サイト内の移動
最新投稿
当年度ブログの検索
カレンダー
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30   
<<  2026 - 04  >>


2026 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2025 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2024 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2023 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2022 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2021 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2020 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2019 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
分類
月別の記録
状態
現在: ゲストモード

高度成長期の子供が憧れた自転車装備が一般化して復活するか?
 集団生活能力を野球で例えてきたが、こっちが大谷翔平やイチローだとしたら、多くは幼稚園児が棒きれ振り回している程度。幼稚園児で埋め尽くしたから酷さを自覚できない。

さらなる野獣である外国人にチヤホヤされたところで無秩序な自己中であること変わりない。

 そうした自己中ぶりはネットでほざいてる芸能人や有名人にも見てとれるが、社会全体を狂わせたことだと批判じゃなく同感や同情してしまう。

まず、問題点から



【小道でも赤信号で止まるくせに青になったら歩道を爆走(信号くらいしか守らない)】

 外国の野蛮人なら信号さえ守らないわけで赤信号で止まってる日本人だから従うことに期待してるが社会に無知すぎる。「人は優遇を受け続けると、それを権利だと思うようになる」ため違反が常態化して正しいと思い込んでる。人口が少ないほど信号機さえも守られなくなる。

今の生きる人々は犯罪者であり続けたことを悔いるべき。社会のせいにするのは哀れな奴。



【青切符の導入を知らせるには貢献してるがロクな内容がない なんちゃってマスメディア】

 企業宣伝からアクセス者を増やすためにインターネット上に「なんちゃってマスメディア」が激増したが、「誰だお前は?」と言いたい企業だから記事の質も悪い。安全面から怒ってきた件で、2026年4月から青切符違反が導入される自転車の記事は直前にて更に増えた。



【2026年4月から通称 青切符での取り締まりに簡略化、それまで単なる犯罪者】

 個人が騒いだところで間抜けな記事には伝わらないが、相変わらずの間違えた文章では4月から違反になるとしか読めない。現時点では「前科者になる犯罪者」なだけ。

 百項目以上も覚えろと言うのかなんて言いやがったが、新しく取り締まるのではなく、ずっと前から違反(禁止)であること全く理解してない。この点はテレビ番組の内容を批判してきたように大手マスメディアとて同じであった。

続きを読む ≫

 
【自転車運転手は100%犯罪者、必ず何か違反しいてる】

 これに注釈を付けていた。それは(警察官も含む)である。街中の警察官が違反を繰り返してきたのだから市民も正しいと思って守るはずがない。その第一が自転車での歩道走行だった。過去の話だがガラケー時代には列の後尾で携帯電話を操作してる警察官を見たこともある。

 大勢から逆ギレされてきて統計的に解ったのは「田舎者(近代その子孫)は他人の真似をすれば正しいと思ってる」こと。先に来た無秩序の真似の連鎖によって集団の秩序は破壊された。人口が少ないほど傍若無人に育つことを許す環境だからだ。

 街中の警察官も交通専門ではないこと解ってますが、誰だろうと自転車に乗るならば基本的な道路交通法を勉強すべきなのに全員が怠ってきたから警察官さえ違反を繰り返した。

誰もが違反している点では自動車運転手も大差なし。



【お前らが手本にならず原因のくせに私たちは真っ当ですヅラを開始した警察】

 自転車運転手は100%犯罪者と言い放った理由の一つに手を使っての方向指示(ハンドサイン)義務違反があった。知らないと抜かす奴が多いことから、これも教育を怠った。

 テレビ報道で自転車に乗って自転車運転の取り締まりを行う警察官の存在を知ったのだが、それを見て呆れたのがハンドサインをやっていたこと。「てめえら誰もやってなかっただろうが!」という怒り。過去にここに書いたが道路交通法を読めば義務であることがわかる。

 第二次 交通戦争の中に生まれた私は小学校だと思うがハンドサインを習ってることもあり今でも覚えてるが、当時に義務だと聞いた記憶がない。交通問題が出て資料を読んで知った。


 
【ハンドサインは危険 → 方向指示器の搭載】

 そこでだが、世間の自己中どもが片手運転は危ないとか屁理屈を抜かすわけだが、これが捕まるとなれば、面倒であるし、危険性も伴うため自転車にも方向指示器が搭載されるのではないか。

自転車は方向指示器がないから手で行うだけで、方向指示器が使えるなら手である必要はない。
(ハンドサインには停止も含まれるためブレーキランプも必要)

 昭和を扱うテレビ番組で昔の製品を紹介していたが、その中に小学高学年から中学生くらいの男児用の自転車で電飾の方向指示器が付いてるのがあった。自動車と違って車幅が狭いため同じ場所で点滅では右か左か解らないため、示す方向へ流れるように点滅していた。そんなデコトラみたいな自転車は私が小中学生の頃にはもうなくなっていたのですが、その価値が見直されるかもしれない。



