サイト内の移動
最新投稿
当年度ブログの検索
カレンダー
S M T W T F S
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30       
<<  2025 - 11  >>


2025 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2024 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2023 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2022 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2021 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2020 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2019 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
分類
月別の記録
状態
現在: ゲストモード

清水寺への路線バス大行列 オーバーツーリズムで考えたルート
 京都駅で清水寺へ向かう路線バスが大行列と報道していたが、混雑はコロナウイルスが蔓延する前からなので私が考えたのは先に別の場所へ向かうことだった。

 二条城や京都御所へ向かってから時計回りに清水寺へ向かう。オーバーツーリズムで定員オーバーしやすい路線バスは使わないようにするのが一番だから電車と長い徒歩は仕方がない。

 京都駅から清水寺へ直行するにして歩いて仁王門まで2.8kmであるが、途中に三十三間堂ほか立ち寄り場所があるため時計回りでも反時計回りでもベタな観光地なら損はない。

そもそも京都において歩けない人に観光するのは無理だから。

| emisaki | 2025-05-01 Thu 23:39 | 旅・散策::考察・批評 |
事件発生にて知る神奈川県横浜市南区六ツ川(むつかわ)
→ [地図] 神奈川県横浜市南区六ツ川

地図では約1km離れて大岡川が見えるが、六ツ川という住所に川が全く見えなかった。

 神奈川県横浜市南区のサイト内検索を行ったのだが町の歴史の情報に短時間の調査では辿り着けなかった。A.I.検索によると『鮫ヶ谷・久保谷・マンカ 谷・久保谷・荒戸谷・御堂谷の六つの谷があり、これより流れる谷川が合流して六ツ川』との説があると表示された。

 本日の起きた事件現場が銀玉頃がし場で脱法賭博である通称「景品交換場」が見当たらないため周辺を見たところ暗渠である特長を備えている場所が見つかった。

続きを読む ≫


 セブンイレブン横浜六ツ川店の裏(南側)が胡散臭いと辿れば車道でも歩道でもない謎の道が見えた(Googleストリートビュー)。北東の強盗傷害事件現場となった裏路地の微妙な蛇行が怪しい。

 蓋したのが見える場所は判りきっててつまらないためストリートビューにて東へ進むと急に曲がったら六ツ川一丁目交差点に出て谷っぽく、道路を横断して東へ更に下ってた。定光寺から東に続く団地が高台で南の弘明寺公園との間が谷間。

 県道218号線は、なるべく直線状に新たに作ってるとしか見えないわけで、ありがちな事からすると旧道が川に沿って存在したとも考えられる。川らしき旧道から県道218号(桜木東戸塚線)に合流、京浜急行線のガード下を過ぎると何やら北向きに左側の歩道が広すぎるんだよ。右側に比べて広い。だが京急と交差地点の衛星写真を見ると宅地の裏に側溝らしきのが見える。バイクが止まってるよう見えるため川だとしたら暗渠になってる。

関係ない疑問だが京浜急行線と県道218号沿いの家屋の隙間にある廃墟へ、どう行くのか?

県道218号線から東にも蛇行した道が見えたが山に沿ってるだけだった。

 京浜急行線ガード下から続く側溝(暗渠)らしきのを追って北上すると建物が立ちはだかるため使われてなく、最初に疑った道路沿いの地中に水路は移されたのではないか?

 谷間ってことでは井土ケ谷上町公園の南側から東へ県道218号を横切って路地(Googleストリートビュー)を通ってた感じがする。そこから先は新しい街になり予測が難しくなった。敷地の形からするとサミットストア 井土ヶ谷店とマンションの間だろうか?



 六ツ川に戻って上記で追ったみたい解りやすい暗渠は見つからなかったのだが、周辺が「この坂も実に走りたく“ない”坂である~」のため流れ込むなら六つどころではなさそうだった。

 六ツ川2丁目40-64あたりから西も(Googleストリートビュー)ぐねぐねと見えてくる。六ツ川2丁目48まで追えるが先は横浜市立別所小学校のほうへ向かってるか不明。
 北の方向でも神奈川県立横浜国際高等学校は高台にあるし、六ツ川公園なんてのも川だったんじゃないかとプンプン匂ってくる。北西に向かって徐々に高くなってゆき東西が高い谷間になってるってことは川のはず。



