2025-05-07 Wed
2025年5月6日 BS朝日「バナナマン日村が歩く!ウォーキングのひむ太郎 見沼田んぼの桜回廊編」既に一部では有名なのも勝手に日本一だと主張する日本3ヵ所の一つだから。この埼玉県さいたま市、青森県弘前市、岐阜県各務原市で最長やら本数で争っている。許容度を超えた途切れた場所があるのに続けた桜並木にしていたり分離していても長さとして合算していたりする。
昨年に浅草で起きた恥知らずに似てる。それは国際通り沿いある4つの商店街が合併して区間が3キロになったから日本一なんて言いやがったことだ。変わったことに落胆。無能さゆえのことで浅草寺の周辺と違って没落したから何か宣伝材料が必要だったんだろうな。だとしても哀れみを感じた。往生際が悪い、もはや江戸っ子じゃない。
日本中で何かと日本一の醜い争いがある。三島へ偵察に行ったときも、富士山ならどこからでも見えると思ったし、しばらく日本一の表示が残っていた大分は長さで追い越されたため高さ日本一に切り替えたが、三島のボッタクリ料金に比べたら大分も茨城も料金は3分の1であり行きやすい。
そんなことから見に行く必要がないと言ってるのではなく、強引に日本一とする醜い争いをやめろと。だが、突き詰めれば左右される客が悪く、何位だろうと物理的(交通の便)な制約を受け、東京からしたら各務原市の郊外は行きにくく、更に岩木山の麓なんて簡単には辿り着けない。街中で行きやすいが弘前城のような複合した強み、利点がなければ単に山奥ってだけになる。東京からしたら近い見沼さくら回廊が行きやすいだけで、こちらとして順位を付けようとは思わない。
は飲んだくれの阿呆どもが集いブルーシートやゴミを散乱させるような上野公園や隅田公園より桁違いに行きたい。
今年の4月9日だが幸手権現堂、見沼、元荒川(最寄り吹上駅)と候補にあげていたが、時間のなさから除外されて江戸川区となった。駅から近い点では元荒川なのだが電車でも遠すぎた。
大宮駅でも意外と東京から離れていて仕事帰りにソニックシティでのイベントに行くため新幹線を使うアホな行為をやったことあるよう低速区間でも価値が出た。京浜東北線で50分ですからね。更に移動となると往復だけで3時間は必要とする。だから時間が足りなかった。
江戸川区だって渋滞したら遠くなってしまうのだが地下鉄という回避策がある。長距離であっても歩行速度が速いし現地で撮影も含めて所要時間はそれほど長くない。
今より10年以上も若い頃だが東京スカイツリーの撮影で歩き回ったときは単に歩いてるだけだったとも言え、桜の花の撮影だと止まることが多いから過去の記録では4時間で20km歩いてる。都内のため人を避けたり信号で止まることになったりして平均速度が5km/hってことは歩行中は7~8km/hになってる。
旧中川の河津桜にて江東区から墨田区を回って2万歩、江戸川区横断で1万9千歩では実際に歩いた細かい動きまで不明のため地図から直線で算出した移動距離の10kmよりもずっと長かったと思われる。なぜならスマートフォン内蔵の加速度センサーを利用した歩数計は歩きじゃなくてもカウントしてしまうし、機械式は確実に歩いた衝撃が加わらないとカウントされず小刻みな歩行がカウントされないこと過去の実験でわかってる。後日に影響するため、もっと前に歩くのをやめるべきだった。
テレビ番組では染谷花しょうぶ園から始めていたが、北東部の端に近く、もっと北側が終わりとなるのだが電車の駅からはキロ単位で離れている。東部においては浦和美園駅や東浦和駅から北上して七里駅を目指すことを計画したことがある。
地図を見て動きを考えるが団地があるから路線バスが通ってるはずが前提も、そこまで歩いたら電車の駅まですぐだってこと。桜はなくなるため途中で離脱したいところだが、コミュニティーバスは平日のみ運行、路線バスは朝夕だけだった。だから団地を見つけたのだが、上記の染谷花しょうぶ園も近くをバス停だと悲劇的だが、街道沿いを走るバスならあった。過去には最後まで行くことしか考えてなかったが、途中なら路線バスがあった。
10年前じゃない。もう走破するのはあきらめたほうがよさそう。
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大宮駅でも意外と東京から離れていて仕事帰りにソニックシティでのイベントに行くため新幹線を使うアホな行為をやったことあるよう低速区間でも価値が出た。京浜東北線で50分ですからね。更に移動となると往復だけで3時間は必要とする。だから時間が足りなかった。
江戸川区だって渋滞したら遠くなってしまうのだが地下鉄という回避策がある。長距離であっても歩行速度が速いし現地で撮影も含めて所要時間はそれほど長くない。