【自発的に行動できる子は遺伝的能力や生活環境も強い。バカ親だらけが最悪の事態に】

 私が中学生の頃に買ったのはメガネに取り付けるバックミラーだった。自転車が走行している路肩は自動車が走行している場所より危険が多いため、後ろを見るため振り向くなんて停止しなければ危険だと中学生で認識していた(親の介在は全くない)。そう感じていたら自転車雑誌に商品宣伝があって買った。

 バイクを運転する人なら理解すると思うが、顔を動かして見る行為だけで体の動きを誘発させ、意図せず進行方向を変えてしまうため危険なのだ。走行中に振り向くなんて危険である。

 メガネ装着は限定的のため今は半ば義務(努力義務)となったヘルメットに装着したり、バイクと同じにハンドルに装着するバックミラーを義務化したほうがいい。

 続いてナンバープレート、免許制の導入をすべき。自転車の場合は高額費用がかからないため、販売済みも対応させねば公道走行は禁止で取り締まる。

 ナンバープレートの発行は厳格化することもお忘れないよう。なぜなら安全な日本も店での傘や自転車窃盗は爆発的に多いのだから。ナンバープレート、車体番号も刻印または電子タグの埋め込みは盗難抑止力が強まる。1万円のママチャリでどう思うかだが、学生時代に10万円の自転車を3度盗まれて早くも自転車人生終了した私としては重要度が高く、社会として許さないことで犯罪抑止にもなる。商品窃盗(通称 万引き)や自転車泥棒は人間のクズへの入口。



【(大惨事)第三次 交通戦争】

 これら誰から言われなくても解るのが本当の集団生活者ですが、もはや絶滅危惧種となった。歩行者とてイヤホン(ヘッドホン)で音楽聴きながら歩くなんて野蛮人にしかできない暴挙だとお解りにならない連中で満ちあふれた。それを車両を運転しながらなんて人殺しにつながるわけですから熊より劣る駆除対象でしょう。

 集団就職で集まった団塊の世代までが起こした「交通戦争」、その子が成人して起こした「第二次 交通戦争」と呼ばれた人殺しで溢れた時代を指摘したが、他人の存在が理解できない自己中育ちの無秩序侵略は俺が生まれたときには完了していた。

 邪悪集まる繁華街なら糞まみれだが今や銀座や日本橋、浅草だろうがバベルの塔に住むお高くとまったクズどもを見かけるようになってしまった。第三次ではなく常態化してしまった。

酷い有様を『肥溜めの中のウンコは自分が臭いとも思ってない』と称し、こちらは臭くてたまらん。

 そんなクズしか乗ってない電動キックボードの世界的な社会問題より先にチャリカス(傍若無人の自転車運転)問題は桁違いで、糞まみれな当人は自分がチャリカスだと思ってない。

 役所や取り締まる側は「法律を守らせる以前の問題」で、生活圏、家庭教育による「悪い体質」の結果だと認識する必要がある。そうして育って自動車を運転してる連中の脅威から田舎町のほうが子供へ教育されているはずだが、なぜ育つと腐るのか全く理解できない。

「東京へテ○リストを送り込んでくるな」とは人命に関わる切実な願いである。

≪ 続きを隠す
| emisaki | 2026-03-29 Sun 23:16 | 交通::情報・考察・計画 |
DIY:準備作業 物置に詰め込まれていた不要品の廃棄
膝を悪化させると困るため桜の花の撮影に出るのはあきらめた。

 そこで物置のガラクタを捨てる作業の続きを開始したのだが困りものが出てくる。まずはサビついた金属の箱、中途半端な大きさで一辺が30cmを少し越えるため、そのままでは捨てられない。
 分解するために一時的に近所迷惑な作業が必要になる。金属用ノコギリなんて太刀打ちできず、ディスクグラインダーに登場していただくも日曜日にて迷惑すぎて作業できず。

 続いて朽ちてきた麻の袋に入った重たいのが複数あり、なんとか隙間から引き出すと中身は大理石の板だった。それ自宅で複数が使われているため、持ち込んで使わせた余りなんだと推測した。
 石や砂は捨てることができないため困りものなのだ。固すぎて粉砕もできない。家の周囲に敷くしかないが、現状は積み重ねて置いた。

 先に処理して時間を使ったのが直径3cmくらいの金属の棒で、長さが60cmあったため真ん中で切断するにも太いため、休み休みディスクグラインダーにダイヤモンドカッターの刃を付けて時間をかけて切ったのだが、火花も飛んだため火事にも注意せねばならなかった。

| emisaki | 2026-03-29 Sun 17:05 | 生活::家電・家具・雑貨・器具・DIY 関連 |
カメラ機材 なぜ時代に逆行する記事が目立ってきたか
 性能の悪さと戦ってきた世代として、悪いを良しと考えることは全く理解できない。論争も昔のことで、もはやデジタルカメラよりフィルムが優位なんてぬかす奴はいなくなった。