 横浜市は河口と埋め立て地を除けば大部分が丘陵地。横浜市は肥大化しすぎて東京都に例えると奥多摩を東京って言う場所さえあり、面積は東京都23区の3分の2。

 川沿いが古くからの平地になるが少なく、不動産販売業者もカネのかかる大規模整地は行わず地形をそのままのため中流以上のお高めの家が建ち並ぶ場所でも地形で劣悪環境が多い。

→ 神奈川県横浜市南区八幡町 大坂Googleストリートビュー 下り上り

 大きな山じゃないから水が蓄積しないため名残りは見えないが、雨になればそこらじゅうに小さな川が形成されていたように感じた調査であった。

≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-05-01 Thu 12:53 | 旅・散策::考察・批評 |
岐阜市中心街の暗渠 そして水路は岐阜城下へ
 興味対象が違っていたため通っていながら無視したアクアージュ柳ヶ瀬。岐阜県岐阜市日ノ出町1丁目17Googleストリートビュー

 長良川から分岐させ長良川に戻ってゆく農業用水路でしょうか?本当の川と違って各所で直線だし直角にも曲がってる。近代化して曲げたのではなく水路に従って家が建ってる。斜めで直線状じゃない部分は農地ではなかったのか?

 改めて地図を見て気になったのは西柳ヶ瀬アーケード商店街が終わったところ岐阜市春日町1丁目12西柳ヶ瀬コミュニティ広場「輝き」を中点に斜めに通ってる道。水路だったか暗渠になってそうな匂いがプンプンしてくる(言葉の綾、実際に匂わない)。

もう10年前だがイベントの合間にウロウロしたときは全く気づかなかった。

 南部は岐阜市徹明通8丁目10まで道路を負うことができ、岐阜市鹿島町1丁目1(Googleストリートビュー)にて表に出るため暗渠だったことが解った。

 本荘公園で曲がって抜けると暗渠になるが、車道を辿ると岐阜市本荘西1丁目179で見えるようになる。岐阜市本荘西4丁目46−1にて再び暗渠になり道路上の蓋を負うことになり太めの道路にぶつかって見失いそうになるが岐阜市西荘2丁目11−8で見えたら地図でも水色になってるよう表に出ていて論田川ってのに繋がっていた。

 北部は途中で見失ってしまいそうになったが変な曲がりをしていて岐阜市役所の西側の住宅地を通り、また東へ進み市役所の北のメディアコスモスなる施設の西側から斜めに北上、忠節用水分水門跡になったが北へ向かって長良川に取水口が見当たらない。

 長良川に近いのに水路は東へ進み山にぶち当たったところで北上してた。山に沿って進み、岐阜市伊奈波通1丁目46にて見えるようになり、更に山沿い岐阜公園の北側で長良川から分岐した水路から分水されていた。大々的に埋められてしまってないため暗渠にした上の道路には数々の蓋が設置されており非常に追いかけやすかった。

 自分なりに地図を見てからネット検索したら調べた水路の分岐がアクアージュ柳ヶ瀬であり、商店街の通路が暗渠の上なのか柳ヶ瀬グラッスル35を回ってる。南側には地下駐車場が作られてるが避けるよう西へ進んで金町自転車駐車場の下が暗渠と思われ、道路を西へ横断して斜めの道、繊維問屋街のどこかを抜け忠節橋通りを南下してJR東海道線沿いに通ってる水路に接続。そこから東へ岐阜駅の南口で見た清水緑地に繋がっていた。

| emisaki | 2025-04-29 Tue 12:25 | 旅・散策::考察・批評 |
葛飾区堀切、小菅から広げて探る 地図から抱く妄想の正誤は?
小松川境川親水公園@東京都江戸川区を探るから続く

 前回に続き地図上で上流へ移動したら気になるところが多々あった。葛飾区小菅四丁目 レンゴー葛飾工場を避けるように水路があった。元は直線状だったのかと思ったら違っており、北部に大きく蛇行して現在の綾瀬駅に達しているため1950~1960年の間に邪魔だから途中で接続して現在の流れになってた。

地理院地図東京都葛飾区小菅四丁目付近の1936~1942年頃の航空写真

 先っぽは北部の水路と接続していて、痕跡は残っていてタワーマンションが建った東側の細長い公園が水路。駅の南部へ通路および自転車置き場(区営綾瀬南自転車駐車場)として蛇行した状態で残ってる。小菅四丁目19番地南側の水路に穴が見えるため暗渠となり繋がってそう。

