2025-04-29 Tue


長良川から分岐させ長良川に戻ってゆく農業用水路でしょうか?本当の川と違って各所で直線だし直角にも曲がってる。近代化して曲げたのではなく水路に従って家が建ってる。斜めで直線状じゃない部分は農地ではなかったのか?
改めて地図を見て気になったのは西柳ヶ瀬アーケード商店街が終わったところ岐阜市春日町1丁目12西柳ヶ瀬コミュニティ広場「輝き」を中点に斜めに通ってる道。水路だったか暗渠になってそうな匂いがプンプンしてくる(言葉の綾、実際に匂わない)。
もう10年前だがイベントの合間にウロウロしたときは全く気づかなかった。
南部は岐阜市徹明通8丁目10まで道路を負うことができ、岐阜市鹿島町1丁目1(Googleストリートビュー)にて表に出るため暗渠だったことが解った。
本荘公園で曲がって抜けると暗渠になるが、車道を辿ると岐阜市本荘西1丁目179で見えるようになる。岐阜市本荘西4丁目46−1にて再び暗渠になり道路上の蓋を負うことになり太めの道路にぶつかって見失いそうになるが岐阜市西荘2丁目11−8で見えたら地図でも水色になってるよう表に出ていて論田川ってのに繋がっていた。
北部は途中で見失ってしまいそうになったが変な曲がりをしていて岐阜市役所の西側の住宅地を通り、また東へ進み市役所の北のメディアコスモスなる施設の西側から斜めに北上、忠節用水分水門跡になったが北へ向かって長良川に取水口が見当たらない。
長良川に近いのに水路は東へ進み山にぶち当たったところで北上してた。山に沿って進み、岐阜市伊奈波通1丁目46にて見えるようになり、更に山沿い岐阜公園の北側で長良川から分岐した水路から分水されていた。大々的に埋められてしまってないため暗渠にした上の道路には数々の蓋が設置されており非常に追いかけやすかった。
自分なりに地図を見てからネット検索したら調べた水路の分岐がアクアージュ柳ヶ瀬であり、商店街の通路が暗渠の上なのか柳ヶ瀬グラッスル35を回ってる。南側には地下駐車場が作られてるが避けるよう西へ進んで金町自転車駐車場の下が暗渠と思われ、道路を西へ横断して斜めの道、繊維問屋街のどこかを抜け忠節橋通りを南下してJR東海道線沿いに通ってる水路に接続。そこから東へ岐阜駅の南口で見た清水緑地に繋がっていた。
| emisaki | 2025-04-29 Tue 12:25 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-28 Mon
2025年4月18日 NHK「ドキュメント72時間 岐阜・西柳ヶ瀬“シャッター街”ブルース」

「やなな」は閉塞感をなくす意味では活躍したが、たとえば「ふなっしー」がいくら目立っても当事者と周辺が儲けるだけで千葉県船橋市の行政として大きく関与することは無い。熊本県「くまモン」が大金の売り上げに関与しても更に巨額な再開発が動くわけではない。
「やなな」が引退して12年も経過して事態は変わってる。
役所や大学教授が偉そうに復活できるかのように書くのだが理解してるとは思えない内容。馬鹿ではなかろうから「町じまい」を認めたくない間違った分析。それが被害を拡大させてきた。
いつものことだがハコモノ行政大好きな役所側に立てば机上の空論、調子の良いデータしか出さない。「現実」を認めなければ意味がない。
外部から見渡したほうが忖度もないため真実が見え、人口減少した中で無駄に分散させたほうが賑わい創出じゃなく賑わい喪失がすぐにでも見えた。分散によって続けられた店が潰れる。




