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猛威を振るい続ける“地方症”:日本人はなぜ席を譲らない
Yahooニュースにあったので本家を探ってみた。
ビジネスインサイダー「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された【令和ヒット記事】

 平均的に見ればイカレた人間の多い外国人であることは世界的報道のみならず、日本での外国人観光客による行為から事実は曲げようがありません。ところが外国でも関心させられた件があり、緊急車両がやってきた際にモーセが杖を振って海を割って水をなくしたのごとく車が避けることだった。

 日本でも緊急車両を避けると言いそうだが動きが鈍すぎて「仕方ねーな」って感じがする(渋滞、狭いは除外)。日本の緊急車両は速度が遅いから避けろって瞬時に思わせるよう染みついてない理由もありそう。都市を形成しても自己中の集まりな関西なんてひき殺す気かって車が人混みに突っ込んでくるのに何度も遭遇したが、自分の生命の問題となれば蜘蛛の子を散らすよう素早く避ける。

本題につて外国人に言われなくても日本国内だけで日本人の堕落ぶりをさんざん書いてきた…

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外国での座席の件は知らないが記事によれば一部の国の人は徹底されているようだ。
自分より体力のなさそうな人たちに席を譲るのを見てきた。彼らを見ていると、こういう行為が本能的に身についていて反射的に自然にできているんだなと感じる。おそらくこれは、幼い頃からのしつけと、長年の習慣の賜物だろう。
日本人はなぜ席を譲らない? に答えると、歴史は浅いものの大多数が常に座れる社会で育ってきた子孫だから席を譲るという概念を持ち合わせてないからでしょう。別に座席だけじゃなく、老若男女、他人の迷惑をかえりみない自分勝手については何度も実情を報告してきた。

 今は社会勉強ができる子供の絵本は存在しないのか? 私の幼少期には溢れかえってたし、教育されなくても社会を見れば理解したのだ。自転車についても子供の自転車専用教習所みたいな施設があった(いつしかなくなった)。

 都市生活の能力において代々と集団生活をしてきた本能みたいなものだと書いてきた。代々祖先から都市部生活者と別の方々を密かに比べてきて遺伝の可能性が高いと思うようになった。

 インドでは列に割り込むから気持ち悪いほどぴったりくっついて並ぶわけだが、日本でも並べない奴らが大量に新興住宅地とやらを形成してきたため普通のはずが普通じゃなかった奴らに対して鉄道会社は「整列乗車」を徹底させた過去がある。ところが、連中には他人に席を譲るという思いやりは生まれなかったようだ。子に伝わったのは自己中。

日本で接触した中で老人へのいたわりにおいては中華圏の人のほうが日本人より遙かに上であった。




 出張や旅行で長年と見てきて私なりの解答を出したわけだ。「あんな生活環境にいて、自己中が日常的な奴らに集団社会のモラルなど根付くはずがない」と。理解しないまま都市を形成したり、大都会に攻め込んできて「赤信号みんなで渡れば怖くない」という生活をしている。

 怒り爆発した数々の人命を奪ってきたからこその表現が「エボラ」という強烈な例え。暴言で構わないほど怒ってるからだ。有名どころでは東名高速道路、常磐自動車道で発生した「あおり運転」からの殺人および傷害事件だが、自分が紙一重のところにいることも気づくことができないので次々と同種の事件が発生した。模倣犯ではなく、既に染みついてしまってる恐るべき人間性だと言うことがわかってない。

本質的な自己中には「おもてなし」なんぞ不可能。できるのはマニュアルに従う事。




 幼少期から学生期へと人間形成上で重要な時期に「座れるのが当たり前」って連中と「座れなくて当然、老人等には席を譲れ」って言われてきた人間が同じであろうはずがないのだ!

 記事の野郎も勘違いしてるがリュックサックが迷惑だってようにベビーカーは都会においては何倍も迷惑なのであり、子連れには席を譲り座って戴く替わりにベビーカーは畳むのが当然なのである。ところが、座ったあげくにベビーカーも広げたまま子を放置してテメエはスマホ画面に釘付けな頭のご不自由方々が実に多いこと呆れる。

 過去には何も言わなくても電車、バスの車内にベビーカーなんて持ち込まない。持ってても絶対的に折りたたんだ。リュックサックを背負って電車に乗る奴もいなかった。人間のほうが狂った証拠である。いや、私が生まれるより前に狂った人間が入ってきた末路である。社会が正さなかったし、都市生活不適合者な親が子に対して教育できるはずもない。