続きを読む ≫


 堀切橋(東京都足立区千住曙町~葛飾区堀切四丁目)あたりだと1928年の航空写真がなく、1936年以降だと荒川放水路が完成してしまってるため推測になるが、荒川放水路を作ったことで綾瀬川は隅田水門があるところで隅田川へ繋がっていたように見える。

 中川(旧中川)の蛇行からして綾瀬川は直線的すぎるため更に昔に人造だったのかもしれない。そう思う理由として過去を見通せる構造が近くにある。

 自然なら三日月湖だが荒川放水路の人造によって地面になったと思われるのが、下流から上流(北部)へ足立区柳原1丁目37、柳原1丁目36(足立共済病院)、柳原1丁目34、柳原1丁目30、柳原1丁目1、柳原2丁目1~5、柳原2丁目53、柳原2丁目54で荒川放水路で見えなくなり、先は、葛飾区小菅1丁目2−1小菅西公園だが過去の痕跡は見えなくなってるが川としか思えない。

 見えぬ川は荒川放水路沿いに蛇行していたのだろうか?作りやすいところに作ったに決まってるわけで、最適解なら荒川放水路は今より直線的に作るはず。少しでも安上がりにするなら誰か住んでいても立ち退きしやすいルート、元から川を利用するでしょう。



 東京都から出て埼玉県となるあたりの隅田川(荒川)も蛇行してる痕跡は現在の地図からも見える。蛇行してる頂点を繋いで直線状にしたのが新河岸川(少なくとも都内は人造)でした。東京都板橋区舟渡2丁目14 浮間公園は蛇行した部分が残った部分。その他の川底や蛇行を止めて生まれた土地には住居こそ見られないが倉庫や物流センターが建ち並んでいた。現在の日本金属板橋工場の南側も工場だったが、今は巨大な物流倉庫になってる。



 戦時中からある工場が移転で住居になったのはUR都市機構豊島五丁目団地、テレビ番組でやってたがUR都市機構ハートアイランド新田なんて名前を付けたところ、過去に工場が建ったの戦後の話。工場は1996年に操業停止してるため2000年頃から建ち始めたのだろうが、最寄りの鉄道駅(王子駅、扇大橋駅)まで約2kmと都会人には無理な立地条件。

 晴海、豊洲のよう都市生活不適合者が住むためチャリカス軍団が登場して迷惑地域になる。近くなら赤羽駅の近くに団地を作ってから酷くなった。ほか武蔵小杉を代表とする高層マンションが建ち並ぶ地域って秩序瑕疵物件、ある意味で心理的瑕疵物件なのだ。お化けより生き霊のほうが恐ろしい。

 小さい頃から新聞の折り込みチラシを見るのが好きだったが調子が良いことしか書いてないため、一世一代の買い物をするならばお金を投じても調査が必要。東京23区内なんかで有り得ない閑静な住宅地を求める都市生活不適合者は同族が集まってくれたほうが迷惑にならない。

 物件を探すにおいて天災を考慮して昔を探るよりも見えない人災こそが恐ろしい。事件を例にするならば、生卵を投げ続けてくる奴が隣だったら? ヤンキーのクソガキに親も親ってチンピラ一家だったら? 道路族(現代の意味)を叱ったら周囲が嫌がらせを開始したら?

家の間取り、近くの商店なんてより桁違いに重要なことがある。

≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-04-28 Mon 12:37 | 旅・散策::考察・批評 |
小松川境川親水公園@東京都江戸川区を探る 一部は机上の空論
気にしたことあるけどCBCテレビ「道との遭遇」に影響されてしまってるな。

 江東区や墨田区ではもう今の地図では解らなず江戸川区だと痕跡が残ってるため古くは農業用水路、戦後の工業時代(汚染)にはドブ川だったの追っていた。

 江戸時代に作られた浦安、行徳から運搬用の水路、今の江東区で小名木川、江戸川区で新川は解りやすい。昭和の海岸線も新左近川親水公園、市川野鳥の楽園、船橋港親水公園、ららぽーとTOKYO-BAY(船橋ヘルスセンター)、谷津バラ園(谷津遊園)の南に谷津干潟。ねずみーランドなんて昭和でも海の底。真偽は不明だが失敗しても宅地にするからって小さい頃に小耳に挟んだ。



