2026-04-07 Tue
桜を撮りに行ったのに~ 細かいことが気になってしまうのが僕の悪い癖 ©杉下右京江戸川区の子供はワイルドなのか?右側に写ってる遊歩道を歩けばいいじゃん。遊歩道にはチャリカスがいてワイルドな道のほうが安全かもね。
スキンヘッドでヤクザ顔したUberEatsなオッサンが信号無視の上に歩道を突っ走り、その遊歩道に入った。信号無視の時点ではカメラ出すの間に合わず遊歩道で捉えたが写真では証拠にならず。
公園、緑地、遊歩道と呼ぶ場所は全面的に車両、危険遊具の乗り入れ禁止にしなくてはならない。
(自転車、スケートボード、キックボード、キックスケーターなど)

学校の1km以内で通学路に設置される
「子供の飛び出しや通学が多い場所を知らせる交通標識でドライバーに注意喚起を行い安全な通行を促す」と言われましても、どこを走ってるんだ?こちらは階段で反対側は歩道のため車道ではなく、排水溝の横に幅1mくらいの裏道。実際は雑草地帯や勝手に物が置いてあったり歩ける幅は50cm程度な部分もあった。
これは俺の大好物だな。掘り下げないと気が済まないんだが、なぜそこに通学路の標識が立っているのか理由は解らなかった。
だが私の幼少期の記憶から掘り下げた件として、都営新宿線が荒川を越えて船堀まで到達したのは1983年(昭和58年)12月23日だから大昔じゃない。いまどきのガキならスマホでゲームだろうが当時の子供ったら窓から外を見続けるのが基本だから少ない回数でも記憶がある。
新川も新中川も、そうきたら荒川も江戸川もだが、「昭和時代は、でっかいドブ川」。
今でも見られる横十間川のようザラついた感じのコンクリートの垂直堤防だった。江戸川区役所あたりからバスに乗って西葛西駅へ行くのに、首都高速道路7号線の下を通って荒川の脇道、江戸川競艇場を通り、新川の北面沿いに東へ進み宇喜田橋を渡ってからまたすぐ曲がって民家の細い道路をバスは走ってた。当時は西水門橋は存在しない。
写真の場所だが宇喜田橋の南詰の西側であり、ここは昔は車道があった。車道がなくなった年代を調べる時間がなかったが、2001年(平成13年)の地図に道路の存在が見える。だからって名残で通学路の標識立てるはずがないだろ。
役所が車道がなくなったのに更新するの忘れてるとか?それも違った。Googleストリートビューにて年月を遡ると 2014年5月以前には標識は見えず、2015年6月から映ってるから意図的に立ててる。
更に遡って都営新宿線どころか地下鉄 東西線もない昭和の東京オリンピックな年代に戻すと宇喜田橋の南側には新川に沿った道路がない。新川休養公園までも川であった。
慣れてくると地図を見てピンとくるが、新川休養公園から分岐して第一三共(旧:第一製薬)の南側を斜めにある帯状のところは田んぼに水を引く水路のようだ。途中の記録がないが昭和20年から昭和40年の間に水路ではなくなっていた。
以前に左近川を江戸時代の海岸線のように書いてしまったが古地図にて正確にはどこまで海岸線かわからない。左近川から海側は明治42年には干拓が進められて昔の田んぼの地図記号があるが、戦後に湿地に戻ってることから爆撃で堤防が崩れたのかもしれない。南側の新左近川親水公園は昭和41年の古地図では海岸線で現在の西葛西駅近くまで湿地帯。
通学路標識の謎が解けなかったため、周辺の気になるところを追ってみた。
| emisaki | 2026-04-07 Tue 21:47 | 旅・散策::街・施設 |
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