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5年、10年前に調べてから更なる街、商業の変化
 大阪に多く行ってたときもホテルの中や近くでもコンビニでもなく50円自販機とかドラッグストアーに入って買ってたし、名古屋ではスギ薬局ばっかり行ってたのを思い出す。

 旅行者は浪費しやすいのが確かであっても滅多に旅立たない人のことである。多く行きたいと思ってると、どうやって節約するかばかり考える。値段の安い店のため交通費と時間を使うのは無駄。

 名駅通にあったスギ薬局も再開発かリニア中央新幹線工事でビルごと消滅、もう10年は経過してるが150mくらい北へ移動で行くのが面倒くさくなった。同じ区画にあり少し路地を入ったところにドトールコーヒーがあって新幹線までの時間待ちとかでよく使ったが、となりのモンブランホテルもビルごとなくなってる(モンブランホテルラフィネ名古屋駅前へ移転)。モンブランホテル伏見は何度も泊まったことあるけど名駅のはない。歩くのが苦でないから東横インのほうが安く先に埋まる。

 スギヤマも競合してるから安かったなぁ。土地代ってことなのでしょうが都市部でも東京じゃ無理なんだよね。スギヤマ薬局は中部にしかないがスギ薬局は東京に進出してきていたから店構えは似てても売価の違いは10年くらい前に感じてた。東京で特売があっても「定常的」にはかなわない。当然だが所有地だとしても評価額から税金が異なるし、賃貸なら家賃の違いが大きく関わるのだから当然。そこ、都心部は便利の代償。

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 直接知る10何年か前から岐阜駅北側の繊維問屋街の衰退は感じてた。当時、繊維問屋街だとは知らず、駅の近くなのにシャッター街という印象でブラブラ。目的地が柳ヶ瀬だったから衰退してても繊維問屋街より人がいた。そこより何十倍も行ってるのが名古屋だが長者町繊維街(愛知県名古屋市中区錦二丁目周辺)、本重町通なんて10年くらいで私の記憶とはかけ離れてしまってる。集合住宅になってたり、別の勢力が拡大。

 代表となる門(Googleストリートビュー 長者町繊維街の北側南側)は残されていたが、もはや問屋街の様相は無い。歩き回って見ていた頃からボロいビルが建ち並んでいたから衰退してる繊維業で復活するはずがない。ストリートビューで時間を戻すと記憶と一致するが、2025年の映像だと駐車場になっていたり、再開発できたところでは複数の建物だった敷地に大きなビルが作られていた。

 商売として考えると、事業が衰退した場所で駐車場は成り立たないと思うんだが、そこは車社会である名古屋が救ってるのか? 富山駅近くの商店街に隣接する駐車場(通称コインパーキング)を調べたが富山の駐車料金の安さを再認識した。名古屋は東京と同等料金。



 住んでる近くでは銀行が何軒も消滅しており、近隣の大きなほうの駅に集約され1店に3~4の支店名が同居している。年代層が高まってるし江戸川区内陸部では大通り沿いにあった洋服の青山が閉店、今でもあるか知らないが湾岸に高層集合住宅が増えてからが西葛西に出店してた。亀戸の大通り沿いでも辺鄙な場所にあるが女性客を得ない紳士服のコナカは見かけないほど衰退してる。

 そういえば半年くらい前に新小岩駅南口で商店街のほうを見て銀行だったはずが洋服屋になっており「青山」かと思って調べ直したら「青木」でした。

 過去にファミリーレストランみたいに1階に駐車場を構え、2階が店舗である洋服屋の記憶があるが、「東京都心部は車社会ではない」との変化と失敗が今の形でしょう。

 私が生まれた頃に戻るだけでも東京23区内の外縁部は畑だらけだったし、城東地区なら都営新宿線もないし(東大島まで1978年開業、船堀まで伸びたのは1983年)、JR京葉線だって新木場から千葉方面に通じたの1988年だよ。親や爺さん婆さんが残した資料から今のようなカオス状態の地下鉄網なんてないのだが、「マイカー」なんて言われ庶民が自家用車を買える時期には都内でも地方みたい街道沿いビジネスが成り立っていたが、公共交通が発達し、自家用車保有率最低となった東京では自家用車の客は成り立たない。

 お前はサグラダファミリアかって言いたくなる渋谷は完成を見ないし、渋谷に興味はないが行くことがあれば写真くらいは撮りたい。コロナで自宅籠城した4~5年でも大きく変わっていた東京を追うのが手一杯だが、そうしている間に知ってる地も大きく変わってる。

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| emisaki | 2025-09-29 Mon 23:23 | 旅・散策::考察・批評 |