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幡ヶ谷 秀和レジデンスがテレビで再現ドラマ@仰天ニュース
2025年7月8日 日本テレビ「仰天ニュース カメラ54台設置!謎のルールに住人困惑!渋谷高級マンション」
※ テレビでは渋谷という表現のみ。

 本題である集合住宅の異様な独裁管理事件の前に番組で伝えられた河相我聞の件も大なり小なりで多く聞く。管理会社を装った警告文の投函だけなら警察どころか管理会社も相手にしてくれないでしょうが、「大勢の他人が目で見えても、脳ではテメエしか存在してない自己中な奴ら」とは交通問題として多数遭遇してきた。

 集合住宅なのに、まるで動物のテリトリーに侵入したかのよう、嫌がらせを開始して他の住人を追い出さねば気が済まず暴挙に出る事件もあった。歴史的に集団で暮らしたことがなく老若男女は関係なく、自分の好き勝手に生きられるよう育ってしまうからだと分析してる。

 過疎地出身者ほど自覚なき自己中であるよう「お互い様」なんて概念を持ってない。核家族化、少子化を経て奴らが持ってしまった概念は「究極の自己中」だった。



早くも脱線し、都市生活を語るにおいて関連する事項。

 自動車のドアをバーンと閉める馬鹿を批判したことがある。本物の都会人なら十軒先まで響くこと最初からやらないが、都市生活不適合者には理解できないわけ。

東京都墨田区 Googleストリートビュー
 だいぶキレてる家だが、前の業者がウザい連中っぽいな。だからってテメエも犯罪者ですよ。敷地外に物を置くなボケ! 道路法 第43条 ならびに、道路交通法 第76条に反する犯罪で1年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金。
(※ 街中の警察官は俺より道交法を知らないので、身を守るため知識は強力な武器です)

真っ当ならば誰かを批判するほど自分が綺麗になってゆくものですが自己中だとそうならない。



 自分の悪事を棚に上げて他人を責めることはできません。例にした件がそうか知りませんが住民トラブルの中には「自分勝手 対 自分勝手」の争いが多く確認されてる。育った状況がどこでも同じだと思ってやがる奴らが多いわけで、テメエがする迷惑は認識せず、他者がすれば怒り出す。

 ここの例ではドアの閉め方を変えればよいから糞野郎呼ばわりできるわけだが、生活音まで文句つけられたら何もできない。集合住宅なら一軒家が建ち並ぶ場所より我慢して暮らさねばならないこと当然であるのに田舎と同じだと思ってる奴らがいる。テメエが昼夜反転してるか、隠居暮らしでずっと家にいるからか知らんが昼間に掃除機を使って何が悪いと思う。夜のほうが迷惑じゃん。

 テレビで伝えられた管理会社を装う文章は一見して警告に見えるが単なる「自分勝手」だった。日中の仕事場としか使ってないから退去時に発見した前の住民が受け取っていたってことで、鍵穴にボンドとか生卵投げつけ事件ほどキチ○イではないにしても異様であった。

 いろいろと隣人トラブルというか、単なる異常者に引っかかってしまっただけな事件は多数報道されてきたが、過疎地生活者で排他的思想を持って育つと高齢であっても恐るべき自分勝手な行動をする。おお事には感じないかもしれにが、都市部では許しがたい行為として電車で隣に誰も座らせないために物を置きっぱなしにする事件は度々報告され、中には指定席に別人が座ってて、文句を言ったら席を譲って当然だとか、集団生活能力が無い方々は高齢だろうが若年だろうが存在しているのです。

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記事では不明瞭な部分までテレビでは描かれていてよかった。

・意見をまとめて進めるのではなく独裁化、異様な縛り …御山の大将(独裁国家)
・マンションより小規模で孤立化して味方が誰もいなければ …村八分な状況
・過激化して異常性に気づけない心理 …スタンフォード監獄実験

 秀和レジデンスの件では仲間がいたし大勢が理事会の異常性を問題だと思っていたわけだが、それが田舎の村だったらマジで孤立して全て敵という状況になる。

 時代遅れも甚だしい取り決めで成り立っていたが、外部から文明人が引っ越してきて現在概念を語れば標的にされてしまう。このとき今まで平穏だったのに乱されたヅラして怒る先住民側が正義と決めつけることはできない。ようするに多数派が正義とは限らないってこと。

 大きな証拠が現実にあり、戦後に東京を支配した自己中な田舎者が多数派を形成し、他人への配慮が欠如、横暴、違反、違法、自分勝手、キリがないが自分は真っ当だヅラしてる。

 戦った側からも擁護する発言が出たが、異常な規約の暴挙に出た段階で理事は人間としてアウトでした。よって番組の理事会でも利用されたが、依頼主の言いなりであっても法や取り決めに反することはできない顧問弁護士を突いた戦術が参考になる。

