウェイ 往復1000円→1030円(2019年)→1500円(2025年4月再調査)
記録が残ってる期間はもっとあるが2015年からの10年に絞ってみた。過去に箱根地域にて移動と入園料を現在と比較すると、2015年当時では箱根旅助け3000円(下記料金込み)であったが、2025年4月で算出すると箱根バスフリー3000円(2日用)+箱根駒ヶ岳ロープウェイ2200円(往復)+箱根園水族館1500円+箱根遊船1000円(箱根園~元箱根)=7700円と2.5倍以上のお金が必要になった。2015年には天候不良で立ち寄らなかっただけで周遊券では十国峠パノラマケーブルカーも乗ることができた。
2015年からの推移を記述してるため大きな問題は「事業者の変更」「バス運転手不足」「新型コロナウイルス蔓延」であるが、2011年3月11日の東日本大震災で客足が止まり、2015年からは大涌谷が噴火警戒レベル最大3まで上がったことで箱根から客が消えたこともあった。
2025年4月25日、大涌谷にも新展望施設がオープン。どっかで見たことあるやつですけどね。
結局、新宿から小田急で行くとなると箱根フリーパス6,100円(新宿から2日間有効)の圧勝となってしまってる。ロマンスカーで往復しても8,400円である。西武グループが施設を捨ててしまった以上は富士急グループが箱根地区の路線バスを西武から奪わないと小田急とは戦えない。
| emisaki | 2025-04-25 Fri 12:46 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-10 Thu


隙間から覗いたが他にはまだ建物はできてない。表示を見ると施工完了は令和9年となってるのだが、ずっと疑問に思ってるのが役所が発注した建物ってなぜ遅いの?言い訳は通用しないね。単に税金が食い物にされてるとしか思えないんだよね。
【都市生活不適合者が集まった土地柄と希望の施設】




ここだけに限らないが遊歩道でも老若男女のチャリカス爆走。逆走もたくさんで自転車も車両につき左側通行が義務。
内陸では私が子供の頃に消えてしまったが、こっちには希望の東部交通公園(子供向け交通教習所)があるものの教習義務もなく世間を見渡せば機能してるとは到底思えず。
歩道爆走に怒ったら逆ギレしてきたクソ野郎が「どこ走れって言うんだ」と言ってきたが「車道に決まってるだろ」。「道路が危ない」という自己中に「テエメが歩道を走ってるほうが人殺し」って言ってやったが、そもそも逆ギレしてきてる奴だから理解するはずもない。育ちが悪すぎ。
【都営住宅 安さ追求】



え!これなの?
ここまで昭和レトロなブームとは思えないんだが、いわゆる団地じゃん。昔と違って階数が増えてエレベーターがついてるくらいしか違いが感じられないぞ(外観)。築年数が何十年も古いURのほうが新しい感じがした。
自分を疑い、もしかして改築だけかと思って年代を遡ったら更地でしたので新築物件でした。以前の建物は小さな頃からよく見ていた狭い階段で数が多く、縦のつながりしかできない建物だったが2015年から建設が開始された写真の建物は現在の一般的な構造で同じ階では横の繋がりがある。
昭和の団地の構造は多人数のため狭くても部屋が多いことだが、今になって建ててるならば少子化を考えて部屋数は少なく一部屋が大きい構造になってるでしょう。
立地条件は良く都営新宿線 一之江駅まで最短650メートル。商業施設も一之江駅の周辺に集まってる。難は新大橋通、環状七号線という交通量の多い道路に阻まれているから渡れる場所が限られる。交通量から危険視するが都会を知らぬ人々で作られた街は大通りより路地のほうが劇的に危険。
理由は下記でも示すが地方出身者は「24時間 誰か歩いてる」という概念を持ってないから誰もいないと思い込み住宅街でスピード違反、一時停止無視などのキチ○イ運転を平然とやらかす。
なぜまだ工事中なんだと更なる疑問が沸いたが、書いてあった「第3期」ということで徐々に建て替えられていた。私が通った道の建物がここでは最後の建て替え。
【わかりきってる道路拡幅 立ち退き待ち】




