2026-01-28 Wed
縦割り行政と言えるが道路構造に警察は絡んでない。そんなことで調べてゆくと、警察による道路標識と役所による道路標識があるのだが法律上の効力は同じ。単に「お願い」な警告版には法的拘束力は無いが、道路交通法ではなく条例による禁止もある。本題の自転車は歩道を走ると根付かせたのは遠い昔になり、近年の改正(改悪)まで明確に歩道走行は禁止であったのに街中の警察官は堂々と歩道を自転車で走る犯罪が常態化していたのだから市民に示しが付かない。
前投稿で調べてた施設の目の前で写されてる。並走禁止、歩行者が見られないだけで歩行者往来妨害でもある(調布市 東八道路Googleストリートビュー)。違法行為は日本中で常態化してる。
【自転車の安全で作るも実は自転車運転犯罪者を助長させ歩行者を危険にした悪例】
以下は例で全国に多数ある。
・東京都小金井市 東八道路沿い(Googleストリートビュー2024年7月)
・埼玉県川口市 けやき通り(Googleストリートビュー2024年7月)
上記は単なる歩道上であり、車道に作られる自転車専用通行帯ではない!
各市町村で真似したため全国的に見られる実は間抜けな構造。自転車は車道として歩行者と完全に分離せねばならない。何が間抜けって長くは続かず、すぐに歩行者と一体化する。三鷹市大沢2-6-49の前(Googleストリートビュー)を見れば、分離区間が入り組んでおり直角に入ったり出たりしなければならない。
たいして人も歩いてなければ自己中育ちの連中が、いちいち自転車と書かれた道には入らない。バスの系統を間違え逸れてしまったとき東八道路を歩いて目の当たりにしたのが歩道を爆走する自転車の脅威だった。
自動車から守ったら今度は歩行者を危険にさらしたため更に分離した状態であるが、教育が悪いからチャリカスを経てバイクや自動車で人殺し運転手になるのである。
【私が行ってすぐに気づいた間抜け構造 長年と放置もやっと改良工事された】
似た間抜けな構造は名古屋市の中心地にも見られたが、やっと改良された。愛知県名古屋市 伏見通り 国道22号沿い(2020年 → 2025年5月Googleストリートビュー)で、こちらは歩道と柵で分離された自転車専用通行帯である。
自転車専用通行帯のある道路で自転車はそこを通行する義務があるが、交差点のたび、くねくね曲がった構造の頃、自転車がそこを走ってるのを見たことがなかった。
道路を改良したところで自転車の運転手はチャリカスとなってるため直線化してからの脅威は交差点で減速しないことだが、そこは勝手に死ねとしか言えず、自転車を交通弱者とするのはいい加減にすべきで車両へは対等に罰則を科さねばならない。
余談だが、日本人に染みついた、とんでもない間違いな思想として、自転車運転で犯罪(違反)を繰り返してきたことと、酔っ払いだから何かやらかしても仕方ないと許すこと。暴行障害や器物損壊に至らずとも「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」「迷惑防止条例」「道路交通規則」にある禁止行為であり、酔っ払って何かやらかしたら重ねた罪なのに酔っ払いだから仕方ないと頭おかしい概念がある。自らの意志において酩酊したことを心神喪失と呼んではいけない。自動車で繰り返されるのだから自転車による飲酒運転は減らない。
【都会を知らぬ連中が都市計画した末路】
上記リンクで示した歩道構造は土地が広い地方都市、新興住宅地に見られるため、都市生活不適合者が好き勝手をできる環境を整えてしまった。
そうした自己中たちが押し寄せてきたのだから歩行者が怒鳴られたらしく、1990年でさえ自転車運転手が「もっと端っこ歩きなさいよ」と言う歩行者往来妨害罪なCMが堂々と放送されてた。
【過去の大失策 推察】
自転車の取り締まりを行わなかった理由として「交通戦争」が原因ではなかろうか。戦後、大勢の他人を見たこともない連中が大挙して都市部へ集まったため自動車運転で大勢の人を殺したから「交通戦争」と呼ばれたわけだが、当時は自動車が優先のような社会体質だった。
日本より桁違いに自己中である外国では今でもそうだし、日本でも地域性が色濃く出るため都道府県別で横断待ちしてる歩行者を目の前にして停車するかランキングまであるわけさ。
危険な連中がのさばってる車道なんて危なくて走れないため自転車は歩道を走るようになり、道路交通法で明確に禁止だったのに警察も責めてこなかった結果が現在の交通ルールを守る気がない確信犯による「第三次交通戦争」である。
チャリカスが野放しどころか、飲酒運転で時速192kmや268kmで人殺し犯に生き地獄レベルの刑罰が与えられない。ですから熊を撃つより先に野獣以下の人間に人権など必要ないと訴えてる。
古い写真を調べてゆくと昔に歩道なんて区分は見られない。現代と比べると50、60年前は話にならない。昭和の東京オリンピックが開催された以降になるが、戦後の混乱期を抜けて集団就職で田舎から出てきた人達の子供が集団生活能力が無いまま成人してやらかした1988年からの「第二次交通戦争」を経て車両の安全性のみならずガードレールの設置が進んだのではなかろうか。もちろん大都市は早くから車道と歩道の分離が見られたが郊外になると植木がある程度。東京のど真ん中でガードレールがなくても成り立つのは銀座だけだ。
ガキの頃から自己中なチャリカスとなった連中が自転車で人を殺すまでになったから大問題になってるのだが、そのまま将来にバイクや自動車を運転するから人殺しになる。
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| emisaki | 2026-01-28 Wed 23:25 | 交通::情報・考察・計画 |
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