 経緯は今回のテレビ番組以外でも伝えられているが、度を超えた異常だった。番組の最後に元理事長のコメントが伝えられたが、何一つとして反省の色がない自己正当化の内容だった。

自分に非がないと思ってる奴が権力を握れば同じ事を繰り返すでしょう。




上記のように本題にしたいのは、多数派は必ずしも正義ではないこと。

 庄屋 対 農民とも考えられるからであるが、本件においては住民に集合住宅で暮らす能力があるのかまで判断できず、東京の一般論で語るしかない。そこから過去に他の集合住宅トラブルの話を聞いても、それって都市生活不適合者同士の自己中対決の構図と思ったのが多くある。

 雑誌では「渋谷の北朝鮮」というタイトルが付けられてるよう、また私がスタンフォード監獄実験のように狂ったと例にしたように、まるで看守と囚人な集合住宅は完全に狂ってる。トラブルの最中に知ってたら江戸っ子の血が騒いだでしょう。

 過疎地出身者と子孫は自分しか考えないが、我々は社会を考えて行動するから害悪には口を挟む。都会をご存じない方々は「おせっかい」と言うから事件事故があっても家から出てこない卑怯者になる。俺らの基準では傍観者ではなく卑怯者となる。




 番組の件も表に出てきて戦った人達より問題は、どちら側に立つにせよ委任しかできないような連中は俺が最も嫌う連中である。幸か不幸は江戸っ子の遺伝子を受け継いでしまったから、トラブルには首を突っ込まねば済まない性格なんだよね。たとえ火に油を注ぐことになっても。

自己中、排他的思想の反面、事なかれ主義なのも過疎地出身者の特長だと思ってる。




わたくし事で示せば…

 集合住宅は自治会(町内会)に加入しないため一戸建てから集合住宅に換わると町内会員が減ってしまう。加入してるのに加入せよとのチラシが2度も投函されていたのだが、「俺たちから徴収したカネから何十万円も寄付しやがったくせに、何をナメたクチをきくのが、この糞野郎」「寄付しないで町内のために使え!ボケがぁー」って胃酸が出てしまった。

 集合住宅ではないため、ゴミ出しも私有地内、前に出したところで公道だから町内会に文句を言う権利もないため脱会したところで何の不利益もない。社会的に考えたら脱退よりも過去の(推定)田舎者のジジイどもを再教育しようと思うのが、おせっかいの江戸っ子の血が騒ぐのだろう。言葉が悪いが、ここで言う おせっかい は社会を正す活動のこと。

 生活の締め付けまで独裁を敷くことはできないが、カネの使い方では憲法違反を繰り返している。裁判判例があるように違法行為だとの警告文を送り付けた後にもだ。



 チャリカスだらけにつき「自転車運転手は100%犯罪者(必ず何か違反)」って表現してきたが、長年と犯罪行為が常態化してしまうと正しいと思い込んでる。そのように集合住宅の理事(番組では前理事)は常態化と独裁化によって己を見失ってしまってる。

 過去に例にしたが、商業施設のキャラクターイベントがあり、基本が撮影禁止と聞いたからこっちはキャラクターだけ撮るのはOKかと事前本部に確認してるのに、偉そうなジジイ警備員に阻止された件があり、他の警備員は理解してて邪魔にならないようにってだけだった。
 下っ端で働いてきた奴が高齢化して小さな権力を持たされると自分勝手に異様なほど権力を振るうようになる。「スタンフォード監獄実験」を例にしたように若年でも起こるが「老害」って言われるように高齢者は視野が狭くなるため過激化しやすく異常性に気づかない。

 集合住宅で独裁者を権力から引きずり下ろして逆ギレの裁判を仕掛けられても返り討ちにするくらい準備しておく必要がある。私が好きな手段を例えるならば銃撃してくる奴に核爆弾を落せるくらいの準備。絶対に負けないよう固めてから戦う。我がバイブル的に言えば「戦術レベルでの勝利よりも戦略レベルでの勝利」、戦う前に勝ってなきゃ。

 ただし知り合いとの論争でその戦法を使うと友達を失う。昔に後悔して潰して去るより、悪くなくても自分が悪者になって去ったほうがいいと思うようになった。間違いをわからせたところで後味悪いんだから自分にとってよくない。



 そんなことで、恐ろしいのは集団生活の何たるかも知らない奴らが多数派を構成して自己中心的な行動、取り決めを正当化することである。

 そういう奴らには東京の生活にて既に前科がたくさんある。過疎地生活者が集団で襲ってきて不道徳を正当化してしまった件は数え切れない。奴らは数のチカラで自分が真っ当だと思ってる。