 江戸川の河口部の支流なのか古川は古川親水公園として全域が見えていて、境川は一之江境川親水公園として更に長く新中川まで繋がってるのが見える。実際に水路としては繋がってないでしょう。

 新中川は人造のため東側を探すと都営住宅の縁に水路(椿親水緑道)が見えるが、そこから先が見えなくなってしまった。都営住宅を建てるため水路を曲げたと考えられ、椿西通りも怪しいが突然に直線状態は考えにくく、更に東に斜めに建ち並ぶ家屋のほうがもっと怪しい。

 戻って江戸川区一之江5丁目12-4 カンタンの里で鋭角に曲がってるのは異様で、北へは区民農園 西一之江第3江上しらさぎ公園のほうからも水路があった感じがする。

続きを読む ≫


 江戸川競艇場があって、小松川境川親水公園が荒川によって消えてしまう部分が東京都江戸川区西小松川町1−31だが西は中川(旧中川)につながってただろう。

 北上して今井街道と接する小松川境川親水公園、更に北上すると江戸川区役所の北側に住民立ち退きによって拡幅して作られた道路が接する八蔵橋交差点付近、更に北上すると東へ向かうのと葛飾区との境界に分かれてる(南下で見れば合流)。

 東は入り乱れ交差点の菅原橋を過ぎて新中川の小岩大橋までが見えてきた。下小岩親水緑道に繋がるのかどうかわからない。

 江戸川区と葛飾区の境界だが新小岩四丁目の鹿骨街道までは公園になってるが、そこから北は道路の完全なる暗渠、途中で分岐なのか、どちらかなのか怪しい場所がある(Googleストリートビュー 上流向き地点下流向きの地点)。

 だが、もし存在したとして総武線沿いに直線的なのは昭和の戦後に作ったドブ川だと思う。総武線を越えて北へ向かってるかもしれない(Googleストリートビュー)。総武線が通る前の地図が見つからないため不明。1945年頃だと総武線沿いに直線な人造水路、少し蛇行した道路が自然の水路か。



 葛飾区になると人造感が増してしまう。旧中川を両脇にして斜めに西井堀というのと、亀有駅付近に続く曳舟川ってのはかなり直線に近い。

 過去の綾瀬川がどうなっていたか不明だが、もし隅田川につながっていたなら曳舟川通りがあるように今の葛飾区から墨田区へ水路があったのかもしれない。
 1936年頃の写真にて、今の亀有駅から斜めにある「曳舟川親水公園通り」は四つ木付近で分岐して墨田区の曳舟川通りへと東武亀戸線 小村井駅の西側を通る道が昔は水路な模様。狭い路地でもないのに「八広はなみずき通り」が近くで平行だから怪しいと思っていたんだ。

 古地図から見えてくる東武伊勢崎線や亀戸線が意外に早く明治35年頃には開業していたのだが、荒川放水路は長期計画じゃなかったのか線路が移動させられてた。

 鐘ヶ淵駅から堀切駅の荒川沿いが直線状なのは荒川放水路が作られたからだった。東武線開業から荒川放水路の建設が始まるまで20年くらいある。巨額でも治水事業は可能ならば早くやってしまう。



 古地図で答え合わせしようとしたが東京府の頃だと範囲外であり小松川村などだと無料閲覧できるのが見つからなかった。よく探せば出てくるかもしれない。

 国土地理院にて第二次世界大戦後くらいに鮮明になる航空写真があるが、「1928年頃」とあるのは都心部のみ。よって既に荒川放水路が完成してるが新中川は完成してない。

 その時代を見るだけでも水路は見えた。旧水路を拡張して新中川になっていたりしたが、小岩側へすぐの鹿本通り(北部は東用水せせらぎ通り)も水路だったのが見えた。



 本件の場所とは違うが気になったのが戸田競艇場の付近。1945年の時点で戦時中、戦後のため競艇場なんてあるはずもなく軍事用かと思ったら1940年の幻のオリンピックのための競技場。

 更に荒川放水路を作って当然かと思うのが、現在の隅田川の恐ろしい蛇行の痕跡。現在の隅田川と荒川に分岐する前から直線状に改良されてる。

 葛飾区北部の水元公園を見て川に決まってるだろって正解だった。蛇行してる中川につながってたが蛇行した部分はもうなく直線に改造され埼玉県八潮市大瀬、新古田は中川で分断されてる。荒川放水路を作ったため江戸川区なのに平井と小松川が離れてしまったようなもの。