 若年層においては信念など持たずブームに流されるため、価値も関係ないため用途ではなくファッションとしてのフィルムカメラがあった。AIがどうの言う時代なのだからスマホで撮った写真もフィルム調にすることは容易いため、今となっては費用がかかるフィルムカメラを使う必要がない。だがファッションとしてなら持ち歩く意味がある。

 写真雑誌系の記事ではネタが尽きているため、このところ目立ってるのが過ぎた機材を持ち出す記事。テレビ報道にある問題と同じよう、答えがあってから記事を書くため強く違和感を覚える。ネタに困ってるから真似事は連鎖的に起こり、フォーサーズ規格カメラを持ち出す記事があってから、使ってる人が多いため持ち出しやすいAPS-C規格を持ち上げる記事が複数でてきて目に止まった。

続きを読む ≫


 私がデジタル一眼レフカメラを初めて買ったとき35mmフィルサイズのイメージセンサーなんて一般には存在していなかった。ニコンやキヤノンの最上位機種でも APS-C、APS-H だったため過去からの資産であるレンズを装着すると焦点距離はニコンで1.5倍、キヤノンで1.3倍(一般機種1.6倍)になった。望遠では楽だったが広角では非常に苦労したため花火撮影はビデオカメラで写真に手を出すには何年も後だった。

 APS-Cより小さなフォーサーズ(マイクロ フォーサーズ)規格カメラでは望遠レンズに利点がああり、150mm F2.0レンズは35ミリカメラ換算で焦点距離は300mm F2.0となる。一時期にサンニッパ(300mm F2.8)を買って持っていた私としては小ささと軽さに感動したが、2倍になることを考えると広角レンズでは35ミリ感覚で魚眼レンズのような数値を探さねばならない。小型は望遠向きだから野鳥とかカーレース、飛行機とか撮影している人にはよい。

 2005年、ニコンD2Xで暗所でのノイズに悩まされていたため、2010年にキヤノンEOS7Dを買った時点て技術進歩は認識したもののISO感度を上げるとノイズが酷いため、ISO100のまま長時間露光である花火撮影なら使えると感じた。花火写真に初挑戦した2010年、感動の近さで見てしまったため35ミリ換算で約28mmレンズでも画面に収まらなかった。

 所有物から縛りは出るもののメーカーに拘りがなめ2010年頃には出回っていたマイクロ フォーサーズも考慮したが、当時の機種では感度が悪く画素数が少なすぎ割高のため除外した。



 フォーサーズ規格で7mm(35ミリ換算14mm)より広角なレンズは存在せず、8mmでも魚眼レンズになってしまう。35mmフルサイズ対応で14mmは高級型しか存在しないため少し広げた17mmとか18mmを使ってるが、その程度でもフォーサーズでは難しく高いお金を支払わないといけない。小型だからの利点もぶっ飛ぶ。

 私はビデオ(動画)が捨てられなかったため持ち運ぶ機材の多さから小型の写真機には興味があったが、花火撮影には向いてなかった。最大広角 M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO が35ミリカメラ換算 14-28mm だったが、少し下げて M.ZUIKO DIGITAL ED 8-25mm F4.0 PRO でも定価16万円、需要と供給から動きも少ないが、一般的に中古レンズは長期的に値下がらないため中古価格も高くて12万円台だった。

不可能ではないが高いお金をかけてまで、わざわざ手を出す必要がなかった。



 カメラ、レンズの売価はデジタル化してから物価に比例しないほど高値になり、最近ではその度合いが更に強まった。最終形のプロが使うフィルムな一眼レフからすると今のデジタル一眼レフカメラ本体価格は3倍で、ほぼ100万円に達した。

 問題は、そうまで投じても長持ちしないこと。壊れやすさもフィルム時代より増したわけだが、2~3年で半値以下の機種が性能で追いつく意味で長持ちしない。短期間でも即座に最高性能が必要でなければ100万円のカメラではなく、35万円のカメラを3回買い替えたほうが、それなりの性能を持ちつつ2倍以上の年月で使える。

 ガラケー、スマートフォン内蔵カメラにて小型機も売れなくなり、製造会社の財政を悪くしたから二極化して大型のカメラは「金持ちの品」に戻ってしまった。



 実用品にファッション感覚なんて無価値のため考えについてゆく気もないが、別件として子供の頃にレコードに付着したホコリによる異音が猛烈に嫌だった。音楽記録媒体にCD(コンパクトディスク)が誕生し、一般でも再生機が手軽に買えるようになってレコードの不憫さから開放された。だからレコードやフィルムなんて今でもお断り。電車やバスに乗ってるのに篭に味があるなんて理解できるはずがないからさ。

 過ぎ去った規格に費用を投じるなんて関心がない。記事に困ってるから掘り返し、多くの欠点を無視して利点を追求してそう。所有している「古い機材を活用しよう」という記事なら歓迎する。

≪ 続きを隠す
| emisaki | 2026-03-29 Sun 09:45 | 映像音声::写真(カメラ) |