今より10年以上も若い頃だが東京スカイツリーの撮影で歩き回ったときは単に歩いてるだけだったとも言え、桜の花の撮影だと止まることが多いから過去の記録では4時間で20km歩いてる。都内のため人を避けたり信号で止まることになったりして平均速度が5km/hってことは歩行中は7~8km/hになってる。
旧中川の河津桜にて江東区から墨田区を回って2万歩、江戸川区横断で1万9千歩では実際に歩いた細かい動きまで不明のため地図から直線で算出した移動距離の10kmよりもずっと長かったと思われる。なぜならスマートフォン内蔵の加速度センサーを利用した歩数計は歩きじゃなくてもカウントしてしまうし、機械式は確実に歩いた衝撃が加わらないとカウントされず小刻みな歩行がカウントされないこと過去の実験でわかってる。後日に影響するため、もっと前に歩くのをやめるべきだった。
テレビ番組では染谷花しょうぶ園から始めていたが、北東部の端に近く、もっと北側が終わりとなるのだが電車の駅からはキロ単位で離れている。東部においては浦和美園駅や東浦和駅から北上して七里駅を目指すことを計画したことがある。
地図を見て動きを考えるが団地があるから路線バスが通ってるはずが前提も、そこまで歩いたら電車の駅まですぐだってこと。桜はなくなるため途中で離脱したいところだが、コミュニティーバスは平日のみ運行、路線バスは朝夕だけだった。だから団地を見つけたのだが、上記の染谷花しょうぶ園も近くをバス停だと悲劇的だが、街道沿いを走るバスならあった。過去には最後まで行くことしか考えてなかったが、途中なら路線バスがあった。
10年前じゃない。もう走破するのはあきらめたほうがよさそう。
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| emisaki | 2025-05-07 Wed 23:10 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-05-05 Mon
昨日(2025年5月4日)にSNSで流れてきた松本城(公式発信)は120分待ちだったが本日は「こどもの日」だからではなく昨日より天候がよく5月6日が雨の予報だから予想はできた。並ぶことが多い飲食店なら名前を書いたり、それが電子化していたりして順番登録をしてるから120分なんて長ければ待ってる必要もないが、フードコートで受け取る音が鳴る装置みたい携帯電話に伝えてくれるなんて装置を備えてる店は大手企業に限定されるのは?なぜなら装置の金額が高いし、システムによっては月額利用料を取る。その料金が料理に転嫁されると思えば古典的方式を選ぶだろ。
時間変動があると考えても120分待ちなら90分くらい別の場所へ行ったほうがよいが田舎の有名店だと店だけで周囲に何もないなんてことも。
事件のところで持ち出した言葉だが他者に対し「札束で頬を叩く」ような差別でしかない「ファストパス」なんて制度は撲滅することを望む。これも少子化社会なのに社会を知らぬ連中が集まってしまったことで自己中が増えた末路だと思う。むしろテレビの特権を使った列飛ばしが批判されてきたため、やっと近年になってテレビ取材、芸能人のほうが並ぶように変わった。
(結果的に
私なら並ばないと言うよりも、こんな時期に絶対に行かない。株取引と同じ考え方なら、こんな時期には遊ぶんじゃなく商売したほうがいいから。
日本人の体質が悪い。誰かが語っていたのだが日本人って休みだと決めないと休まない(休めない)のだという。だから外国に比べて取れる休みがすごく短く、外国に比べて祝日が多い。
若い頃に世間で言われてたのは「休んでもいいけど戻ってお前の席があると思うな」なんて流れであった。今でも変わってないから一定のお金を貯めて自分探しの旅なんてしたければ退職するしかない。
受け入れられる企業体制は特殊であるため日本に1~2社あるかないかでしょう。経営利益が高い上に従業員が揃っており、なおかつ、分野で独占状態にある企業でしか不可能。一般的に経営者からみれば「一ヶ月休みます」「はい、そうですか」とはなりませんが落としどころがない。
| emisaki | 2025-05-05 Mon 16:52 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-05-01 Thu
京都駅で清水寺へ向かう路線バスが大行列と報道していたが、混雑はコロナウイルスが蔓延する前からなので私が考えたのは先に別の場所へ向かうことだった。二条城や京都御所へ向かってから時計回りに清水寺へ向かう。オーバーツーリズムで定員オーバーしやすい路線バスは使わないようにするのが一番だから電車と長い徒歩は仕方がない。