私が知らない過去に長崎屋(ストリートビュー)が潰れて建物は放置されたままだった。驚安の殿堂 ドン・キホーテまで撤退、高島屋も閉店したのに “無用の長物” が建ち並ぶ。そんな新品ピカピカの無用の長物では割れ窓理論を打ち消すことはできない。
それを大阪で言うならば、キューズモール、あべのハルカス、星野リゾートのホテルを建てようとも飛田新地にあいりん地区は隣にあるのだから隠しようがない。
※中日新聞 > 旧長崎屋跡地を「柳ケ瀬広場」に整備 岐阜市が都市計画決定 2022年3月25日
※中部経済新聞 > 岐阜・柳ケ瀬商店街 長崎屋建物 解体工事が本格化 来年3月完了 新たな発展へ万全期す 2024年8月13日
官民一体なんて能書き垂れているが不動産屋が私腹を肥やすだけで工事または物件が売れてしまえば商店が壊滅しても痛みを伴わない。役所、住民、商店が被害を被るだけ。失敗すれば建設業者も痛みを伴う再開発でなければ成功しない。
たとえるなら採掘し尽くした鉱山の街が維持できると考えるのは頭が悪すぎだ。NHKの番組より前に伝えられてるが繊維産業の衰退が大きな原因だから早期に閉じるべきだった。
昭和の商店街が生き残れないのは車社会だから。人口に対して自家用車の保有率が最も低い東京都市部のほうがダメ商店が生き残れてしまうのも自家用車が稼働してなく行き場がないからで、車社会で年齢が低いほど商店を選ぶ。東京でも同じだがシャッター商店街の店主は客や世間の責任にしたがるが戦える品を作ってないからだ。
自家用車が使えればガソリン消費を除外して1kmでも10km先の店でも違いは小さい。電車でもバスでも自家用車でも交通路が確保されてるとダメな店は生き残らない。だいたい電車だけで行けるところに大型商業施設は存在しないため地方都市であるほど電車の駅前より集まる場所がある。
買い物難民が出るのは住民の意志ではないが、ダメな店が潰れるのは住民の意志である。日本は社会主義ではないためダメな経営者の店は潰れるべき。客として100円のコロッケのほうが旨いのに市場調査や努力もしない個人商店の150円のコロッケを買わねばならない道理は無い。
広域で考えれば効率の悪さがある。2024年夏から価格高騰してしまった米は小規模生産が多すぎて高値だったところ異常な値段になってしまった。旅館も非効率なため独自に板前を雇うなら高額化するか食事提供をやめて素泊まり専門にしたりしてる。
商店が街の規模に比例しないのだからシャッター商店街は予想できな結果であり、漂わせた閉塞感によって大型施設も死に追いやったと考えられる。
岐阜だと田んぼのど真ん中に巨大商業施設があるのだが、東京だったらすぐ潰れる。本物の都会人からすると「コストコ?何それ」ってテレビでしか見ない倉庫型店舗であり電車(徒歩)で行けたとしても持ち帰れない。アメリカのように自家用車に溺れた住民がいるところでないと成立しないため車社会だからこそ田舎で大型商業施設が成り立ってる。
コロナ禍で岐阜市役所が新しく建った。各地を旅行してきて電車の駅が中心なのは大都会だけなの解ってる。旧街道沿いのほうが発展してること多く車社会からの脱却は不可能。
人口減少で縮小してるのに「分散」を生じさせてる。岐阜駅から岐阜市役所まで2kmもあり柳ヶ瀬は中央に位置する。戦後の昭和の高度成長期じゃないのだから岐阜駅から市役所まで商店街である必要がない。集まらなければ生き残りは無理。反面、高齢化によって商店が徒歩圏になくなるのは買い物難民を生む。
行ったときには影も形もなかった高速道路が商業施設「モレラ岐阜」の北を通りインターチェンジを作ってる。岐阜市内からしたら高速道路の価値は無いが沿線住民からすると価値が大きくなる。
無い未来を抱かせ引き際を知らぬところが税金の無駄、傷口を広げることになっていませんか?
