2025-07-28 Mon
オカルト番組で取り扱われる(推定)妄想はどうやって生まれるのか興味がありつつも、こっちに調査できるのは登場する町。だが半世紀前なんてインターネット(パソコン通信)もデジタルカメラも存在しない時代のことを調べるのは困難。今になって過去の資料をインターネット上に投稿してくれた人だけが頼り。下北沢駅の周辺だけに限らないが、新宿西口 思い出横丁のように小さな店が建ち並ぶ景色は消えてる。小田急も井の頭線もある時代にて古い地図では本多劇場も駅前劇場も存在せず、駅前には鰻の寝床みたいな建物で多数の商店が建ち並んでた。
戦争で焼け残った東京都心部から東部(隅田川から東)にて道路が狭くて消防車も入れないなんて危険視されるのだが、戦後なのに危険な街を作ったのは東京都西部である。古くなるほど地方出身者は知らないわけだが恵比寿ガーデンプレイスの前である恵比寿ビール工場の周辺は当時の時点でボロ屋が密集していた。
下北沢駅周辺は大々的な再開発を拒絶してるが小田急線の地下移設だけでも様変わりしている。古い地図にて既にオッサンでも謎の銀行名が複数あり、聞いたことがあっても今は何銀行に吸収されてるのか解らないほど。ナンチャラ銀行は破綻して米ハゲタカファンドが母体の銀行に変わったことはつきとめたが店舗は無い。
小田急線が地下に移動するまえ改札口になっていた場所(下北沢駅南)は小田急食品デパートと書かれている。地下化してからは空き地、将来的には道路拡幅などで北口、南口ともにバスやタクシー乗り場になるのでしょうか?
現在の道路、家屋の建ち並びから全く見えなくなっていたのだが、井の頭線 新代田駅から小田急線 世田谷代田駅に接続する線路があったことがわかった。新代田駅から東へ向かって(Googleストリートビュー)曲がって世田谷代田駅に繋がっていたらしい。世田谷代田駅の北側には帝国音楽学校?帝国高等音楽学院?があり東京大空襲で焼失(1945年5月25日)、今や宅地が建ち並び痕跡すら見つからなかった。
下北沢駅は環状七号線、井の頭通りに接続する太い道路がない。私が幼少期から一部の高級住宅地を除く世田谷区は狭い道路に住宅密集にて迷うと言われていた。
防災において城東地区ばかりが取り上げられるが、むしろ戦後に日本中から自己中育ちが集まってきて、隣に誰が住んでるか知らないとか近所づきあいもない町ほどカネでは解決できない危険な人間が住むところだが、ゴメンネ、ゴメンネーって具合に地方出身者はタワマンと世田谷区が大好き。
城西地区のほうが地盤が良いため地震には強いとされるが人々の結束が弱い。江戸川や荒川が決壊したらヤバイに決まってるわけだが、水が染み込みにくい土地に細かい川を潰しまくり、起伏がある土地柄であるため低い部分にて水害が多く発生している。防災上では危険視されてこなかった地域、世代交代により忘れられた地域に危なさを感じるのであった。
幼少期に爺さんが「何も無い(たぶん終戦後の年代)」って言ってたように、広い道路を作れたはずが車社会など考えることもなく金儲け優先で多く家を密集させて建てたのでしょう。
城東地区では各所で立ち退きによる道路拡幅工事が見られるが、今後は城西地区で見られるようになるでしょう。以前に発見した池袋駅の西側、劇場通り、下板橋通りで拡幅工事が見られるが、細い道に路線バスも通る地域にて道路拡幅は全く進んでいない。
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| emisaki | 2025-07-28 Mon 22:57 | 旅・散策::考察・批評 |
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