 そんなことで八潮市大瀬と三郷市戸ヶ崎の境界に家が建ってるが近代まで川底である。人が多く住んでおらず堤防なんて作らなかった昔は流れが変わっていたはずだから周辺だって安全とは言い難い。これ言い始めると安全な場所なんて存在しないけど江戸時代じゃなく、大正、昭和まで川なら危険度の違いはある。

こうして仕事上で外出はできないけど暇な時間が生じても楽しめることなどいくらでもある。


国土地理院地理院地図 (地図ボタンを押して年代別を選択。古い年代は大都市中心のみ)

≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-04-27 Sun 23:31 | 旅・散策::考察・批評 |
箱根・熱海地域の周遊券 コロナ禍を挟む10年間での変貌
 変貌と言えば西武グループである伊豆箱根鉄道の衰退によって十国峠パノラマケーブルカーおよび箱根駒ヶ岳ロープウェイが富士急グループへ移った。

 ただし箱根での交通路は西武グループ(伊豆箱根鉄道、バス)または小田急グループのままだ。事業者の変更があってからも一時期は継続されていた周遊券の適用内容も変更、または廃止。

 伊豆箱根バスによる「絶景富士山乗車券」については富士急になった十国峠ケーブルカーもセットになってるが事業者変更後に1700円になった。バスも富士急になったほうがよさそう。

 箱根駒ヶ岳ロープウェイが本日(2025年4月25日)に大々的に改築された。事業者が複雑に絡み西武グループの周遊券だった「箱根旅助け(旧・箱根スマイルクーポン)」は廃止されてる。

 バス乗車券だけだから「箱根バスフリー」は残ってるが2019年に1日券1700円、2日券2000円が2025年4月調査時点で1日券2500円、2日券3000円となっていた。

 箱根駒ヶ岳ロープウェイの料金は事業者変更と改築が料金に転嫁されてしまったため最後に行ってから10年で2倍となった。知ってる側からしたら目が飛び出そうな値上がりを見せてるためリニューアルオープンにて劇的に料金値上げしたら客足が遠のくため限界に達している。

 既にインバウンドやイチゲンさん狙いになってると思う。リニューアルと言って初耳は見当たらず、柳の下の二匹目のドジョウを狙うってよう日本全国でやってる真似事だった。

箱根駒ヶ岳ロープウェイ 往復1080円(2015年)→1600円(2019年 事業者変更)→1800円→2200円
十国峠ケーブルカー 430円(2015年3月末まで)→730円(事業者変更後)
絶景富士山乗車券 1000円(2015年3月末まで)→1200円(2015年4月)→1700円(事業者変更後)
大山ケーブルカー 往復470円(2014年)→630円(2015年10月)→途中不明→1270円(2024年4月)
下田ロープウェイ 往復1000円→1030円(2019年)→1500円(2025年4月再調査)

 記録が残ってる期間はもっとあるが2015年からの10年に絞ってみた。過去に箱根地域にて移動と入園料を現在と比較すると、2015年当時では箱根旅助け3000円(下記料金込み)であったが、2025年4月で算出すると箱根バスフリー3000円(2日用)+箱根駒ヶ岳ロープウェイ2200円(往復)+箱根園水族館1500円+箱根遊船1000円(箱根園~元箱根)=7700円と2.5倍以上のお金が必要になった。2015年には天候不良で立ち寄らなかっただけで周遊券では十国峠パノラマケーブルカーも乗ることができた。

 2015年からの推移を記述してるため大きな問題は「事業者の変更」「バス運転手不足」「新型コロナウイルス蔓延」であるが、2011年3月11日の東日本大震災で客足が止まり、2015年からは大涌谷が噴火警戒レベル最大3まで上がったことで箱根から客が消えたこともあった。

2025年4月25日、大涌谷にも新展望施設がオープン。どっかで見たことあるやつですけどね。

 結局、新宿から小田急で行くとなると箱根フリーパス6,100円(新宿から2日間有効)の圧勝となってしまってる。ロマンスカーで往復しても8,400円である。西武グループが施設を捨ててしまった以上は富士急グループが箱根地区の路線バスを西武から奪わないと小田急とは戦えない。

| emisaki | 2025-04-25 Fri 12:46 | 旅・散策::考察・批評 |
江戸川区さんぽ 施設・道路・交通モラル
 江戸川区のゴミ処理場。1年前は巨大な家みたいな鉄骨があったが、それがなくなって円形の骨組みだけになってた。(煙突)

