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東大生のクイズ番組「どこが面白いのかサッパリわからない」@所ジョージ
クイズとは何か? この定義を過去のテレビ番組制作が狂わせてしまった。

 クイズを日本語にしたら「なぞなぞ」だと思うのだが、日本だけじゃなくテレビ番組によって意味が大きくねじ曲げられてしまって知識を問うのがクイズ番組にされてしまった。

ダイヤモンド オンライン所ジョージが東大生のクイズ番組を「どこが面白いのかサッパリわからない」と言い切るワケ [2025/10/14]
書籍『所ジョージの世田谷ベースVOL.59 新解釈 スーパートコロ辞典』が記事の元ネタと記載。

 書かれた年代からしたらTBSの「東大王」のことかな? あそこで得るものは何もない。同様に昔から「アタック25」も見てないし、今なら「Qさま」もだが辞書、事典を読めば済む話。

 所ジョージの意見に完全同意してきたから私は特定番組を「頭でっかち選手権」と呼ぶ。「知力、体力、時の運」のほうがまだマシだ。だから過去に「IQエンジン」「IQサプリ」で考えることを好み、島田紳助が司会してた時代にIQではなくPQを問う番組は実に正しかったと思う。

 恥を嫌って恥知らずになる間違った日本文化としては、クイズ!ヘキサゴンとかで頭の回転が悪い人を集めていたのは馬鹿にしているのではなく実態を見せて社会を教育していたと思う。そこまで考えが及ばず批判をした奴らが本当に馬鹿な人であった。

鎌倉幕府が「いいくに」でも「いいはこ」でもいい。勉強すべきはそこじゃないのに問う阿呆。

 日本テレビ「マジカル頭脳パワー」も初期のほうが、そこそこ育ってた私には面白かったが子供には難しすぎた。芸能人がゲームやってるのを見てるだけに改変され視聴者獲得は成功したが、テレビ放送=教育機関として成功したかどうか?

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【誰でも最初は無知 恥じるべきは無知ではない】

私の世代の「詰め込み型教育」も間違っていたと思うが、近年で「ゆとり教育」は最悪だったな。

 テレビ番組で「そんな日本語も知らないのか!」と怒ってきたが、私が言う馬鹿とは無知ではなく無能なことを指す。誰でも無知なことはあるからで、それを調べない、確認しない無能を批判する。

 知らないは恥ではない。知ったかぶりで受け流したり鵜呑みにして間違うのが最低の恥。ですからテレビのおばかさんが広める「おいしいグルメ」に「お前は人食い人種か」と批判してきた。

 誰もグルメというフランス語の意味を調べようともしない狂った概念、狂った通念が諸悪の根源。こうした指摘から正しい教育とは何かが見えてくる。



【大勢が知る事件を起こした高学歴な人々の狂い】

 「道義的責任も知らない人」「コロナ禍でマスクせず暴れて交通の運行を止めた人」、共に東京大学(東大)だったと聞いております。念のため、学力があるはずも人として狂ってるのは東大だけではなく日本最高とされるため比喩表現として使ってる。

 凝り固まった概念をお持ちだと馬鹿のほうが大勢犯罪者がいると反論してきそうだが問題はそこではない。中退でも卒業でもいいけど「なぜ高学歴と呼ばれるようになる学校に入ることができたのに、そこまでオツムがイカレてるのか?」って不道徳から犯罪行為に至る疑問を抱かせる人が多すぎるからである。

 一定以上の学力は必要であるが、そこに導く過程や試験が間違ってる。学校でも多くが記憶力テストしかやってない。ネット上でも話題になるが、決まった手順を踏まないと正解が不正解にされる。

 かつて東京の深夜番組に「たけしのコマネチ大学 数学科(正式名は失念)」というのがあり東大卒の人が「そんなの習ってない」と、正に本件で問題にした狂いを知ることができた。



【答えや目的は決まってても手段は決まってない】

 広告へ引き込むためなのか「この計算を暗算で解けるか?」とかは計算法の違いを訴えてる。「11×19=?」は11を20倍してから1回引けば19倍ってこと。

 「97×95=?」となれば97を100倍してから5倍分を引く計算でも時間がかかる。100に近い場合はインド式計算法 (100-3-5)×100 + 3×5 = 9215 だが教えないでしょ。

 103×105など100を越えても[100 - (-3) - (-5)]×100 + (-3×-5) = 10815と成り立つが、103×95など掛け合わせる同士がちぐはぐでも成り立つ [100 - (-3) - 5]×100 + (-3×5) = 9800 - 15 = 9785。この数なら 95×100+95×3 でも早いがインド式なら別の数値でも計算速度に大差ない。

 他にも条件を満たすと計算が楽になる法則(公式)を覚える必要あっても小学生から叩き込んでおいてくれたら算数が嫌いな子も興味が湧いたであろうに。

 「道路を東から西に向かって走ってる。次の十字路交差点がある道を北へ進んで目的地へ行くには?」…右へ曲がるしか正解にしないのが現代の試験であるが、十字路を越えた先の交差点から左へ3回曲がれば結果的に同じ道の北へ進める。目的地によって手段はいくらでもあるが、そこを重要な年齢である幼少期から教えない。たぶん教職員への指導要綱が腐ってるから。



【AIより前のコンピューター全盛期から知識だけの奴は無用の長物に】

 そこで「頭でっかち」という言葉を出したのだが、マスメディアで目立ってる高学歴な人が自分で発信してるYouTubeを見ると大勢の人で構成されてる社会をまるでご存じない人が複数いる。

 御山の大将(自己中)、村社会(排他的思想)などと表現でき、学力があっても人間性を問いたいのだが、そういう奴らほど自分が真っ当だと信じて疑わない。

 学力を問う学校の出身者は「頭が良い」とは言えるのだが、勉学に勤しみすぎて「社会性が欠如」してしまった人が多いため「賢くない」のである。

 社会として「高性能な部品」としては機能するが「制御する側」に立ってしまうと暴走してしまう。こうした脅威は近代になるほど成り立つ。過去には社会道徳と勉学が比例していたが現代は比例しなくなった。

社会に必要なのは調べりゃわかる事ではなく概念として賢い人ではないのか。

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| emisaki | 2025-10-16 Thu 08:29 | 大衆媒体::新聞・雑誌社 |