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菅原橋交差点をネタにした4年前の記事を見つけ…
 日曜日のナニコレ珍百景が周知されてるネタだらけでつまらなかったため、たまたま見つけた記事から話を膨らませる。離れた地域だから忖度なしで考えられる。

 記事にハテナマークを付けりゃいいってもんじゃない。と一瞬で違うだろって思ったのが 乗り物ニュース『日本一? 「11叉路」』なる2017年の記事だった。そこは東京都江戸川区の菅原橋交差点

 小学生まで住んでいた近くだから遊び場の範囲でよく知ってる場所だけに11叉路なわけない。もう独立して引っ越したが、お友達の実家が菅原橋の近くにある。

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 放射状の道はともかく、現在の交番の左右は隣の道だからな。30メートル以上も離れてるんだぜ。千葉街道から仲井堀通りは最短35メートル。この中途半端に短くて長くもあり、信号機が多段に設置できないだけ。

 Googleストリートビューの記録にもあるよう交差点内であるはずが自動車は千葉街道を直前として信号停車している。南側の仲井堀通りに至っては一方通行になり信号機も無い。

記事にしがいがゆえとしか思えん。強引なネタづくりにマジに突っ込んでやる。
そして周辺の話。




 東京都大田区の(七辻交差点)が何度もテレビで取り上げられ有名で一点に集まってるから七叉路だと言えるが、菅原橋交差点は五または六叉路で、他、すぐ近くに曲がり道があるというのが正しい見解だろ。11は強引すぎる。

 それが許されるなら、中央を広い高速道路がよぎっていたり中央分離帯に木が植わってたりで上下線が離れてる道は1系統の信号機で管理された一つの交差点だから自動的に8叉路(2×4方向)ってことになるぞ。中央には高速道路の出入口、角の近くに斜めの道があれば、9、10、11、12と増えてゆくのだから、こじつけがましいこと、いい加減にして欲しい。

 僕が小学生の頃の交差点は今のように広くなかった。広げたため過去を知らない人が近くの曲がり道まで含めてしまったわけだな。区画整理のためか、交番は何度も移動してる。だから現時点でもGoogleストリートビューで菅原橋交番は一つ前にあった場所で今は建設会社を示している(地図だと正しい場所)。


 11叉路なんて言って2つは暗渠(古くは用水路だろうが、私が知ってる時代はドブ川)の両脇の歩道で、ずっと先までいかないと車道にはならない。そんなんじゃ、なんでもありじゃん。

 行ったこともない奴が仮想空間だけでご託並べる事が増えすぎたのだが、だったらよ、葬儀社の横にも通路があるんだよ。12って言えボケ。なんで、そこだけ数に入らないんだ。

 事業ならば現地取材は最低限することである。近年は自動車が通れない路地や有名な観光地なら山道まで徒歩で作られてきたGoogleストリートビューは恐るべき道具であるが全ては見通していない。




 江戸川区は畑だらけが宅地化と埋め立てで広がり、昭和ですら半分は海岸線の泥沼と海の底。先に多くの人が住んでいた葛飾区と決定的な違いが世代が新しく税収が高まったこと。

 先祖が戦争で疎開したくらい何もなかった地域だから。ここで勘違いしてはいけないのが目黒、渋谷、世田谷など山の手なんてもっと何もなかったから開発業者の金づるになった。

 完全に江戸川区だったドブ川は早くから暗渠となり上が整備されたとの話だが、葛飾区との境界となる部分はなかなか整備されなかったらしい。菅原橋は完全に江戸川区内。

 北西から東南へ斜めの道路が仲井堀通りってように元は堀、用水路で暗渠なのは埋めてしまったのかは知らないが、幼少期のかすかな記憶で菅原橋から東南のほうでドブ川を見た記憶あり。ただし一部分なので、それがどの方向のドブ川だったのか確証がない。




 菅原橋から真南へ向かう同潤会通りが元から道路で、その東へ隣の道も暗渠の上に作った道路。当時、家電の安売り店だった「おかじま電器」へ行くときの道だった。時代も読まずに店舗拡大するから行徳の「ステップ」同様に事業拡大してから潰れるのが早い。

