2025-11-01 Sat
先に書いておくと、ネット広告なんてテレビCMより桁違いにピー(不適切な言葉にて自主規制)。最近のCMが面白くもなんともない=CMとしての価値が低いこと多方面であり、馬鹿の一つ覚え「替え歌」を批判したが、それからも替え歌CMばかり。制作本数に加えて放送される数が多い企業がやってると、聞き馴染みがあるだけ反対に嫌気が差してくる。炎上商法という言葉があるよう悪くても目立つのを良しと考えてる悪い風潮があるのかはわからない。
替え歌ならばCMではないのだが、志村けんの「カラス なぜ鳴くの カラスの勝手でしょ~」を越えるのは未だに聞いたことがない。細かいことを言うと最近のCMは替え歌にはなってなく大勢が知ってるメロディーを使って浸透させようと狙ってるのだろうが、尊敬の念も無く、元を汚すと感じてばかりのため「反発」しか生まない。
特に出演者の しゃべり が酷すぎると思ったのは、
・ヤクルト1000 (1年くらい前まで)
・Google Pixel
であり、高い共通点はスポーツ選手である。映像を使うまでは良いが、しゃべらせた瞬間に棒読みや不快な話し方など宣伝としての価値がマイナスに転ぶ。職種が違うから当人に責任は無いが、それでも出演した責任は残る。世間的に悪名高いG力A芽、S田M里子の映画吹き替えに匹敵する。
世間の評判の悪さからしても異端な考えではない。
障害を持ち出すと理由も聞かずして怒り出す人がいそうだが、CMの価値、役者としての意義はどうなのか? 滑舌障害の新たな形として認識したのが住友林業CMで青年のほうやフジテレビから一般CMが去った期間に映画宣伝で何度も見せられた隣のステラの女性。面白くなければテレビじゃないならば、(聞き取れない)伝わらなければ俳優じゃない。チビやデブじゃパイロットになれないように職業において身体的問題を語るのは必ずしも差別ではない。別の職を選ばないのが自己中。
古くが良かったわけじゃない。古くは不謹慎だろうと批判されなかっただけ。そう言っても昭和CMのほうが面白かった。若年層が昭和レトロとして掘り返すのは今がつまらないから。
印象は子供の頃のほうが強いかもしれないが、それなりの年齢以上じゃないと通じないのに持ち出してしまう私の少年期に放送されてた「もっと端っこ歩きなさいよ(タンスにゴン)」、「焼き肉焼いても家焼くな(日本食研 晩餐館)」、アーノルド・シュワルツェネッガーが両手にやかん(日清カップヌードル)、「ダッダーン ボヨヨンボヨヨン(栄養ドリンク)」など次々と思い出せる。
上の世代に尋ねると私が知ってるのに加えて「当たり前田のクラッカー」「クイントリックス(松下電器のテレビ)」「100円でカルビーのポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません(カルビー)」など共通して覚えているのがあった。リアルタイムには知らないが昔のCM紹介番組で見たことがあるほど有名だと言う意味。
ところが最近のCMは全世代においてその場限りですぐ忘れるほど印象に残らない。捨て看板なる違法広告物みたいなCMしか作れなくなってしまった。素晴らしいCMは一握りだけ。
今のほうが知識も技術もすぐれている。ただ、作る側の人間が落ちぶれただけ。
| emisaki | 2025-11-01 Sat 23:25 | 大衆媒体::広告 宣伝 |
2025-11-01 Sat
赤切符が青切符に落ちるのに警察官から「罰則が強化される」に落胆。大都会でモラル最低の大阪にて自転車の取り締まりが強化との報道があり、自動車運転免許証を持っていながら違反は重罪であるため自転車の違反で免許停止になる奴が何百件にもなったという。
自転車運転で捕まり免停になるようなチャリカスを取り締まったことで自動車を運転しての犯行、人殺しの可能性を減らした成果はあるが。だが地域全体として考えたら違法駐輪、路上喫煙禁止が東京より20~30年は遅れてる。万博がきっかけは、まるで中国と同じ。何もなくても民度の低さに気づくべきだった。「秘密のケンミンSHOW」で異世界(新世界)のオッサンを見るたび、無理だなとは思うけど。
テレビの自転車に乗る多数の番組で違法を指摘してきた。自転車専門番組でも違法だらけだった。内容は素晴らしいNHKの番組だが今頃になって走行歩道では減速するようになった(今週放送では河北町谷地 287号線 ストリートビュー)。
速度は落としても徐行規定(人が歩く速度以下)まで減速してないが田舎で歩道通行の危険性は著しく低く、自動車は脅威の運転手だらけだから良しとするか?大都会でもやらかす奴がいるから駄目とすべきか?この判断を無秩序な世間にゆだねるのは危険だ。
自転車で街中を走る番組は世間に向け字幕で道路交通法を教えたらどうかとも思う。番組の趣旨から逸れるが、見せたい奴ほど専門番組にしたら見ない。道徳は善悪に二極化するからだ。
「自転車通行可」の標識は車道が危険などの条件を満たさずとも「通行」が可能なだけで「走行」が可能なのではない。あくまで歩道上ではノロノロ運転の徐行しか認められない。
ここが守られないのも「自転車運転手は100%犯罪者(警察官も含む)」と言ってきた理由。
関連:ポツンと毎回言うが、これや不法投棄禁止看板、どこが良い人なのか → ストリートビュー
大都会の道路と違って一車線が広い。国土交通省の規格上の車線幅員は一般幹線道路 2.75m~3.50m、高規格幹線 3.50~3.75mであり、路肩は狭路肩0.50~0.75m・半路肩1.25~1.75m・全路肩2.50~3.50mなる区分があった。さすが、お役所仕事で途中の範囲は何?もしくは0.75から1.25mな路肩は絶対に存在しない幅なのか調べることはできなかった。
路肩:区切られた歩道がある車道面の進行方向左端 / 路側帯:歩道区分がない道路の車線外
何十年と自転車を取り締まらなかっただけで犯罪者(前科)なのが罰金で済むようになったから罰則強化ではない。正しくは取り締まり強化なのであるが犯罪者が多すぎだから罰則強化でいいや。
先に自転車運転での犯罪者を野放しにしてきた政治と警察は職務怠慢の責任を取るのが筋で、自転車に乗る警察官を犯罪者呼ばわりしなければならないほど自転車の運転では警察官の育ちの悪さがあり、棚に上がった取り締まりは許さない。
どう見たって歩道を突っ走ってる奴に測定しないから解らないとかバカじゃねぇーの。時速5kmか10kmかの差は明らかだと街中の警察官の程度の低さ、違反まみれな社会を世間知らずな制服組は知らなくてはならない。
| emisaki | 2025-11-01 Sat 10:04 | 交通::事件・事故・違反 |
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