京都駅から清水寺へ直行するにして歩いて仁王門まで2.8kmであるが、途中に三十三間堂ほか立ち寄り場所があるため時計回りでも反時計回りでもベタな観光地なら損はない。
そもそも京都において歩けない人に観光するのは無理だから。
| emisaki | 2025-05-01 Thu 23:39 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-05-01 Thu
→ [地図] 神奈川県横浜市南区六ツ川地図では約1km離れて大岡川が見えるが、六ツ川という住所に川が全く見えなかった。
神奈川県横浜市南区のサイト内検索を行ったのだが町の歴史の情報に短時間の調査では辿り着けなかった。A.I.検索によると『鮫ヶ谷・久保谷・マンカ 谷・久保谷・荒戸谷・御堂谷の六つの谷があり、これより流れる谷川が合流して六ツ川』との説があると表示された。
本日の起きた事件現場が銀玉頃がし場で脱法賭博である通称「景品交換場」が見当たらないため周辺を見たところ暗渠である特長を備えている場所が見つかった。
セブンイレブン横浜六ツ川店の裏(南側)が胡散臭いと辿れば車道でも歩道でもない謎の道が見えた(Googleストリートビュー)。北東の強盗傷害事件現場となった裏路地の微妙な蛇行が怪しい。
蓋したのが見える場所は判りきっててつまらないためストリートビューにて東へ進むと急に曲がったら六ツ川一丁目交差点に出て谷っぽく、道路を横断して東へ更に下ってた。定光寺から東に続く団地が高台で南の弘明寺公園との間が谷間。
県道218号線は、なるべく直線状に新たに作ってるとしか見えないわけで、ありがちな事からすると旧道が川に沿って存在したとも考えられる。川らしき旧道から県道218号(桜木東戸塚線)に合流、京浜急行線のガード下を過ぎると何やら北向きに左側の歩道が広すぎるんだよ。右側に比べて広い。だが京急と交差地点の衛星写真を見ると宅地の裏に側溝らしきのが見える。バイクが止まってるよう見えるため川だとしたら暗渠になってる。
関係ない疑問だが京浜急行線と県道218号沿いの家屋の隙間にある廃墟へ、どう行くのか?
県道218号線から東にも蛇行した道が見えたが山に沿ってるだけだった。
京浜急行線ガード下から続く側溝(暗渠)らしきのを追って北上すると建物が立ちはだかるため使われてなく、最初に疑った道路沿いの地中に水路は移されたのではないか?
谷間ってことでは井土ケ谷上町公園の南側から東へ県道218号を横切って路地(Googleストリートビュー)を通ってた感じがする。そこから先は新しい街になり予測が難しくなった。敷地の形からするとサミットストア 井土ヶ谷店とマンションの間だろうか?
六ツ川に戻って上記で追ったみたい解りやすい暗渠は見つからなかったのだが、周辺が「この坂も実に走りたく“ない”坂である~」のため流れ込むなら六つどころではなさそうだった。
六ツ川2丁目40-64あたりから西も(Googleストリートビュー)ぐねぐねと見えてくる。六ツ川2丁目48まで追えるが先は横浜市立別所小学校のほうへ向かってるか不明。
北の方向でも神奈川県立横浜国際高等学校は高台にあるし、六ツ川公園なんてのも川だったんじゃないかとプンプン匂ってくる。北西に向かって徐々に高くなってゆき東西が高い谷間になってるってことは川のはず。
横浜市は河口と埋め立て地を除けば大部分が丘陵地。横浜市は肥大化しすぎて東京都に例えると奥多摩を東京って言う場所さえあり、面積は東京都23区の3分の2。
川沿いが古くからの平地になるが少なく、不動産販売業者もカネのかかる大規模整地は行わず地形をそのままのため中流以上のお高めの家が建ち並ぶ場所でも地形で劣悪環境が多い。
→ 神奈川県横浜市南区八幡町 大坂(Googleストリートビュー 下り/上り)
大きな山じゃないから水が蓄積しないため名残りは見えないが、雨になればそこらじゅうに小さな川が形成されていたように感じた調査であった。
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| emisaki | 2025-05-01 Thu 12:53 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-29 Tue


長良川から分岐させ長良川に戻ってゆく農業用水路でしょうか?本当の川と違って各所で直線だし直角にも曲がってる。近代化して曲げたのではなく水路に従って家が建ってる。斜めで直線状じゃない部分は農地ではなかったのか?