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| emisaki | 2025-04-28 Mon 22:55 | 旅・散策::旅の記録 |
2025-04-28 Mon
→ 小松川境川親水公園@東京都江戸川区を探るから続く前回に続き地図上で上流へ移動したら気になるところが多々あった。葛飾区小菅四丁目 レンゴー葛飾工場を避けるように水路があった。元は直線状だったのかと思ったら違っており、北部に大きく蛇行して現在の綾瀬駅に達しているため1950~1960年の間に邪魔だから途中で接続して現在の流れになってた。
→ 地理院地図 > 東京都葛飾区小菅四丁目付近の1936~1942年頃の航空写真
先っぽは北部の水路と接続していて、痕跡は残っていてタワーマンションが建った東側の細長い公園が水路。駅の南部へ通路および自転車置き場(区営綾瀬南自転車駐車場)として蛇行した状態で残ってる。小菅四丁目19番地の南側の水路に穴が見えるため暗渠となり繋がってそう。
堀切橋(東京都足立区千住曙町~葛飾区堀切四丁目)あたりだと1928年の航空写真がなく、1936年以降だと荒川放水路が完成してしまってるため推測になるが、荒川放水路を作ったことで綾瀬川は隅田水門があるところで隅田川へ繋がっていたように見える。
中川(旧中川)の蛇行からして綾瀬川は直線的すぎるため更に昔に人造だったのかもしれない。そう思う理由として過去を見通せる構造が近くにある。
自然なら三日月湖だが荒川放水路の人造によって地面になったと思われるのが、下流から上流(北部)へ足立区柳原1丁目37、柳原1丁目36(足立共済病院)、柳原1丁目34、柳原1丁目30、柳原1丁目1、柳原2丁目1~5、柳原2丁目53、柳原2丁目54で荒川放水路で見えなくなり、先は、葛飾区小菅1丁目2−1小菅西公園だが過去の痕跡は見えなくなってるが川としか思えない。
見えぬ川は荒川放水路沿いに蛇行していたのだろうか?作りやすいところに作ったに決まってるわけで、最適解なら荒川放水路は今より直線的に作るはず。少しでも安上がりにするなら誰か住んでいても立ち退きしやすいルート、元から川を利用するでしょう。
東京都から出て埼玉県となるあたりの隅田川(荒川)も蛇行してる痕跡は現在の地図からも見える。蛇行してる頂点を繋いで直線状にしたのが新河岸川(少なくとも都内は人造)でした。東京都板橋区舟渡2丁目14 浮間公園は蛇行した部分が残った部分。その他の川底や蛇行を止めて生まれた土地には住居こそ見られないが倉庫や物流センターが建ち並んでいた。現在の日本金属板橋工場の南側も工場だったが、今は巨大な物流倉庫になってる。
戦時中からある工場が移転で住居になったのはUR都市機構豊島五丁目団地、テレビ番組でやってたがUR都市機構ハートアイランド新田なんて名前を付けたところ、過去に工場が建ったの戦後の話。工場は1996年に操業停止してるため2000年頃から建ち始めたのだろうが、最寄りの鉄道駅(王子駅、扇大橋駅)まで約2kmと都会人には無理な立地条件。
晴海、豊洲のよう都市生活不適合者が住むためチャリカス軍団が登場して迷惑地域になる。近くなら赤羽駅の近くに団地を作ってから酷くなった。ほか武蔵小杉を代表とする高層マンションが建ち並ぶ地域って秩序瑕疵物件、ある意味で心理的瑕疵物件なのだ。お化けより生き霊のほうが恐ろしい。
小さい頃から新聞の折り込みチラシを見るのが好きだったが調子が良いことしか書いてないため、一世一代の買い物をするならばお金を投じても調査が必要。東京23区内なんかで有り得ない閑静な住宅地を求める都市生活不適合者は同族が集まってくれたほうが迷惑にならない。
物件を探すにおいて天災を考慮して昔を探るよりも見えない人災こそが恐ろしい。事件を例にするならば、生卵を投げ続けてくる奴が隣だったら? ヤンキーのクソガキに親も親ってチンピラ一家だったら? 道路族(現代の意味)を叱ったら周囲が嫌がらせを開始したら?
