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出没!アド街ック天国 町屋(東京都荒川区)を見て想う
2026年2月28日 テレビ東京「出没!アド街ック天国 町屋」

 歴史認識の時間軸が違うようだ。町工場の三ノ輪、大きな工場があった南千住と違って町屋(三河嶋村・尾久村)は100年ほど前まで一面の畑だったところへ周辺の町工場、住居が拡大してきて形成された。ようするに町工場など大部分は第二次世界大戦後、高度成長期という就労者一世代の短期間だけで大増殖と激減衰退。

 誰も住んでなかったわけではないが、周辺の王子、日暮里、南千住、北千住と違い100年戻れば路面電車(飛鳥山下[栄町]~三ノ輪橋)が通り抜けていても住居は点在していた程度と言えよう。

 何もなかったからこそ大昔から火葬場(現:町屋斎場)があり、近代化による問題で広大な土地に作られたのが下水処理場(現在:三河島水再生センター荒川自然公園)で現在も残ってる。
 隅田川の対岸になるが100年以上前には存在しない発電所の「おばけ煙突」は大正15年~昭和38年のためおじさんでも生まれてないくらい前になくなってるから知らないが、写真資料は多く残っており周辺に何もなかったことがよくわかる。

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ようするに江戸時代まで戻ったらどうなるか?

 「文字焼き」だが町屋に誰もいない証拠がないため完全否定できないだけで、ほとんど誰も住んでない江戸の外が発祥だと主張するのは、とてつもなく苦しい。もちろん伝播にて発祥地など謎になってしまうが、誕生するための土壌、伝播する社会構造が必要になってくる。
 浅草の噺家だからって田舎者が江戸っ子の虚像を作り上げて信じてる奴が多いように、ぐたぐた抜かしているほぼ全員が近代移住者では話にならない。付け加えておくが、企業や外部業者だらけになってしまい観光客から吸い上げるようになった月島の肩を持つ気なんて全く無い。

 年代が戻るほど情報の伝達速度は遅く、現代の新聞は横浜で1871年(明治3年)、ラジオは東京放送局1925年(大正14年)のよう以前は人が伝えるしかない。伝言ゲームは狂うのもお約束。

 江戸っ子の子孫として昭和後期だが小さな頃に見てきて言える事は、もんじゃ焼きに土手なんて作らねぇのは事実。まだ残ってた駄菓子屋での記憶を呼び起こすと土手を作らねばならない材料(成分)じゃなかった。お好み焼きの原点になってように今ほど水分は多くなかったし、駄菓子屋のおばちゃんが作ってくれたわけだが水分を一気には投入しなかった。

観光化させやがった もんじゃ焼き業者が創作を繰り返しすぎたか?

 そこから推測すると、いつしか水分を多くしやがった店で、鉄板に材料全部を投入していっぱいに広がって溢れ出さない手法として近代になり当たり前かのよう言い出してるのではなかろうか?

戦後に来た田舎者の大集団の子孫が都会人ヅラしている東京で過去を語るのは難しくなった。

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| emisaki | 2026-02-28 Sat 22:15 | 大衆媒体::テレビ・映像全般 |