2025-08-16 Sat
2025年8月16日 BS朝日「関口宏の雑誌の記憶」 日本の涼しかった夏 前編専門雑誌は値段が高かった。分厚いコロコロコミックが400円くらいだったと思うので子供に1000円台の雑誌なんてとんでもないこと。パソコンじゃないがビデオサロンなんて1680円だった。
歴史も勉強した側としてカメ吉・ブルドッグ建(伊集院光とも言う)の「私のコンピューター」発言に全力で違うだろって思ったが字幕で正しく「マイコンはマイクロ コンピューターの略」であることが伝えられてよかった。自分の MY ではなく MICRO。海砂利水魚も含め、うんちく家の注意点。
今でも残ってるか知りませんが、当時の第2種情報処理試験にはエニアックが真空管17468本だとかハーバードマーク1とか出てきたわけ。くだらないことを知る必要があるのは今でも同じかな?
たまに 0.082 って何だっけ? とか数値だけ覚えてたの出てくることがある。さんざんやらさせて実験のレポート提出とかして 1.602×10マイナス19乗って数値、あれから一度も使ったことがない。
国内パソコンの歴史なんて試験には出てこないから勉強してないが気になった。
テレビ番組で映ったNEC PC-8001の雑誌広告からシャープ MZ-80、NEC TK-80と共に ザイログ Z-80 をCPUにしてたからの型番でしょう。なぜ、東芝PASOPIA 7、富士通FM-7なのか?CPUを調べたらPASOPIA 7はZ-80、FM-7、FM-8はモトローラ6809(互換CPU)だった。1~6番台の存在も見つからなかった。
FM-7の広告出演がタモリ、パソピア7の広告出演がいわくつき親子って怒るで、しかし! 後発機種の広告では伊藤麻衣子(現:いとうまい子)、MSXのPASOPIA IQで岡田有希子は広告の狙いが親から欲しがる子へと変わった証拠。SONYのMSXの宣伝は松田聖子、富士通は南野陽子と検索できたが、まだ見つけてない宣伝がたくさん隠れてるでしょう。
知る年代になると「互換機」って言葉が出てくる。一つは1981年(日本ではもっと遅い) PC/AT互換機、二つ目は1987年 エプソンのNEC PC-9801互換機、三つ目は1995年 Apple Macintosh互換機だがスティーブ・ジョブズが復帰して潰したため短命に終わってる。雑誌は買っても本体は自分で買えるような状況ではなかった。本体のみ40~50万円と親にねだって買ってもらえる値段じゃない。そこに表示装置はナナオ(現:EIZO)の17インチCRTが39万8千円、21インチが49万8千円だった。小さい画面時代から脱した割りに合わない時期だったか。
自分としては安くなって買ってもらえた MSX パソコンだが、子供の頃に読んだ雑誌記事を書いた人に後に出会うことになるとは思ってもみなかった。当時の自分からみて年齢が不詳だったが、その人も今は65~70歳になってるはず。もう2025年だもの。
PC/AT互換機だと今より桁違いに機器の「相性」って問題を持っていたからマニアが何人か揃っても悩んだ時代があった。スロットを挿す位置、割り込み番号をDIPスイッチで変更した上にINIファイルをいじくるとか普通だったが、中には何をやっても駄目なんてのも。だからPCパーツショップで長く続いた「相性保証=保険」もだし、中国、台湾が台頭してきてから不良品もやたら増えた。
今や素人でも気軽に組み立てられて動作するから楽になったもんだ。
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| emisaki | 2025-08-16 Sat 16:47 | 大衆媒体::テレビ・映像全般 |
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