家の間取り、近くの商店なんてより桁違いに重要なことがある。
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| emisaki | 2025-04-28 Mon 12:37 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-27 Sun
気にしたことあるけどCBCテレビ「道との遭遇」に影響されてしまってるな。江東区や墨田区ではもう今の地図では解らなず江戸川区だと痕跡が残ってるため古くは農業用水路、戦後の工業時代(汚染)にはドブ川だったの追っていた。
江戸時代に作られた浦安、行徳から運搬用の水路、今の江東区で小名木川、江戸川区で新川は解りやすい。昭和の海岸線も新左近川親水公園、市川野鳥の楽園、船橋港親水公園、ららぽーとTOKYO-BAY(船橋ヘルスセンター)、谷津バラ園(谷津遊園)の南に谷津干潟。ねずみーランドなんて昭和でも海の底。真偽は不明だが失敗しても宅地にするからって小さい頃に小耳に挟んだ。
江戸川の河口部の支流なのか古川は古川親水公園として全域が見えていて、境川は一之江境川親水公園として更に長く新中川まで繋がってるのが見える。実際に水路としては繋がってないでしょう。
新中川は人造のため東側を探すと都営住宅の縁に水路(椿親水緑道)が見えるが、そこから先が見えなくなってしまった。都営住宅を建てるため水路を曲げたと考えられ、椿西通りも怪しいが突然に直線状態は考えにくく、更に東に斜めに建ち並ぶ家屋のほうがもっと怪しい。
戻って江戸川区一之江5丁目12-4 カンタンの里で鋭角に曲がってるのは異様で、北へは区民農園 西一之江第3、江上しらさぎ公園のほうからも水路があった感じがする。
江戸川競艇場があって、小松川境川親水公園が荒川によって消えてしまう部分が東京都江戸川区西小松川町1−31だが西は中川(旧中川)につながってただろう。
北上して今井街道と接する小松川境川親水公園、更に北上すると江戸川区役所の北側に住民立ち退きによって拡幅して作られた道路が接する八蔵橋交差点付近、更に北上すると東へ向かうのと葛飾区との境界に分かれてる(南下で見れば合流)。
東は入り乱れ交差点の菅原橋を過ぎて新中川の小岩大橋までが見えてきた。下小岩親水緑道に繋がるのかどうかわからない。
江戸川区と葛飾区の境界だが新小岩四丁目の鹿骨街道までは公園になってるが、そこから北は道路の完全なる暗渠、途中で分岐なのか、どちらかなのか怪しい場所がある(Googleストリートビュー 上流向き地点/下流向きの地点)。
だが、もし存在したとして総武線沿いに直線的なのは昭和の戦後に作ったドブ川だと思う。総武線を越えて北へ向かってるかもしれない(Googleストリートビュー)。総武線が通る前の地図が見つからないため不明。1945年頃だと総武線沿いに直線な人造水路、少し蛇行した道路が自然の水路か。
葛飾区になると人造感が増してしまう。旧中川を両脇にして斜めに西井堀というのと、亀有駅付近に続く曳舟川ってのはかなり直線に近い。
過去の綾瀬川がどうなっていたか不明だが、もし隅田川につながっていたなら曳舟川通りがあるように今の葛飾区から墨田区へ水路があったのかもしれない。
1936年頃の写真にて、今の亀有駅から斜めにある「曳舟川親水公園通り」は四つ木付近で分岐して墨田区の曳舟川通りへと東武亀戸線 小村井駅の西側を通る道が昔は水路な模様。狭い路地でもないのに「八広はなみずき通り」が近くで平行だから怪しいと思っていたんだ。
古地図から見えてくる東武伊勢崎線や亀戸線が意外に早く明治35年頃には開業していたのだが、荒川放水路は長期計画じゃなかったのか線路が移動させられてた。
鐘ヶ淵駅から堀切駅の荒川沿いが直線状なのは荒川放水路が作られたからだった。東武線開業から荒川放水路の建設が始まるまで20年くらいある。巨額でも治水事業は可能ならば早くやってしまう。