 確証はないが先輩いわく、大型化する前は東京都江戸川区大杉2丁目7−17で普通に町の電器屋なのにビデオテープがめちゃ安だから通っていたのだと。なぜ、そんな場所で店を?って疑問も調べを進めると推測できる理由が旧道沿いってこと。なぜなら昭和の中後期にはまだ環状七号線(環七)なる道路は用地収用の関係でしょうが分断された状態の記録があり開通してなかった。

 私が知ってるのは最初の店舗から環七へ出た角で既に大型店だった。現時点で「つり吉」の所に店があり、後に交差点の対面で今は「イエローハット」となってる場所に「100満ボルト」へと変わり家電格安販売として終了した後はもう知らない。




 小学生の頃は鹿骨新橋も、そこから伸びる道路もなかった。ずっとたどると菅原橋を避けるための道路に見える。やはり菅原橋を通る鹿骨街道ってのは道路が狭すぎるのに路線バスが通る危険から菅原橋を避けようとしてるのでしょう。Googleストリートビューで辿ると2020年11月の時点でまだ一部が開通してない。

 北部は小松(小松川)で、そこで栽培されてたから小松菜と名付けられたように、江戸川区が元は畑ばかりだったとしても立ち退きなど何十年計画で進んできたわけだ。鹿骨橋から南下して大杉橋の道路も江戸川区役所の北側に繋がるが、Googleストリートビューの撮影年月から非常に新しい。

 道路が増えて複雑さを増したのが 八蔵橋交差点 で複雑が安全なのか危険なのかって場所。ここでも神社の横にあった交番が移転してる。立ち退きもあるし、八蔵橋の近くじゃガス屋の営業所だった記憶が江戸川区役所 第三庁舎になってるし~。




 防災で考えると、欲しいのは内部の小さい橋じゃない! 東京都から千葉県へが手薄すぎと訴えてきたのに進展は全くない。葛飾区から江戸川区の東京湾まで電車の鉄橋や高速道路はあるが、人が渡れる橋は2~3キロない。

 墨田区、江東区などと組んで役所は一帯が水害の危険時は千葉県へ逃げろって告知しるくせに、かんじんの橋が無い。江東区から江戸川区へ入っても先がないから笑えないね。県境、たぶん「区」じゃなく「東京都」の行政だろ。




 菅原橋から鹿骨街道を北西へ進むと江戸川区から葛飾区へ入り、小松橋(陸橋)でJR総武線を越えた先が立ち退きにより道路になりつつあるのが衛星写真で確認できた。でも、その向かう先は中川で橋もなく突き当たりで意味がわからない。

 そう言えば以前に立石へ行ったとき京成線の高架工事は踏切をなくすためなのに、なんで「反対」かと思って写真を撮った。そこも探ってたら胡散臭いネタを見つけた。

 高架工事に合わせて区画整理を行い立石駅前に高層ビルを建て下層部へ区役所が移転するって話。立ち退きしたくないから反対だろうが、日本各地でよく見かける お役所仕事。

 その計画が強引に進んでいれば、なにげに延びる道路の先になる。あ~やだ、やだ。繋がりそうな道が見えちゃった。ボロ屋ばっかりも新築されてるが俺がジジイになるまで道路完成はないだろ。

 先に愛知県安城市で市役所に向かう区画整理があったことを探ったら東郷町でも似すぎてる件が見つかったから得意のコピペ事業なんだと思った。

 なんで中心でもない役所へ通じる道が作られなきゃいけないだ。役所の人間はテメエらが中心だと思ってるんだろうがな。都庁専用、頭ぶつかるミニ地下鉄 大江戸線みたいなもんだ。




 移民者を無秩序に入れた結果、社会性の問題以外に物理的な問題、道路拡幅や新たに作ることになり先に住んでいた人が立ち退きにあう悲劇。中には立ち退き成金もいるでしょうが、道路拡幅は高層ビル建設と違うから移れる土地がない。どうするんだろうと、ひと事ながら同じ東京都内だけに考えさせられた。

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| emisaki | 2021-05-03 Mon 20:08 | 大衆媒体::ネット系 |