私が生まれた時期からやってれば立ち退きさせられることもなかっただろう。それほど昔まで戻らずとも江戸川区は畑だらけに中央部ほど高い建物がほとんどない。南下すると なぎさニュータウン。


刻銘に覚えている理由は、長く歩いているのに誰もいなくて「ここは東京か?」と逆に怖くなったからで都会の空乏層に広い道路は不要。
江戸川区は区役所が北部にあるのじゃなく南部が広がったにすぎない。古くからある北部、葛西、そして西葛西の泥沼が高層マンションの新興住宅地に人口が密集しているが、中央部は広場や一戸建てが異様に多いため空が開けている。
まだ秩序がない田舎者を呼び寄せる気なのかと将来的と考えてみると東京も人口減少に転じるはずで需要は無くなるから立ち退かせてまで道路を作るまでもないのだが…。
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-04-10 Thu 23:13 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-03-25 Tue
『肥溜めの中のウンコは自分が臭いとも思ってない』と訴えかけていたが住民には気づけないことが多い。だから田舎は元より沖縄の若年層のチンピラ具合が理解できてない。→ 「これ日本の出来事なのか」タクシー運転手同士が“場外バトル” 公道での迷惑行為に騒然「大阪凄いな」
この記事に似たタクシー運転手がヤクザ同然の件は私も何度か目の当たりにした。大阪市中央区(難波)と兵庫県神戸市中央区(三ノ宮)である。
芸人の冗談かと思ってたから本当に血を出してる浮浪者っぽいオッサンも見てびっくりしたし、良い子は行っちゃダメでも「あいりん地区」まで行ったが、その裏(南東)の「飛田新地」は自主規制。東京なら山谷地区だが私が生まれた頃にはドヤ街は消滅してたからタイムマシンで戻って歴史を見た感じ。
各所で見られる民度の低さは変わらずで外国人にとって違和感がないが私から見れば野蛮。社会がない田舎を含め、関西では烏合の衆な育ちの悪さを何度訴えれば理解してくれるのか? 海外旅行へ行けば感じる文明度の低さに「あきらめ」ないと東京で怒ってる以上のこととなり上記の記事のよう口喧嘩じゃなく「戦闘」することになる。
新型コロナウイルス蔓延で移動が停止しただけで、十数年前より回数は減ったものの2019年までは行ってた。ただし旅行じゃないと写真も撮れないし自分の目しか記録がない。
私が若年の頃から家族ではない旅行にて宿泊は必然で目的ではないためビジネスホテルだったが、だとしてもビジネス街や住宅地を選び繁華街は避けていた。
だから駅名で言えば、本町、森ノ宮、天満橋、京橋、江坂であった。本当に住宅地になるとホテルが無い。希に空きがなく値段から住之江公園で泊まったことあるが「ベストウェスタン・ジョイテル大阪 → 大阪ジョイテルホテル → 日和(ひより)ホテル大阪住之江公園駅前」と名称が変わってた。住之江公園駅は昔からそれ1軒しかホテルない。そこも値段は高かったが、梅田、難波や新大阪となればもっと高い。
持ち主が替わればチェーン店名に合わせることもあろうが、改装だけで名称が変わるってどういう理由なのか。集客が良かったら名称を変えるのは損だから良くなかったと推察しかできないが、事件事故で変えるしかないときもある。未開人が幽霊とか営業妨害を言い始めたら変えたくなる。各種に泊まってきてエレベーター振動(共振)とか物理的な問題にしか出くわさない。変な妄想癖は無い。
居住、経済圏では東京の一極集中を防ぎたいところだが、長いこと行ってない場所をGoogleストリートビューや衛星写真で見ても劇的には変わってなかった。変わったのはド真ん中だけ。
例に出した住之江公園駅は二十数年前からして多少の店は増えたもののビル(商業、集合住宅)が建ち並ぶようにはなってなく、東京と比べると空き地だらけ。豊洲のような感じで工場が移転して宅地に変わったように見えたが年月が経過しても大きくは変わってなかった。
そこで古くはない一戸建てに異様な感じがしたのも、開発会社が持つ土地で行うから密集は当然だが、建ぺい率、容積率が一般住宅とは思えない。細かく探ると町工場がなくなって住宅になってるところが多く、住宅は隙間が無いも同然に隣接して建てられてる。ピッチリもあれば、隣とはカニ歩きなら通れる程度に近い。
それでいて3階建てのため大阪府大阪市住之江区南加賀屋2丁目を調べると建坪率は80%、容積率は200%と普通だった。前面と隙間で満たしてるのかと同じ2丁目でも隣の区間を見ると絶対ウソだってことになるのも建ぺい率は60%に下がるのに理解できない建物が続く。
法的瑕疵物件のはずがないため建ぺい率を60%にしてしまう技があるのだろう。家屋に合体してても駐車場は容積率に含まないだろうし、飛び出してるのが駐車場なら建物から除外だろう。それでも、どうやったら建ぺい率60%を越えてないのか疑問な建物はあった。
参考: マップナビおおさか > 都市計画情報(用途地域) > 住之江区南加賀屋