古地図で答え合わせしようとしたが東京府の頃だと範囲外であり小松川村などだと無料閲覧できるのが見つからなかった。よく探せば出てくるかもしれない。
国土地理院にて第二次世界大戦後くらいに鮮明になる航空写真があるが、「1928年頃」とあるのは都心部のみ。よって既に荒川放水路が完成してるが新中川は完成してない。
その時代を見るだけでも水路は見えた。旧水路を拡張して新中川になっていたりしたが、小岩側へすぐの鹿本通り(北部は東用水せせらぎ通り)も水路だったのが見えた。
本件の場所とは違うが気になったのが戸田競艇場の付近。1945年の時点で戦時中、戦後のため競艇場なんてあるはずもなく軍事用かと思ったら1940年の幻のオリンピックのための競技場。
更に荒川放水路を作って当然かと思うのが、現在の隅田川の恐ろしい蛇行の痕跡。現在の隅田川と荒川に分岐する前から直線状に改良されてる。
葛飾区北部の水元公園を見て川に決まってるだろって正解だった。蛇行してる中川につながってたが蛇行した部分はもうなく直線に改造され埼玉県八潮市大瀬、新古田は中川で分断されてる。荒川放水路を作ったため江戸川区なのに平井と小松川が離れてしまったようなもの。
そんなことで八潮市大瀬と三郷市戸ヶ崎の境界に家が建ってるが近代まで川底である。人が多く住んでおらず堤防なんて作らなかった昔は流れが変わっていたはずだから周辺だって安全とは言い難い。これ言い始めると安全な場所なんて存在しないけど江戸時代じゃなく、大正、昭和まで川なら危険度の違いはある。
こうして仕事上で外出はできないけど暇な時間が生じても楽しめることなどいくらでもある。
→ 国土地理院 > 地理院地図 (地図ボタンを押して年代別を選択。古い年代は大都市中心のみ)
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| emisaki | 2025-04-27 Sun 23:31 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-25 Fri
変貌と言えば西武グループである伊豆箱根鉄道の衰退によって十国峠パノラマケーブルカーおよび箱根駒ヶ岳ロープウェイが富士急グループへ移った。ただし箱根での交通路は西武グループ(伊豆箱根鉄道、バス)または小田急グループのままだ。事業者の変更があってからも一時期は継続されていた周遊券の適用内容も変更、または廃止。
伊豆箱根バスによる「絶景富士山乗車券」については富士急になった十国峠ケーブルカーもセットになってるが事業者変更後に1700円になった。バスも富士急になったほうがよさそう。
箱根駒ヶ岳ロープウェイが本日(2025年4月25日)に大々的に改築された。事業者が複雑に絡み西武グループの周遊券だった「箱根旅助け(旧・箱根スマイルクーポン)」は廃止されてる。
バス乗車券だけだから「箱根バスフリー」は残ってるが2019年に1日券1700円、2日券2000円が2025年4月調査時点で1日券2500円、2日券3000円となっていた。
箱根駒ヶ岳ロープウェイの料金は事業者変更と改築が料金に転嫁されてしまったため最後に行ってから10年で2倍となった。知ってる側からしたら目が飛び出そうな値上がりを見せてるためリニューアルオープンにて劇的に料金値上げしたら客足が遠のくため限界に達している。
既にインバウンドやイチゲンさん狙いになってると思う。リニューアルと言って初耳は見当たらず、柳の下の二匹目のドジョウを狙うってよう日本全国でやってる真似事だった。
箱根駒ヶ岳ロープウェイ 往復1080円(2015年)→1600円(2019年 事業者変更)→1800円→2200円
十国峠ケーブルカー 430円(2015年3月末まで)→730円(事業者変更後)
絶景富士山乗車券 1000円(2015年3月末まで)→1200円(2015年4月)→1700円(事業者変更後)