改めて地図を見て気になったのは西柳ヶ瀬アーケード商店街が終わったところ岐阜市春日町1丁目12西柳ヶ瀬コミュニティ広場「輝き」を中点に斜めに通ってる道。水路だったか暗渠になってそうな匂いがプンプンしてくる(言葉の綾、実際に匂わない)。
もう10年前だがイベントの合間にウロウロしたときは全く気づかなかった。
南部は岐阜市徹明通8丁目10まで道路を負うことができ、岐阜市鹿島町1丁目1(Googleストリートビュー)にて表に出るため暗渠だったことが解った。
本荘公園で曲がって抜けると暗渠になるが、車道を辿ると岐阜市本荘西1丁目179で見えるようになる。岐阜市本荘西4丁目46−1にて再び暗渠になり道路上の蓋を負うことになり太めの道路にぶつかって見失いそうになるが岐阜市西荘2丁目11−8で見えたら地図でも水色になってるよう表に出ていて論田川ってのに繋がっていた。
北部は途中で見失ってしまいそうになったが変な曲がりをしていて岐阜市役所の西側の住宅地を通り、また東へ進み市役所の北のメディアコスモスなる施設の西側から斜めに北上、忠節用水分水門跡になったが北へ向かって長良川に取水口が見当たらない。
長良川に近いのに水路は東へ進み山にぶち当たったところで北上してた。山に沿って進み、岐阜市伊奈波通1丁目46にて見えるようになり、更に山沿い岐阜公園の北側で長良川から分岐した水路から分水されていた。大々的に埋められてしまってないため暗渠にした上の道路には数々の蓋が設置されており非常に追いかけやすかった。
自分なりに地図を見てからネット検索したら調べた水路の分岐がアクアージュ柳ヶ瀬であり、商店街の通路が暗渠の上なのか柳ヶ瀬グラッスル35を回ってる。南側には地下駐車場が作られてるが避けるよう西へ進んで金町自転車駐車場の下が暗渠と思われ、道路を西へ横断して斜めの道、繊維問屋街のどこかを抜け忠節橋通りを南下してJR東海道線沿いに通ってる水路に接続。そこから東へ岐阜駅の南口で見た清水緑地に繋がっていた。
| emisaki | 2025-04-29 Tue 12:25 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-28 Mon
→ 小松川境川親水公園@東京都江戸川区を探るから続く前回に続き地図上で上流へ移動したら気になるところが多々あった。葛飾区小菅四丁目 レンゴー葛飾工場を避けるように水路があった。元は直線状だったのかと思ったら違っており、北部に大きく蛇行して現在の綾瀬駅に達しているため1950~1960年の間に邪魔だから途中で接続して現在の流れになってた。
→ 地理院地図 > 東京都葛飾区小菅四丁目付近の1936~1942年頃の航空写真
先っぽは北部の水路と接続していて、痕跡は残っていてタワーマンションが建った東側の細長い公園が水路。駅の南部へ通路および自転車置き場(区営綾瀬南自転車駐車場)として蛇行した状態で残ってる。小菅四丁目19番地の南側の水路に穴が見えるため暗渠となり繋がってそう。
堀切橋(東京都足立区千住曙町~葛飾区堀切四丁目)あたりだと1928年の航空写真がなく、1936年以降だと荒川放水路が完成してしまってるため推測になるが、荒川放水路を作ったことで綾瀬川は隅田水門があるところで隅田川へ繋がっていたように見える。
中川(旧中川)の蛇行からして綾瀬川は直線的すぎるため更に昔に人造だったのかもしれない。そう思う理由として過去を見通せる構造が近くにある。
自然なら三日月湖だが荒川放水路の人造によって地面になったと思われるのが、下流から上流(北部)へ足立区柳原1丁目37、柳原1丁目36(足立共済病院)、柳原1丁目34、柳原1丁目30、柳原1丁目1、柳原2丁目1~5、柳原2丁目53、柳原2丁目54で荒川放水路で見えなくなり、先は、葛飾区小菅1丁目2−1小菅西公園だが過去の痕跡は見えなくなってるが川としか思えない。