 集団社会を理解してない奴がまともづらしてルールを決めてるから、ベビーカーを認めたり、後ろでも前でも迷惑に違いないリュックサックは前だとか意味不明なルールを定める。都市生活不適合なる侵略者の勝利である。そして勝手に都会を舞台に 自己中 対 自己中 の戦いを繰り広げ好き勝手な事を言ってる。

 ちょっと前に来た移民者を後から来た移民者が真似をして都会人ヅラした悪循環。異世界にやって来ながら自分たちの異常なルールのごり押しはまるで世界に散った中韓の移民者がしていることに等しい。




 地方環境が自己中となるのに歯止めを掛けていたのは複数世代の同居と子だくさんであったが、過疎化と少子化が中国の一人っ子政策の末路と同じ「小皇帝」「熊孩子」を生みだし、そいつらがまた親となって自己中・不道徳・無秩序など持ち込み都会を没落へと向かわせてる。

 こっちが無能極まりないと言ったところで既に親が都会産まれである子が道の歩き方も知らないと自覚できるはずもない。団塊の世代あたりに根本的原因があるため、その子である今のオッサン世代がヘッドホンステレオで音楽聴きながらスマホとガキと同じことやってる。自己中が許され育ったことにより「モンスターペアレント」なんて出現したのも当然のことで、そいつらの子である「団塊の世代の孫」は、いったいどんな怪物なんだってことさ。

 通勤時間帯に階段を降りるときにまでスマホ画面を見てる奴をしょっちゅう見かけるが犯罪予備軍にしか見えない。同年代であっても「本物の都会人」からは有り得ない行為だってなぜわからないのだろうか。哀れな人間でいること気づきもしない。

 そして日本では、人間教育を飛ばし学業に専念した結果の高学歴とやらを持った奴らが富と権力や知名度を持ち、狂った思想に基づきガキどもを先導して御山の大将になっているのが恐ろしい。かなり前から学歴と道徳は比例しなくなった。

 団塊の世代の孫、「ゆとり」と揶揄されても政治や親の責任と逆ギレするだけで正そうとしない。原因の発端は高齢化し責任を感じることもできなくなり、そうした連中に老害と言われる始末。単純な認知症状ではなく団塊の世代の移民者が理性で止めていたのが高齢化によって外れてしまったのが暴走老人と言われてるのではないかと思ってる。

 そして老害とはおおまかには年齢であって時代ではない。よってイカレたガキどもを生みだしてしまった以上、近未来にやってくるのはモンスター老害だと言うことだ。今、己のクズぶりを無視して老害と言ってる連中のほうが恐ろしい。モンスターが産み落とした子孫に、どう扱われるのか見てしまうまで生きてそうなだけに尚更おそろしい。




幼少期教育を徹底させることで改善できる可能性? それは生活環境が重要。

 人種の変化を感じるようになって都市生活不適合者どもの異常行動を見るようになった。たとえば、チャリカスのくせに赤信号では止まる…注意すれば刃向かってくるようなクズが日頃に信号を守ってる意味がわからない。歩道を爆走し、歩行者を邪魔者扱いするような連中のくせに無視できそうな信号で止まったりする。もちろん止まるべき赤信号で止まらない連中も多いのは信号という概念が根付いてない所からやってきたからに違いない。歩道橋を渡らないのも歩道橋という概念を知らぬ。

 このように、もし自分勝手が許される環境で育ったがゆえに狂った人間になってしまうのならば、全ての問題は教育によって解決できるかもしれない。座席を譲るというのも教育できるのだが、常にがら空きの車両では現実を見ることがないため幼児や小学生が言葉で理解できるとは思えない。日本という狭い環境である限り、子供は大勢の人がいる場で育てなければ他人のことを考えられる大人には育たない。

「若気の至り」という改善は世の中にはほとんどなく「三つ子の魂百まで」なのだ。




 記事を書いた奴は知らないのだ。もちろん文化が異なるため日本では子供は立ってろって言われたし、席を譲るにしても対象はある。自分勝手に買い物して荷物を持ってるならば弱者とは呼べないから。

 だが、高齢者を始め体のご不自由な方、妊婦に席を譲るのは小さい頃から目の当たりにしてきた。それがいつしかいなくなり、線を引かなければ順番も守れず列にも並べない連中で埋め尽くされてしまったのである。

 犯罪者を大量に生産している連中から日本では体罰が必要だと思ってる率が高いとか人質司法だとか非難される筋合いはなく、西洋人がすること正しいなんて思い込みは「敗戦病」にしかすぎないので日本の問題は日本人の考えで解決したい。

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| emisaki | 2020-01-04 Sat 22:13 | 生活::街・施設 |