 番組の件に戻れば、スタンフォード監獄実験で悲劇の結果を生んでしまったように理事長として権力を持ち、徐々に狂い始め、行き過ぎて己の異常性に気づけなくなった。

 だからって過疎地生活者に多く見られる自己中を許していては真っ当な社会は形成できないのも事実である。以前に中身なんてどうでもいいと取り上げたのが「ブラック校則」であり、それはガキのうちに自己中へ転ぶのを止める教育の一環である。ルールを守らせることが大事なので中身なんてどうでもいい。

 集合住宅なのだし、共有部以外の自己所有地ならば好き勝手してよいとなったら収拾が付かなくなってしまう。まかり通されてきて気違い沙汰だと思うルールはベランダの手すりに布団など干しては駄目。高層ビルで落ちたら危険ならわかるが直下が道路でもない建物でも駄目だらけ。理由は景観が悪いからって、開いた口がふさがらない。

 不良外人の前に都市生活不適合者の日本人の阿呆どもを敵にしてきた。「道の歩き方も、列の並び方も知らない連中」と批判してきたこと、もうそろそろ理解したらどうかと思う。


あ~あ、放送されながら書いてたから文にまとまりがない。

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| emisaki | 2025-07-08 Tue 23:03 | 旅・散策::旅の記録 |
現時点だと生成AIで作られた人間の顔には違和感を覚える
 昔から大勢がいる社会で暮らしてきた子孫だからか人の顔の識別能力には強く、現時点での生成AIで作られた気持ち悪い人間の表情って即座に判別できる。

 生成AIで作られる顔に偏りがあり、静止画より動画だと顔の表情が異常だって即座に感じた。小さな頃から大勢を見てきて育ってきた環境でしょうか?

 だからこそ人間として有り得ない顔になってる瞳を大きく見せかけるカラーコンタクトを入れてる人は「不気味な顔」にしか見えないが、人を見たことがなくマンガの顔が異様に思えない大勢には可愛いと思い込んでいる。不気味なのにね。

 生成AIも人間の姿を理解しているわけじゃないから揃えたデータが異質ばかりであると結果的に異質な人間の姿を作り出す。異質という言葉ではないが、同じ西洋人、東洋人でも国によって微妙に違うのは、まだ人間にしか識別できないようだ。

 余談だが、20歳代の女性が生成されるとき、元にされたのではないかと思う可愛い子がいる。実物が作られたような美形。現在は福岡の放送局でアナウンサーやってる人です。

 東京の顔採用で舌足らずな数名に比べたら格段にしゃべりも良いのに、東京だけじゃなく大阪も名古屋にも引っかからずに福岡なのか疑問。「セントくん→局アナ→セントくん」の流れもよくあるから早めに東京へやってきてしまうかもしれない。

| emisaki | 2025-06-27 Fri 20:12 | 旅・散策::旅の記録 |
過去の栄光を引きずり都会を目指し失敗する@NHKドキュメント72時間より
2025年4月18日 NHK「ドキュメント72時間 岐阜・西柳ヶ瀬“シャッター街”ブルース」

 個人的には2008年に誕生した「やなな」がいなかったら名前を知ることも行くこともなかった。同時期に岐阜駅前にもタワーマンションが建ったが間違った再開発が全体的に終わりの始まりだった。

 「やなな」は閉塞感をなくす意味では活躍したが、たとえば「ふなっしー」がいくら目立っても当事者と周辺が儲けるだけで千葉県船橋市の行政として大きく関与することは無い。熊本県「くまモン」が大金の売り上げに関与しても更に巨額な再開発が動くわけではない。

「やなな」が引退して12年も経過して事態は変わってる。

 役所や大学教授が偉そうに復活できるかのように書くのだが理解してるとは思えない内容。馬鹿ではなかろうから「町じまい」を認めたくない間違った分析。それが被害を拡大させてきた。
 いつものことだがハコモノ行政大好きな役所側に立てば机上の空論、調子の良いデータしか出さない。「現実」を認めなければ意味がない。

 外部から見渡したほうが忖度もないため真実が見え、人口減少した中で無駄に分散させたほうが賑わい創出じゃなく賑わい喪失がすぐにでも見えた。分散によって続けられた店が潰れる。

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 私が知らない過去に長崎屋(ストリートビュー)が潰れて建物は放置されたままだった。驚安の殿堂 ドン・キホーテまで撤退、高島屋も閉店したのに “無用の長物” が建ち並ぶ。そんな新品ピカピカの無用の長物では割れ窓理論を打ち消すことはできない。
 それを大阪で言うならば、キューズモール、あべのハルカス、星野リゾートのホテルを建てようとも飛田新地にあいりん地区は隣にあるのだから隠しようがない。