見えぬ川は荒川放水路沿いに蛇行していたのだろうか?作りやすいところに作ったに決まってるわけで、最適解なら荒川放水路は今より直線的に作るはず。少しでも安上がりにするなら誰か住んでいても立ち退きしやすいルート、元から川を利用するでしょう。
東京都から出て埼玉県となるあたりの隅田川(荒川)も蛇行してる痕跡は現在の地図からも見える。蛇行してる頂点を繋いで直線状にしたのが新河岸川(少なくとも都内は人造)でした。東京都板橋区舟渡2丁目14 浮間公園は蛇行した部分が残った部分。その他の川底や蛇行を止めて生まれた土地には住居こそ見られないが倉庫や物流センターが建ち並んでいた。現在の日本金属板橋工場の南側も工場だったが、今は巨大な物流倉庫になってる。
戦時中からある工場が移転で住居になったのはUR都市機構豊島五丁目団地、テレビ番組でやってたがUR都市機構ハートアイランド新田なんて名前を付けたところ、過去に工場が建ったの戦後の話。工場は1996年に操業停止してるため2000年頃から建ち始めたのだろうが、最寄りの鉄道駅(王子駅、扇大橋駅)まで約2kmと都会人には無理な立地条件。
晴海、豊洲のよう都市生活不適合者が住むためチャリカス軍団が登場して迷惑地域になる。近くなら赤羽駅の近くに団地を作ってから酷くなった。ほか武蔵小杉を代表とする高層マンションが建ち並ぶ地域って秩序瑕疵物件、ある意味で心理的瑕疵物件なのだ。お化けより生き霊のほうが恐ろしい。
小さい頃から新聞の折り込みチラシを見るのが好きだったが調子が良いことしか書いてないため、一世一代の買い物をするならばお金を投じても調査が必要。東京23区内なんかで有り得ない閑静な住宅地を求める都市生活不適合者は同族が集まってくれたほうが迷惑にならない。
物件を探すにおいて天災を考慮して昔を探るよりも見えない人災こそが恐ろしい。事件を例にするならば、生卵を投げ続けてくる奴が隣だったら? ヤンキーのクソガキに親も親ってチンピラ一家だったら? 道路族(現代の意味)を叱ったら周囲が嫌がらせを開始したら?
家の間取り、近くの商店なんてより桁違いに重要なことがある。
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| emisaki | 2025-04-28 Mon 12:37 | 旅・散策::考察・批評 |
2025-04-27 Sun
気にしたことあるけどCBCテレビ「道との遭遇」に影響されてしまってるな。江東区や墨田区ではもう今の地図では解らなず江戸川区だと痕跡が残ってるため古くは農業用水路、戦後の工業時代(汚染)にはドブ川だったの追っていた。
江戸時代に作られた浦安、行徳から運搬用の水路、今の江東区で小名木川、江戸川区で新川は解りやすい。昭和の海岸線も新左近川親水公園、市川野鳥の楽園、船橋港親水公園、ららぽーとTOKYO-BAY(船橋ヘルスセンター)、谷津バラ園(谷津遊園)の南に谷津干潟。ねずみーランドなんて昭和でも海の底。真偽は不明だが失敗しても宅地にするからって小さい頃に小耳に挟んだ。
江戸川の河口部の支流なのか古川は古川親水公園として全域が見えていて、境川は一之江境川親水公園として更に長く新中川まで繋がってるのが見える。実際に水路としては繋がってないでしょう。
新中川は人造のため東側を探すと都営住宅の縁に水路(椿親水緑道)が見えるが、そこから先が見えなくなってしまった。都営住宅を建てるため水路を曲げたと考えられ、椿西通りも怪しいが突然に直線状態は考えにくく、更に東に斜めに建ち並ぶ家屋のほうがもっと怪しい。
戻って江戸川区一之江5丁目12-4 カンタンの里で鋭角に曲がってるのは異様で、北へは区民農園 西一之江第3、江上しらさぎ公園のほうからも水路があった感じがする。
江戸川競艇場があって、小松川境川親水公園が荒川によって消えてしまう部分が東京都江戸川区西小松川町1−31だが西は中川(旧中川)につながってただろう。
