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江戸川区の過去と現在 商店街は北端だけ、南部は新興住宅地
 江東区も似たような構造だが都心部に近いことで集団生活不適合者なのに大好きな超高層ビルが多い。江戸川区の南部には大型の団地で超高層ビルは小岩駅前だけか。タワマンで破壊が進行中の小岩は別件でやったため江戸川区の西部と南部に焦点を当て、移住地、物件調査なら当たり前にする調査の一部をやってみた。



【回想】

 第一書林が閉店で調べたことから派生。新小岩ルミエール商店街と言っても半分は江戸川区。平井も小岩も江戸川区のため知らない人にかかれば新小岩も誤認識だから江戸川区扱いにしとく。

 小さい頃の記憶を絞り出し、ほかに本屋があったと思う場所をGoogleストリートビューを使って調べたら、コンビニ、八百屋、薬屋などに変わってたが直近で書店が残ってたのは2013年まででした。調べた場所は建て替えられてないため記憶から場所を確定できた。

 無くなったのは第一書林だけじゃなく、小さい頃に連れられて行ったのを覚えてるし、あの二宮くんが番組か何かで入店してる映像を見たことがある江戸川区松島の黒龍(中華料理)も閉業した。あの人は西新小岩だから近くは避けたんだろう。

 確実な関係は知らないが幼少期の記憶からすると、葛飾区新小岩の黒龍元は小松中学校の前)も五十番(柔道からプロレス転向した人の実家の近く)も味付けは酷似してるから のれん分け。

 2015年頃に江戸川区役所の近くの道路拡幅工事現場を撮影してるが、当時より今のほうが店がよくなってるものの小岩を除き長い商店街と言えるのが無く、近代の地方出身者が好きそうな大型商業施設だけに等しい町になってしまってる。

北部: 古くからある町だが戦前までは田舎 先祖が戦争疎開地にしたくらい
中部: 昭和中後期まで畑だらけ、貨物路線がないため工場は川沿いのみ
南部: 東京メトロ東西線の開通前の南側は陸地になっていたが泥々で何もなかったと聞く

 今の葛飾区の南部さえ江戸時代は湿地帯と言われたのだから当然のこと。私の人生で語っても江戸川区南部がインド人の植民地にされるような場所はなく海の底だった。別件で調査済みのよう左近川が昭和の東京五輪な頃(1964年)には海岸線で、以後に埋め立てが進んだ。50年くらい前まで現在の西葛西駅から300メートルくらい先が東京湾だった。

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【鉄道】

 国鉄(省線?)小岩駅は1899年開業とあり、今は葛飾区だが新小岩駅は1928年。ところが地下鉄 東西線が西船橋まで通ったのは1969年、後から停車駅が作られた西葛西駅は1979年開業。

 地下鉄 都営新宿線が船堀駅まで通ったのが1983年、篠崎駅が1986年、本八幡駅まで全線開通が1989年だから第二次世界大戦後に移住してきて生まれた子でも育ってから完成を見てる。

 延伸に3年くらいなら荒川を渡らせるのに時間がかかったわけじゃなく、地下より地上で橋を作るほうが早いから一気に東陽町から西船橋まで開業してる。

 地下鉄自体の工事が大変であったと考えられるが、既に都心部ほど都電(路面電車)が張り巡らされていたため地下鉄への移行に時間がかかりすぎたのではないか。このあたりを説明してる文献まで辿り着けなかった。

 路面電車も通ってなかった場所になると地下鉄 東西線が建設中な頃の地上部分は泥沼に高架の支柱が立ってる写真を見たことがあるように周囲に何もなかった未整備な地帯を通していた。

 葛西駅から南で先端となる「なぎさニュータウン」は地下鉄東西線の開業後の1977~1980年に売り出されたし、対岸の浦安ねずみーらんどの一帯は1975年以降の埋め立て地。



