2025-10-20 Mon
本件は過去に少し指摘したことがあるが、ここで大きく取り上げてみたい。理由は近年は社会問題を扱うテレビ番組で自分勝手すぎる件が増えたから。住宅情報サイトでもあるんだが、買ったときの状態が永遠に続くと思ってるから呆れる。


出典:伊東市オープンデータ 伊東市今昔写真 CC BY 4.0
クリエイティブコモンズ証の提示により、ライセンス表示と提供場所リンクいたしました。改変および再提供が認められているため法律による引用条件を越える範囲での議論用に利用する。撮影年の異なる写真は画角が異なっているため画像処理ソフトを利用して同等な見た目になるよう近づけた。
写真は大室山山頂から東向きに撮影されている(Googleストリートビュー 2018年6月)
古い方でも昭和52年(1977年)のため既に別荘地開発や観光地開発が始まっており、更に前には海沿いに集落があるくらいで何もないに等しいと聞いております。
1977年の時点で日本の人口は1億1千万人を突破しており、1億2千8百万人のピークから十数年で約400万人も減っており、大都市ではタワーマンション建設により宅地のみならず商業ビルの空室も増えてる。家が必要ならば核家族化による害である。高度成長期には住む家が足りなかったが、今は空き家が廃墟化して社会問題。新たな宅地開発の必要性は無い。
10年以上も国内外の金の亡者どもによる不必要な自然破壊による大規模太陽光発電所建設には虫酸が走っており、この題名してから第130回となりました。
何もこれだけじゃなくカネに働かせるだけな醜く卑しい奴らが蔓延る世の中なのは言うまでもない。
もう作ってしまった原子力発電所を潰せと言うつもりもありませんし、有無も言わさず太陽光発電所を嫌っている訳ではありません。全ては論理的思考、人類の生存は一定の自然破壊の上に成り立ってることを理解し、必要か暴挙かで判断いたします。
伊東市八幡野で計画されていたが阻止されたも同然である大規模太陽光発電所の計画地はこの写真よりずっと右。写ってる場所から一帯は別荘地として開発されたように本来は不必要。
住める場所はほかにもあるため言葉は悪いが人類のエゴ(不動産業者の金儲け)によって作られた。嫌われた大規模太陽光発電所も超絶バカな法律による高額買い取り制度に集ってきたハイエナどもの計画であるが、どっちも自然破壊の上に成り立たせた。
先にやったほうが正義なのか?
過去に別件で自己中どもを批判した。先に建てたマンションの住民が隣に建つマンション建設に反対していた。こっちからすれば先のお前らも目障りだってこと自己中な育ちのオツムじゃ理解不能。
この地域の場合は上記の問題に類しており、別荘地開発で破壊したのが不動産業者だったとしても、先に自然破壊して家屋が必須でもない所に先に住んだら文句を言う資格があるのか?
自己中じゃないって言うなら、俺が言うことを正しく理解してから言い負かしてみろよ。田舎者の自己中には東京で嫌気が差しているので論理的に反論できるもんなら言ってみやがれ。
車道が危険だから自転車は歩道を走らせろって自己中に近いものを感じるのである。
自己中な言い分は反論ではない。それが通るなら「先に建ってたんだからマンション建てんじゃねーぞ」の言い分が通るのか。法律の許すところで違法行為がなければ文句のつけようがない。
大規模太陽光発電所の場合には頭がお花畑の省庁はロクな規制もなく推進させ、同じく頭がお花畑の市町村もエネルギー問題だとか税収に目がくらんで金の亡者どもが事件を起こしてからも動く気配がなく、攻め込まれてから汚い手を使って止めることができたのが伊東市でのことだと思う。
諸悪の根源が経済産業省であっても、後手後手が日本中の間抜けな市町村で住民を苦しませた。
大規模太陽光発電所においては地域ごとに事情が変わってくる。大部分は昔から住んでいる人達がいる場所の真横や斜面の上に作られたり、長崎県のほうでは小さな島にして広い範囲を切り取られる脅威があり、最近では宇久島である。
決定的に必要性のない破壊であり金儲けのためでしかないのが大多数。
繰り返すが切り開いてまで作る大規模太陽光発電所は大反対だから。山が多く平地の少ない日本には向いてない。火山列島に向いてるのは地熱発電であり温泉がと能書きを垂れる奴はお黙り。
現在の社会構造において温泉利権なんぞよりエネルギーのほうが桁違いに重要で死活問題である。
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