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この差って何ですかvs.世界一受けたい授業 昭和歌謡 この差の圧勝
 「世界一受けたい授業」は始まった当初はよかったと思った。ところが途中から異端をあたかも真っ当な説かのよう語る連中が出演しだし、番組の構成上からも第二の「あるある大辞典」の二の舞を演じてると感じるようになり、見るに値せずと判断していたが同じネタがきたぞと知ったため録画してみた。

 1年前に見ましたなんて騒ぐのは馬鹿だが、ずっと指摘してきたのは数日の間のネタかぶりが実に多いことであり、新装開店で報道が集まるのは当たり前だが、なぜ速報性もない同じネタが近日に繰り返されるのかってことが多すぎるのだ。

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 下請け制作が同じなのか知らないが、TBSの「この差って何ですか」にて以前に取り上げられた昭和歌謡の魅力、時間がないと第2回が今週に放送され、例によって企画パクリの連鎖というか本日放送の日本テレビ「世界一受けたい授業」で取り上げらられたわけだが、全く同じ部分として「卒業(斉藤由貴版)」「木綿のハンカチーフ」が語られたのだが残念ながら くりぃむしちゅー有田がいい加減で、TBSでの爆裂お父さん(加藤浩次)のほうが桁違いに感情がこもって熱弁していた。

 これらの番組の大きな違いは、TBSは歌詞を受け止める側の立場として昭和生まれの人達の中、昭和歌謡にはまった平成生まれの子を登場されたのだが、日本テレビのほうは作詞家である松本隆を出演させたことにある。作詞の真意を計り知る上で確実である一方、たった一人に限定してしまった。異端な説を語るのが登場していた「世界一受けたい授業」なだけに当事者が出演することに意味はあったが、あまりにも時間が短すぎた。


 TBSの番組を意識したとしか思えないのが「第2弾」という誤魔化しであり、企画のパクリと思われないようにするため 2018年12月29日放送に遡るが「赤いスイートピーに隠された秘密」として1コーナーの放送があったことを第1弾にして、ずっと先にやってたと言いたかったんだろうが、1曲の事と昭和歌謡全体では話がまるで違うのである。

 パクリもお約束になっているが、ネタの使い回しなら同局内においてもあり、例えばクイズ番組が2本続く フジテレビの「今夜はナゾトレ」「潜在能力テスト」では軽く10回以上は同じ問題が出ている。だから19時台に知ったことが20時台の答えになるのである。馬鹿としか言い様がないし、これらの番組は終わらせるべきほど、つまらなくなったままダラダラ続けている。

→ 2020年7月28日放送 この差って何ですか? > 「昭和ポップス」と「平成ポップス」の差
→ 2020年9月1日放送 この差って何ですか? > 「昭和ポップス」と「平成ポップス」の差~第2弾
→ 2020年9月5日放送 世界一受けたい授業 松本隆先生 に学ぶ!人を惹きつける“魔法の日本語表現”第2弾




関連余談:
 たった一人の語ることを鵜呑みにする問題点はTBS(MBS)の番組にもあり、それは「プレバト」で、芸術性は個々に違うことが解っているのに一人が決めつける。「美文字」なんてのも複数の放送局が取り上げたが、先生が違うと言うことが違うので何が美文字なのかも疑う。

 過去の教訓が生かされてないのだが、かつての「ボキャブラ天国」が深夜でくすぶっていたのが、22時台で視聴率を増やすこととなったのは当初タモリが独断で決めつけていたこと審査員を増やしたことにあると若輩者の視聴者としても感じたこと。友達と話していたことだがタモリには一般と笑いのツボにズレがあったためだ。

 ですから昭和歌謡を語るならば、できる限り当時の大勢の作詞家、そして作曲家よりも編曲家の意向を探らねば総じて語ることはできない。「マツコの知らない世界」でも取り上げられたが、作曲家なんて編曲家に比べればたいしたことないのに報われない。視点を間違えて祭り上げてはならない。

 安倍総理が他者のように利用して投稿したら「くつろいでる場合じゃない」と非難された映像での原曲も意味不明な平成・令和音楽と言え、曲調と歌い方は「f分の1ゆらぎ」とは離れている。そういうのが悪く感じないようになったのは音楽界の荒廃とも言える。海水浴場でラリってるような連中が鳴らしていた曲調に近いのや「ヘビメタ」とも呼べない酷い音楽が近代若年層に蔓延していたことで、更に酷いのは美輪明宏さんも言ってたが音楽の体をなしてないラップと呼ばれているやつだ。統計的事実で音楽の好みは人間性および社会を表していると言えよう。それは「割れ窓理論」に等しい。

このようなことから数少ない真っ当な部類の若年層が昭和歌謡に目を向けたのではなかろうか?


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| emisaki | 2020-09-05 Sat 22:29 | 大衆媒体::テレビ全般 |