 隙間から覗いたが他にはまだ建物はできてない。表示を見ると施工完了は令和9年となってるのだが、ずっと疑問に思ってるのが役所が発注した建物ってなぜ遅いの?言い訳は通用しないね。単に税金が食い物にされてるとしか思えないんだよね。


続きを読む ≫


【都市生活不適合者が集まった土地柄と希望の施設】

ここだけに限らないが遊歩道でも老若男女のチャリカス爆走。逆走もたくさんで自転車も車両につき左側通行が義務。

 内陸では私が子供の頃に消えてしまったが、こっちには希望の東部交通公園(子供向け交通教習所)があるものの教習義務もなく世間を見渡せば機能してるとは到底思えず。

 歩道爆走に怒ったら逆ギレしてきたクソ野郎が「どこ走れって言うんだ」と言ってきたが「車道に決まってるだろ」。「道路が危ない」という自己中に「テエメが歩道を走ってるほうが人殺し」って言ってやったが、そもそも逆ギレしてきてる奴だから理解するはずもない。育ちが悪すぎ。



【都営住宅 安さ追求】

 建て替えるのかと思ったら看板を見て完成予定が令和7年6月だから2ヶ月後だった。

え!これなの?

 ここまで昭和レトロなブームとは思えないんだが、いわゆる団地じゃん。昔と違って階数が増えてエレベーターがついてるくらいしか違いが感じられないぞ(外観)。築年数が何十年も古いURのほうが新しい感じがした。
 自分を疑い、もしかして改築だけかと思って年代を遡ったら更地でしたので新築物件でした。以前の建物は小さな頃からよく見ていた狭い階段で数が多く、縦のつながりしかできない建物だったが2015年から建設が開始された写真の建物は現在の一般的な構造で同じ階では横の繋がりがある。

 昭和の団地の構造は多人数のため狭くても部屋が多いことだが、今になって建ててるならば少子化を考えて部屋数は少なく一部屋が大きい構造になってるでしょう。

 立地条件は良く都営新宿線 一之江駅まで最短650メートル。商業施設も一之江駅の周辺に集まってる。難は新大橋通、環状七号線という交通量の多い道路に阻まれているから渡れる場所が限られる。交通量から危険視するが都会を知らぬ人々で作られた街は大通りより路地のほうが劇的に危険。
 理由は下記でも示すが地方出身者は「24時間 誰か歩いてる」という概念を持ってないから誰もいないと思い込み住宅街でスピード違反、一時停止無視などのキチ○イ運転を平然とやらかす。

 なぜまだ工事中なんだと更なる疑問が沸いたが、書いてあった「第3期」ということで徐々に建て替えられていた。私が通った道の建物がここでは最後の建て替え。



【わかりきってる道路拡幅 立ち退き待ち】


 私が生まれた時期からやってれば立ち退きさせられることもなかっただろう。それほど昔まで戻らずとも江戸川区は畑だらけに中央部ほど高い建物がほとんどない。南下すると なぎさニュータウン

 南部のよう4車線(2×2)だとすると相当な立ち退きが必要だが、全く必要ないと思う。なぜなら新中川から新川まで少しの自動車とはすれ違ってるが、歩行者は、たったの一人しかすれ違ってない。

 刻銘に覚えている理由は、長く歩いているのに誰もいなくて「ここは東京か?」と逆に怖くなったからで都会の空乏層に広い道路は不要。
 江戸川区は区役所が北部にあるのじゃなく南部が広がったにすぎない。古くからある北部、葛西、そして西葛西の泥沼が高層マンションの新興住宅地に人口が密集しているが、中央部は広場や一戸建てが異様に多いため空が開けている。

 まだ秩序がない田舎者を呼び寄せる気なのかと将来的と考えてみると東京も人口減少に転じるはずで需要は無くなるから立ち退かせてまで道路を作るまでもないのだが…。

≪ 続きを隠す
| emisaki | 2025-04-10 Thu 23:13 | 旅・散策::考察・批評 |