北上して今井街道と接する小松川境川親水公園、更に北上すると江戸川区役所の北側に住民立ち退きによって拡幅して作られた道路が接する八蔵橋交差点付近、更に北上すると東へ向かうのと葛飾区との境界に分かれてる(南下で見れば合流)。
東は入り乱れ交差点の菅原橋を過ぎて新中川の小岩大橋までが見えてきた。下小岩親水緑道に繋がるのかどうかわからない。
江戸川区と葛飾区の境界だが新小岩四丁目の鹿骨街道までは公園になってるが、そこから北は道路の完全なる暗渠、途中で分岐なのか、どちらかなのか怪しい場所がある(Googleストリートビュー 上流向き地点/下流向きの地点)。
だが、もし存在したとして総武線沿いに直線的なのは昭和の戦後に作ったドブ川だと思う。総武線を越えて北へ向かってるかもしれない(Googleストリートビュー)。総武線が通る前の地図が見つからないため不明。1945年頃だと総武線沿いに直線な人造水路、少し蛇行した道路が自然の水路か。
葛飾区になると人造感が増してしまう。旧中川を両脇にして斜めに西井堀というのと、亀有駅付近に続く曳舟川ってのはかなり直線に近い。
過去の綾瀬川がどうなっていたか不明だが、もし隅田川につながっていたなら曳舟川通りがあるように今の葛飾区から墨田区へ水路があったのかもしれない。
1936年頃の写真にて、今の亀有駅から斜めにある「曳舟川親水公園通り」は四つ木付近で分岐して墨田区の曳舟川通りへと東武亀戸線 小村井駅の西側を通る道が昔は水路な模様。狭い路地でもないのに「八広はなみずき通り」が近くで平行だから怪しいと思っていたんだ。
古地図から見えてくる東武伊勢崎線や亀戸線が意外に早く明治35年頃には開業していたのだが、荒川放水路は長期計画じゃなかったのか線路が移動させられてた。
鐘ヶ淵駅から堀切駅の荒川沿いが直線状なのは荒川放水路が作られたからだった。東武線開業から荒川放水路の建設が始まるまで20年くらいある。巨額でも治水事業は可能ならば早くやってしまう。
古地図で答え合わせしようとしたが東京府の頃だと範囲外であり小松川村などだと無料閲覧できるのが見つからなかった。よく探せば出てくるかもしれない。
国土地理院にて第二次世界大戦後くらいに鮮明になる航空写真があるが、「1928年頃」とあるのは都心部のみ。よって既に荒川放水路が完成してるが新中川は完成してない。
その時代を見るだけでも水路は見えた。旧水路を拡張して新中川になっていたりしたが、小岩側へすぐの鹿本通り(北部は東用水せせらぎ通り)も水路だったのが見えた。
本件の場所とは違うが気になったのが戸田競艇場の付近。1945年の時点で戦時中、戦後のため競艇場なんてあるはずもなく軍事用かと思ったら1940年の幻のオリンピックのための競技場。
更に荒川放水路を作って当然かと思うのが、現在の隅田川の恐ろしい蛇行の痕跡。現在の隅田川と荒川に分岐する前から直線状に改良されてる。
葛飾区北部の水元公園を見て川に決まってるだろって正解だった。蛇行してる中川につながってたが蛇行した部分はもうなく直線に改造され埼玉県八潮市大瀬、新古田は中川で分断されてる。荒川放水路を作ったため江戸川区なのに平井と小松川が離れてしまったようなもの。
そんなことで八潮市大瀬と三郷市戸ヶ崎の境界に家が建ってるが近代まで川底である。人が多く住んでおらず堤防なんて作らなかった昔は流れが変わっていたはずだから周辺だって安全とは言い難い。これ言い始めると安全な場所なんて存在しないけど江戸時代じゃなく、大正、昭和まで川なら危険度の違いはある。
こうして仕事上で外出はできないけど暇な時間が生じても楽しめることなどいくらでもある。
→ 国土地理院 > 地理院地図 (地図ボタンを押して年代別を選択。古い年代は大都市中心のみ)
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| emisaki | 2025-04-27 Sun 23:31 | 旅・散策::考察・批評 |
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