2025-06-29 Sun
→ Merkmal > 「タワマン新住民」と旧住民は共存できるのか? 「快適さ」が街の歴史を破壊する根本理由 識者が警鐘を鳴らす“クソ社会化”のリアルとは [2025/06/29]読んでてすぐ感じたのが正真正銘の都会人(昔から町を作った住民)が本当の被害者であることを理解してない。本件のような旧住民と新住民の争いもだが、反面に他人の真似をすれば正義だと思ってやがる世間知らずのことを「ちょっと前に来た田舎者の不道徳を、さっき来た田舎者が真似をして都会人ヅラしてる」と強烈に批判してきた。
都市生活不適合者の真似をしたところで都市生活不適合者のまま。
先に記事タイトルへの批判を書けば「旧住民 対 新住民」というのは弱小だろうとメディア的には表現の限界でしょうが、人口集中部では「新旧の都市生活不適合者の争い」というのが正しい。
私のよう個人の発信でないのに「クソ」なんて言葉を使ってるなら書けそうな気もするが、本物の都会人でない人には年々と落ちぶれて大迷惑な日本人を理解しない。それは全体の水準を落としたからで、育ちにて植え付けられた概念が違うため自分が小便だと気づかず大便が臭いと批判してる。
よって私から言わせれば「江戸 vs. 移住者」こそが本質的な問題であるが、東京周辺まで「道の歩き方も知らねぇ田舎者」で埋め尽くしてしまったのだから絶滅危惧種には都市生活不適合者(集団生活不適合者)に立ち向かう勢力がない。
新住民がロクでもないことは確かだが、旧住民ってのが必ずしも正義ではない。
「渋谷の北朝鮮」題された幡ヶ谷レジデンスの独裁者との争いが集結して記事になったが、類する事件は田舎での「村八分」にて社会性がない排他的思想を示す事件として知られた。集合住宅の独裁者の件だろうが、あおり運転犯とて同じで自分が悪いとは思ってないのが本当の社会をご存じない「村社会」で育った連中の脅威である。
私は家系から集合社会は知ってるが田舎では生活したことがないため知らない。学生時代から東京にて大迷惑を認識していたが、知らないからテレビや旅行から情報を集めまくった。今になって思えば若い頃には冷たくあたったことを後悔している。責任がないとは言わせないが知らないから自覚症状がないからである。自分の安全から取り上げてきた道路交通法においては日本全国で同じのため、ダメな事はどこでもダメであるのに、過疎地へ行くほど見過ごされてるため違法行為が常態化しているので怒り飛ばしてもよかろう。
昭和時代、小さい頃からテレビなどで聞いてた「隣の部屋に誰が住んでるか知らない」と言い放った移住者ども。2016年には「集合住宅で住民同士のあいさつ禁止」が話題になった。
集団生活能力がない奴らは集合住宅には真っ当な生活は無理で、ましてや大都会なら糞野郎なだけ。
賛否意見を分析して賛成派には排他的思想な田舎者の特長を備えていたのを思い出す。カギも閉めない居住環境で育った人々が生み出した子は「自己中」なのは当然のこと「コミュニケーション障害」だったのだ。
引っ越す土地がどうであるかも調べない。新築じゃないなら買う前に隣近所がどうであるかも調べない。それでいて後になって文句を言い出す究極の自己中のことを都会人でないし自分勝手な要求ばかり突きつけるため痴呆に引っかけて「地方症」という病名を付けたのだ。
記事にあるだけじゃなく、既に伝えられてきたのが盆踊りに苦情にて音を出すこと禁止、イヤホン付けて踊る。苦情をつけてきた奴を血祭りにあげたほうがいいねん。長野県だったか公園で子供がうるさいと文句をつけて公園閉鎖。
適度に集まらないと非効率だとしたが、集団生活を歴史的に一度たりともしたことがない自己中育ちの田舎者が集まるとロクなことがない。社会性のない奴らが「あおり運転」なる鬼畜を生んでる。
町内会(自治会)と話し合うのは「旧住民 対 新住民」の揉め事は解消するかもしれないが「本物の都会人」との争いは奴らが無秩序を全面的に悔い改めない限りは不可能だ。さきほど買い物に行っただけでも、相変わらずのイヤホンに歩きながらスマホ、自転車は車道がガラ空きでも歩道を爆走して俺の横を通過、クソガキは当然のこと後期高齢者だって大多数が移住者で若い時代には交通戦争をやらかしてきた張本人である。
記事には一定の価値があるが、聞き入れなければいけない連中ほど耳が痛いことは受け入れないし、既に腐ってる奴は聞く耳もたない。だから罰則が強化されても減らない犯罪がある。
題材にした記事で取り上げられた「うなぎ店クレーム騒動」の法的見解
→ 弁護士ドットコム > 「においや煙が迷惑」新参マンション住民が老舗うなぎ店にクレーム 「後から来たくせに」批判は法的に正しいのか? [2025/03/09]
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