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猛威を振るい続ける“地方症”:好意を受け続けると権利だと思い込む
 例え美談だとしても自覚症状がなく地方症を患ってる人たちで埋め尽くされてる現状では正しく伝わらないであろう件がテレビ番組で伝えられた。何が危険って、わがままが通ると認識するから。

 それは小学校の給食で出たのが食べたいって子。似たようなのを作ってみたが違うと。インターネットで検索して販売されてるのを見つけた。誕生日プレゼントにしたいが間に合わず、注文時の備考欄に願いを書く。「強要はしてない」ものの書くってことは狙ってはいる。

 集団生活を理解してると思ってる側からすれば、例えば駅でタクシーの順番待ち行列に並んでいたとして「今日は記念日だから先に乗せろ」、また、「親が危篤だからスピード違反を見逃せ、白バイで先導しろ」ってことですよ。このような事を全く理解してないから延々と怒り続けてきたわけ。本件は強要はしてないが要求はしている。

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 朝の通勤通学時刻に電車の踏切を突破する馬鹿どもが報道されるが、もっと早く家を出ろってことで、本件なら早く探して早く注文しろってことだ。1ヶ月もあったんだろ。寸前に注文書を見た販売側が配慮して特別に先に届けてくれたってだけ。

 最初の件を美談じゃなく危険だと思うのは、世間に対して「わがままが通る」と思わせるから。通信販売を利用してきて、地方症=究極の自己中どもによる自分勝手すぎる書き込みを読んできた。

 例えば、「前回は要望どおりにしてくれたのに、今回はしてくれなかった」それで低評価を付けてる。似た投稿(レビュー)を多数読んできた。たまたま対応で権利じゃない。評価対象でもない。

 反対側の迷惑例では、テレビ取材がくると店舗の人が無料にしたり、多く渡したりすること。押し付けられてしまっても放送してはならない。アホな制作連中は「社会的な影響を理解できない」。勘違いする連中が増えてしまったからには一般的に行ってないことをしてはならない。




 また、別件だが私が日帰りで遠方のイベントの観覧に行く前に上野で買い物をしてしまってコインロッカーに入れた。帰り切符が「○○駅→□□駅」となっており当時の上野駅での入谷側の秘境な改札口は自動改札じゃなかったため駅員に呼び止められた。自動改札機だったら起きないが、ご親切にも下車してしまう理由を尋ねてきた。切符の規則では都区内へ戻ったら途中下車はできないため、こちらから遠慮させていただいた。そこは好意を受けてもいいだろう。問題はタイトル通りで権利だと思うなってこと。

 一方、「前は出場させてくれたから、また出せ」とゴネてるヤンキーが駅員に詰め寄っており、挙げ句の果てに悪態をついて去って行った場面に遭遇したことがある。そら、みたことか、俺が言った通りだってな。普通に見えるオバンにオッサンでも、そういう好意を権利かのよう主張する奴らって見てきたよ。

 深く考えていた訳でもないが、今になって考えれば自分がそれに甘えてしまうと結果的に同じ次元に落ちて地方症な奴らを狂わせてしまう。規則どおりにすべきも、そうした連中が存在するせい。




 事件も起きてる。指摘する部類には「親族」「友達」「常連さん」も「いちげんさん」も関係ないからで、即座に自分への対応が悪いと言う発想になり、恨みさえ抱くようになる。

異常にも権利だと思い込んでいるだけに、権利を剥奪され虐げられたと思うと考えられる。

 好意を受けてる側の精神年齢が低いと危険な人に向かって自慢してしまう。そうすると「なぜ自分にはそうしてくれないのか」となり、暴発して犯罪者へと転落させてしまう。

 問題を起こした奴から精神年齢が低い人とは別に思われていたようだが私にも反省点はある。だが、ネット上で直接通知とか隠れた所で異常性を剥き出しにしても気づきようがない。

 よく事件報道で近所の人が知ったかぶって話しをするが、あからさまな迷惑、悪事を繰り返してるならともかく、今どきの人間関係においては近所ごときが他人を解るはずがないのだ。




 地方症=究極の自己中へと最悪の環境で育ててしまったわけで、大なり小なり病的症状な人達が多く潜んでいる。「他人の座席も私のもの」みたいな頭のおかしな連中も少なからずいる。

 要するに「私は座席を譲られて当然だ」って思い込むようになる。これに関連したのが、自動車で脇道から出てきたくせに入れてくれないと「あおり運転」をするような異常者がいて、その予備軍は一部の人じゃなく大量にいる。自覚症状がないだけ。

 そのあたりの異常者は J-CASTニュースがちょくちょく取り扱ってるが「頭のご不自由な方々」という言葉がピッタリなのだ。


   『人は優遇(好意)を受け続けると、それを権利だと勘違いする』


 これは国家間でもある。真実でもなく終わってる件に配慮してあげたら知らぬ間に嘘が真実にされてしまったりだな。社会教育がなされていない世間知らずの脅威は世界的だ。

 その勘違いの変形例が、幼少期から怒られずもせず、やってきた事は例え犯罪だろうと自分の中では正当化されてる。そんな奴が大勢の他人がいる場で迷惑行為を指摘されると、テメエの犯罪行為のくせに権利が奪われたと思って愚かにも逆ギレする。「地方症」と名付けたように危険人物は集団生活能力がない祖先、親によって大量生産されてきた。

 私は怖いので、それでいいのかと常に自分を問いたくなる。確かに、あまりにも「自分は真っ当ですヅラした異常者」が増えて怒りに任せてもある。社会的に考えて世直しの批判をしているのに中傷になってはいないだろうかと不安にもなる。


 コロナ禍だから余計に見えるようになったが、真っ当な人ほど家に引っ込んだため自己中の極致が台頭し、異様な事件を起こす。要請を無視して強行された大規模イベントに来ていた連中の言いぐさ、自分の行動を正当化しているにすぎなかった。真っ当なら参加しないが、そこが理解できないのが地方症=究極の自己中という奇病。

法律は強制だが、規則や慣例ってのは強要できない…だから守らなくていいがクズのセリフ。

そうした社会に順応できない連中が危険な組織を形成して破壊活動を始めるから怖い。
集団生活能力がない方々に見られる「自分ルール」、生命に関わるほどの脅威。

「それくらい いいでしょ」が、唯一の真っ当に近い環境都市を形成した「江戸」の概念を破壊した。
世界に多くいる「真っ当に列にも並べない自己中、精神的未開人」の存在を知ろうか。

話が膨らみすぎたが、集団生活能力がない人間たちの中で配慮を美談と伝えるのは非常に危険だ。

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| emisaki | 2021-09-18 Sat 16:54 | 生活::集団生活 |