大山ケーブルカー 往復470円(2014年)→630円(2015年10月)→途中不明→1270円(2024年4月)
下田ロープウェイ 往復1000円→1030円(2019年)→1500円(2025年4月再調査)
記録が残ってる期間はもっとあるが2015年からの10年に絞ってみた。過去に箱根地域にて移動と入園料を現在と比較すると、2015年当時では箱根旅助け3000円(下記料金込み)であったが、2025年4月で算出すると箱根バスフリー3000円(2日用)+箱根駒ヶ岳ロープウェイ2200円(往復)+箱根園水族館1500円+箱根遊船1000円(箱根園~元箱根)=7700円と2.5倍以上のお金が必要になった。2015年には天候不良で立ち寄らなかっただけで周遊券では十国峠パノラマケーブルカーも乗ることができた。
2015年からの推移を記述してるため大きな問題は「事業者の変更」「バス運転手不足」「新型コロナウイルス蔓延」であるが、2011年3月11日の東日本大震災で客足が止まり、2015年からは大涌谷が噴火警戒レベル最大3まで上がったことで箱根から客が消えたこともあった。
2025年4月25日、大涌谷にも新展望施設がオープン。どっかで見たことあるやつですけどね。
結局、新宿から小田急で行くとなると箱根フリーパス6,100円(新宿から2日間有効)の圧勝となってしまってる。ロマンスカーで往復しても8,400円である。西武グループが施設を捨ててしまった以上は富士急グループが箱根地区の路線バスを西武から奪わないと小田急とは戦えない。
| emisaki | 2025-04-25 Fri 12:46 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-13 Sun
2012年の東京スカイツリーもだが過去に高いのは電波塔だった。たが田無タワーは立ち入れない。

入場料 0円=施設内、江戸川区でカネを使う努力義務
<参考 2025年4月時点>
■東京タワー[1958年] 333m(展望台 第一 150m、第二 250m)
入場料 1500円、両方3500円
■東京スカイツリー[2012年] 634m(展望350m、天望回廊450m)
入場料 展望デッキ2400~2600円 +天望回廊3500~3800円
■東京都庁[1991年] 243m(第一本庁舎 45階 展望室 202m)
入場料 0円 近代は高いビルが大量にある
■文京区役所[1995年] 142m(展望ラウンジ105m)
入場料 0円 ※休止中:2026年12月上旬まで改装工事
またも入る機会を逃してしまった。当日はここで写真を撮るだけしか気力が残っておらず、歩道橋の上で写真を撮る気にもならなかったくらい疲れてた。それでも今のうちに撮らないとと思ったのは撮影方向の裏手には江戸川区役所が入る高層ビルが建つから。江戸川区は敷地が多く高い建物が少ないため超高層にする必要がないが建つのは99m(予定)のため船堀タワーがそれほど高くなく細いため関与してくる。掲載写真では切り捨てたが右側(南部)に建ってるのは船堀駅前トキビル89.90mで北側から見ても船堀駅を離れてるから圧迫感はない。ガタガタ県(仮名)のド田舎に政治的な胡散臭い理由で建ったタワーマンションを見たらもう他に違和感は無いか。
昨年は最初に船堀に着いたため桜へ直行して東へ抜けた先でバスに乗ったため船堀には戻らなかった。東京タワーもだけど、いつでも行けると思ってしまったら絶対行かない。
別件だが、2020年以前 Heiwabashi /2020年以降 Heiwa Bridge に変わってた。それより気になるのは無名な「平和橋」が何の目標物になるのか?四つ木とか小菅のほうがいい。
東京都ではないが何度も行ってきた場所にあるのに入ったことがないビル。


一般開放 展望室 立ち食いそば屋にて行ったのは東側。