【バス】

 都民の利便性よりも民業圧迫とか騒いだバカタレがいたのかもしれないが、私が小さい頃には既に江戸川区東部は京成の手に渡っていたが、かすかな記憶として江戸川区役所あたりから今井街道で旧江戸川の西側を走ってから妙見島の道に出て浦安駅まで行く都営バスに乗ったのを記憶してる。

 最近のこと、江戸川スポーツランドまでだが同じ都内なのに、なぜこんなに運賃がかかるんだと嘆いたのも、都営バス、都営地下鉄、京成バスと乗り継がないと行けなかったため。この怒りが俺を新川まで歩かせた。桜並木の末端から瑞江駅まで1.4kmで電車乗っても一之江駅から新川まで1.5kmなんだから直接歩いても3.5kmなわけ。そして新川をずっと西へ歩けば都営バスで帰れる。

 江戸川区でのバス移動は環状七号線、新中川を境に東西に割った西側は都営バス、東側が京成バスだから区内の移動で1日乗車券を使った移動が困難。違う文化圏と捉えて行かなければ問題ないが。



【水害対策で飛び地となった平井の難】

 旧中川の河津桜と背景に写ってきた団地群は墨田区でもないし江東区でもなく江戸川区。区役所に行くにはバスに乗って平井駅へ行き、電車で新小岩、そしてまたバスに乗って区役所。

 区役所が船堀に移転しても楽にはならず遠くなるだけ。飛び地で楽になるのは東大島駅近くの団地住民だけ。平日に船堀橋を渡るバスは存在しない。

 新小岩を江戸川区扱いならば平井は墨田区、小松川は江東区にしたほうがいい。この文書に文句を言うなら、ここで関係がない葛飾区だろうな。だっておもちゃ屋はあるけど鈍行しか止まらない寂れた立石に陣取ったところで乗降客数からして新小岩を取られたら困るのは葛飾区だから。新小岩駅の乗降客数の3分の1は江戸川区民だろうけど。

 なぜ墨田区や江東区と江戸川区は旧中川で区切ってあるのに葛飾区と江戸川区は旧中川で区切らなかったのか?それを決めるような時代に江戸川区はもっと狭かったから変じゃない。



【移住による人口増加】

 鉄道の東京都心へ向かうにして江戸川区の中南部からは1969年以前はバスで小岩や新小岩へ向かう必要があったため、私が幼少期の頃でも南部へ行くと田畑が見られるのをかすかに思い出す。

 規制が敷かれてるかもしれないが、今でも中央部の広い区域で高層マンションは建ってない。桜並木の撮影のついでに町も調べてるが、規制が緩い駅の周辺や京葉道路、環状7号線沿いだけ。

 工業地域だったから規制が緩くマンションに取り囲まれてると嘆くが、江戸川区の中央部で特に新中川の東側は東京にも空がある。案の定だが、元々の大半が農地だっただけに日陰規制において「第一種低層住居専用地域」まであり、住居では建坪率40%・容積率80%なんて恐ろしい所が広がってる。狭小住宅であるウチと同じ家を建てるには2倍の敷地が必要。腐っても東京都23区内だから土地代が2分の1とは思えない。



【制限を大きく越える建物がある謎】

 篠崎公園は建坪率30%・容積率60%だけど公園なので何の問題もないが、篠崎公園A地区野球場2面から南側の上篠崎3丁目は40・80なのに近年の一般家屋を見ると最低でも80・200は必要のため何らか抜け道がありそう。

 江戸川区には謎の地区が複数あり、たとえば篠崎町7丁目2~5、8~11は(建坪率%・容積率%)40・80と50・100に囲まれた中に街道沿いでもないのに60・200となってる。もう少し東にある地下鉄新宿線 篠崎駅の地上部は80・400となってる。

 もしかしてこれか? 建築基準法第68条の4第1項から続く特例。存在してる建物からしたら有り得ないため何らか大きく規制が外せる理由がある。

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| emisaki | 2026-09-04 Fri 23:31 | 生活::店舗・流通 |