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安全度が増す高台。タモリが好きそうな高低差@大阪市阿倍野区
大阪府大阪市阿倍野区 長州藩死節群士之墓付近 [Googleストリートビュー]

 縁(へり)に位置するわけだ。Googleストリートビューで示した道路は坂道として整地されたと考えるべきなのも、左右に移動すると急な段差になっていたから。東京で言うなら高輪台や御茶ノ水から上野などで山手線(東北線、東海道線)は高台の下の縁を走ってる感じだな。

 これらを考えると「あいりん地区」を浄化したくても再開発地としては不適格だった。江戸時代の湿地帯だから過去から岩盤上として「あべのハルカス」は建つべき場所として正しい場所だったし、星野リゾートのホテルが建っても新世界からあいりん地区のダークゾーンが消えるわけじゃないし、天王寺駅のほうが近鉄の始発駅でもあり当然でした。

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 生駒山に向かって地盤が良くなると思ったら間違いで、古地図を見ると江戸時代には大和川は大阪城の北側へ繋げられていた。もしかすると大阪湾に流れ込んでいる河口部の大和川は近代に作られたのか。

 阿倍野区の高台については堺市からずっと東の柏原市の説明「大和川の歴史」にて解った。そこにて「新大和川/今の大和川」なる表記もあるため、予想どおり治水対策で作られたのだろう。阿倍野区から北へ細長い台地の先端が大阪城でしたと随所で見られる典型的な位置に存在していた。

 奈良時代から治水対策とも書かれており、江戸時代にも洪水にて何度も治水対策がなさえてると説明されていたが、江戸(東京)より長い歴史を持ちながら、なぜ民は道徳を得ることができず都市でありながら現在もなお自己中な集団になってしまったのだろうか? そうなると、度重なる天災によって団結し、集団生活能力を得たという私の読みは間違っており、江戸には別の要素が働いたわけか。なんだそれは?



 企業展示会の出展で大阪マーチャンダイズマートなんて使っていたときに宿泊は森ノ宮にしていた。天満橋はホテルの値段が高く、京橋はホテルが少ない。今は安い感じだが大阪キャッスルホテルなんて最安でも8000円だった。森ノ宮は住宅地だから集客のためか安くて部屋は狭いけど綺麗なホテルで4000円だったから何日かだと差額が大きい。会社に損をさせる行為は馬鹿のすること。

 今みたいにネット予約がままならない時代だから見つからずに住之江公園になって、欧米人ばかりとすれ違って、下が商業施設だから高層階のみだし、ヤバイと思ったら1万円にもなったのか1万円で済んで良かったってこともあったか。ホテル一覧と電話番号しか書いてない所から探す感じも旅の醍醐味だったかもしれない。だから「旅の窓口」を知ったときは神に思えたんだ。

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| emisaki | 2021-03-25 Thu 21:53 | 旅・散策::雑記 |