■ザ・タワー横浜北仲 神奈川県横浜市中区北仲通5 桜木町駅前 199.95m(58階建て)
一般開放 展望室46階(約150m)
■岐阜シティタワー43 岐阜県岐阜市橋本町2丁目52 高さ162.82m
43階 無料展望施設 写真を探したんだが岐阜スカイウイング37のほうしかなかった
気になるイベントに行ってると写真も撮らなかったり。物件が気になると調べるが、お役所が絡む再開発のほうが真っ当である確率が高い。完全民間だと経費を削る。
※ 無料施設でも入場規約、入場可能時刻制限ありに決まってる
※ 全て三脚使用禁止 そのほか当然だが道徳的な利用 その道徳が解らない馬鹿が多いから困るんだけど
<訂正:田無タワー → スカイタワー西東京。面倒くさいな。根っからの都民的には住所からして面倒くさい東で西。保谷市と合併で変えなきゃだめでも西東京市は無いって思ってきた。>
| emisaki | 2025-04-13 Sun 22:01 | 旅・散策::街・施設 |
2025-04-10 Thu


都営地下鉄新宿線 篠崎駅 →[バス]→ 江戸川スポーツランド入口
篠田堀親水緑道(端から端まで) → 江戸川一丁目第二児童遊園 → 柴又街道(南端) → 江戸川小学校の裏 → くつろぎの家公園 → 江戸川清掃工場(建設中) → 東部交通公園 → 当代橋児童遊園(奥へ入るが桜なしで戻る) → 鎌田川親水緑道(300mだけ) → 金蔵寺 → 江戸川三丁目第二児童遊園 → 浄興幼稚園の南側 → 円照寺(南東) → 今井バス停(江戸川三丁目) → 新大橋通へ → 新今井橋を渡る → 西瑞江四丁目第二児童遊園 → 都営西瑞江第2アパート(建て替え中) → 特別養護老人ホーム古川親水苑の西側 → 古川親水公園・二ノ江の行徳道石造道標(桜なしで南下) → セブンイレブン江戸川五丁目中央店(西側) → 立ち退きで拡幅の臭いがする道路を南下 → 新川にぶつかり西へ → 新川沿いを西へ → 宝橋 → 花見橋 → 環状七号線下 → 古川親水公園合流点 → 桜橋 → 小江戸橋 → 新渡橋 → 忍者橋 → 宇喜田橋 → 櫓橋(やぐらばし) → 宇喜田橋へ戻る → 都営地下鉄新宿線 船堀駅
経路10km+自宅~電車の駅またバス停まで往復2km。距離の算出には駅構内、バス停付近での動き、撮影での行ったり来たりした動きは含まないが歩数には反映されている。逆光を逃れるためと花の咲き具合から橋があると渡ってから戻ってたりも繰り返していた。
過去に東京スカイツリーの建設中に歩いた最長は4時間で20kmだった。計算上は時速5kmだが撮影で止まってたり細かく場所を探すこともしてたから移動速度は時速7~8kmでしょう。だが、もう15年も経過しちゃったことを すっかり忘れている。
余談だが、体を使ってるから年齢の積み重ねを感じるわけだが、高齢者の自動車運転事故って反応や視野が狭くなるなど多数の衰えを自覚できないから起こすんだな。俺が理解しても奴らが理解しなきゃ人殺しは止まらないよ。
今回も帰り道はボロボロになっていたし旧中川の河津桜のときも同様だが、距離の割りに歩数が少ない理由は撮影現場よりも現地へ向かう移動量のほうが長いから通常の歩行をしたためと推定した。全行程の3分の2が移動によって歩幅は0.64mと約2千枚も写真を撮ったわりに長い値になった。1年前、機械式の万歩計とスマートフォンの誤差を計測したときウォーキングだけしてるときは歩幅0.8mを軽く越えた。
疲れる最大の要因は荷物でカメラ(デジタル一眼)、レンズ2本(広角ズーム、望遠ズーム)、大型ストロボ(逆光対策)だけでも肩が痛くなった。本当に体力を奪われるのか精神的からなのか不明だが、手ぶらより荷物を持ってると劇的に歩行速度が落ちる。ショルダーバッグのため動きを遮るのかもしれない。
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