地下鉄 四つ橋線を調べたら玉出駅から1972年に延伸して現在も終点である住之江公園駅。53年経過しており、近代の新築物件も見られるわけだが必ずと言えるほど駐車場があることから「うなぎの寝床」がやたら多く見られる。
推測でしかないが商業地を目論んで土地を取得したがバブル崩壊、長らく動きがなく宅地化においてもマンション(集合住宅)ではなく一軒家で儲けるため周辺に土地が余ってても限界まで過密な建築物にしてしまったのではないか?
「うなぎの寝床」な上に駐車場を完備しているため住居は2階からとなるため玄関まで急な階段になってる家が大量にあった(例:Googleストリートビュー)。土地が広く家屋の下に駐車場じゃない家は良いが狭くて駐車場あり3階建ては実質2階建てで高齢化したとき厳しい住居となる。
都市でありながら郊外の様相を持ってる。東京に比べたら土地代が安いからかもしれないし、元から自己中が集団化しただけあって考えられるほど交通網が発達しなかったのがある。
工場地帯から転用地には商店街というのが存在しないため家屋が多いながら「買い物難民」になっている。地図で見たところ駅前の商業施設、コンビニ以外では住吉大社の方面へ行かないと古くからの町ではないため町のスーパーマーケットも少ない。今回の調査地点からだと、サンディ御崎店まで650m、プロマートドラゴン住之江店が1kmだったが、万代 住之江公園店(2024年9月17日 開業)なる大型施設が100m先に作られたのが救いでしょう。Googleストリートビューで過去に遡ると、53年前から地下鉄の駅に近かったのに新築物件がポツポツと建ってるよう動きが遅かった。
さて、大阪も東京のように都市中心に回帰してしまったのか? いつか町歩きしてみたい。
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-03-25 Tue 12:24 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-02-28 Fri
離れて撮ってたのに写ってた。こうした行為は各地で見られるんで警告。念のため、ある種族の犯罪率、不道徳行為は異様に高いが害人の行為に国籍は関係ない。日本人にも糞野郎はいるから過去に幸手権現堂で菜の花があるところに三脚を突っ込んでる馬鹿にキレたことある。究極の自己中はクズ鉄(撮り鉄)だけじゃない。




左の写真:かなり枝を引っ張り下げてる状態
右の写真:普通の状態
チビで届かなくても自分勝手な行為で解決するな!なぜ枝を1メートルも引っ張り下げられるのか?開いた口がふさがらない。
一人だけの行為で騒いでない。報道されてきた大迷惑は山梨県富士河口湖町でのコンビニ越しに富士山撮影だけじゃないよう育ちの悪い害人が問題。
話してなくても、顔を見なくても、行動を見れば誰かは解る。あの人達は俺が日本人に怒ってきたより桁違いに自己中心的だからすぐわかるよ。
高画素カメラによって事後に行為が写ってるのを発見したため撮影中に不道徳者に気づきませんでした。そこにいた人は顔だけじゃなく、しゃべりにて日本語を話してないのは刻銘に記憶。この場所は電脳空間に投稿され亡国人がたくさん来るが既存の敵か外敵かは不明。
| emisaki | 2025-02-28 Fri 21:59 | 旅・散策::考察・批評 |
先頭へ △