※中日新聞 > 旧長崎屋跡地を「柳ケ瀬広場」に整備 岐阜市が都市計画決定 2022年3月25日
※中部経済新聞 > 岐阜・柳ケ瀬商店街 長崎屋建物 解体工事が本格化 来年3月完了 新たな発展へ万全期す 2024年8月13日




 官民一体なんて能書き垂れているが不動産屋が私腹を肥やすだけで工事または物件が売れてしまえば商店が壊滅しても痛みを伴わない。役所、住民、商店が被害を被るだけ。失敗すれば建設業者も痛みを伴う再開発でなければ成功しない。

 たとえるなら採掘し尽くした鉱山の街が維持できると考えるのは頭が悪すぎだ。NHKの番組より前に伝えられてるが繊維産業の衰退が大きな原因だから早期に閉じるべきだった。



 昭和の商店街が生き残れないのは車社会だから。人口に対して自家用車の保有率が最も低い東京都市部のほうがダメ商店が生き残れてしまうのも自家用車が稼働してなく行き場がないからで、車社会で年齢が低いほど商店を選ぶ。東京でも同じだがシャッター商店街の店主は客や世間の責任にしたがるが戦える品を作ってないからだ。

 自家用車が使えればガソリン消費を除外して1kmでも10km先の店でも違いは小さい。電車でもバスでも自家用車でも交通路が確保されてるとダメな店は生き残らない。だいたい電車だけで行けるところに大型商業施設は存在しないため地方都市であるほど電車の駅前より集まる場所がある。

 買い物難民が出るのは住民の意志ではないが、ダメな店が潰れるのは住民の意志である。日本は社会主義ではないためダメな経営者の店は潰れるべき。客として100円のコロッケのほうが旨いのに市場調査や努力もしない個人商店の150円のコロッケを買わねばならない道理は無い。



 広域で考えれば効率の悪さがある。2024年夏から価格高騰してしまった米は小規模生産が多すぎて高値だったところ異常な値段になってしまった。旅館も非効率なため独自に板前を雇うなら高額化するか食事提供をやめて素泊まり専門にしたりしてる。

 商店が街の規模に比例しないのだからシャッター商店街は予想できな結果であり、漂わせた閉塞感によって大型施設も死に追いやったと考えられる。

 岐阜だと田んぼのど真ん中に巨大商業施設があるのだが、東京だったらすぐ潰れる。本物の都会人からすると「コストコ?何それ」ってテレビでしか見ない倉庫型店舗であり電車(徒歩)で行けたとしても持ち帰れない。アメリカのように自家用車に溺れた住民がいるところでないと成立しないため車社会だからこそ田舎で大型商業施設が成り立ってる。



 コロナ禍で岐阜市役所が新しく建った。各地を旅行してきて電車の駅が中心なのは大都会だけなの解ってる。旧街道沿いのほうが発展してること多く車社会からの脱却は不可能。

 人口減少で縮小してるのに「分散」を生じさせてる。岐阜駅から岐阜市役所まで2kmもあり柳ヶ瀬は中央に位置する。戦後の昭和の高度成長期じゃないのだから岐阜駅から市役所まで商店街である必要がない。集まらなければ生き残りは無理。反面、高齢化によって商店が徒歩圏になくなるのは買い物難民を生む。

 行ったときには影も形もなかった高速道路が商業施設「モレラ岐阜」の北を通りインターチェンジを作ってる。岐阜市内からしたら高速道路の価値は無いが沿線住民からすると価値が大きくなる。

無い未来を抱かせ引き際を知らぬところが税金の無駄、傷口を広げることになっていませんか?

≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-04-28 Mon 22:55 | 旅・散策::旅の記録 |
開催予定 トラベルランド2025 
中京テレビトラベルランド2025(第3回)
開催予定日: 2025年3月15~16日 / 場所:久屋大通公園(愛知県名古屋市)

 どうしても過去の「旅まつり名古屋」と比較してしまうから見劣りする。あのときの大量なキャラクターの数からすると開催規模が半減し、参加団体も変わってしまった。

 過去開催の投稿写真を比べると毎年9月初旬に開催の「ふるさと全国 県人会まつり」のほうが圧倒的に登場キャラクターの数が多い。「旅まつり名古屋」が終了して一部が流れたと思う。

 「トラベルランド」が旅をテーマと言ってるが、過去のステージ内容からしても「県人会まつり」のほうが特産品以外に旅もテーマになってる。ようするにテレビ局がやらかしてしまったがゆえに、広告の流れと同じで参加費=宣伝費を集めることを先に考えてしまったからの失敗だな。

わざわざ交通費を払ってまで行った「旅まつり名古屋」の復活を熱望。

| emisaki | 2025-01-17 Fri 12:58 | 旅・散策::旅の記録 |