2026-10-25 Sun
酒を嫌ってるくせにオードリー春日のせんべろを見てしまった。亀戸からの二本撮りなのか、お花茶屋という渋い地に行き、接した爺さんに先が「沼」と言われて気になり古地図を見るも120年前では農地であり沼は見当たらなかった。当時の子供からしたら田んぼにある小さな調整池でも沼かもしれない。湿地帯と言われたのは江戸時代中期まで戻らねばなるまい。【綾瀬川下流は人工水路?直線化?】
→ 国土交通省 >> 日本の川 > 関東の一級河川 > 中川・綾瀬川
色々とすることがあり気になるも後回しにしてたのが、東京都内にて一直線のため人造に決まってると思っていた綾瀬川。19世紀から水路として存在してるが、国土交通省の歴史から江戸初期は利根川と荒川の下流である現在の中川へと合流していた。
更に葛飾区小菅4丁目(JR綾瀬駅の南)に古隅田川緑道なる名称も見つけたため探ってみると、アリオ亀有の北側で中川から分岐し、常磐線沿いに蛇行しながら西へ、小菅3丁目で南下して現在の隅田川となる。
【川の十字交差の謎】
衛星写真を見ても元の綾瀬川がどう流れていたか解りやすい痕跡が残ってる。川の十字路は不自然にて気になる。案の定、そうなったのは埼玉県八潮市大瀬~古新田の区間が直線状に人工的であり、元の中川は八潮南公園運動広場への蛇行していた。
更に先にも以前から取り残された川だと気になっていた水元公園を通って江戸川まで合流していたのか?水元公園の周囲は自然が作り出している蛇行にしか見えない。そこへ大場川という水路が接続している。
現在の江戸川の旧名は太日川で、江戸時代の江戸川とは文京区に江戸川橋とあるように神田川、日本橋川のこと。新・旧・古・元も含めて完全理解してないと同名で他所がでてきて紛らわしい。
【治水対策の疑問】
家康の命令で利根川が鬼怒川のほうへ向けられたわけだが、なぜ荒川が入間川を経て江戸の近くへ向けられたのかが謎だ。江戸を守る治水対策だったら江戸城の横を通る日本橋川を大がかりな切り通しまで作って御茶ノ水へ迂回させたのと辻褄が合わない。
江戸時代初期時点で水害から守るべき農作地が古利根川、元荒川流域に広がってたのか?そうならば埼玉県の古利根川、元荒川流域を通さないようにした理由も納得できる。
【江戸時代に進路を変えた手前で決壊】
以前から取り上げてきたように、江戸時代初期から対策しても昭和22年(1947)、カスリーン台風により埼玉県加須市で利根川が決壊し、低地である足立区・葛飾区・江戸川区は20日間の冠水が続いた。1947年の近代だと戦争疎開にて小松川村へ逃げてて終戦後に水害に見舞われたと子供の頃に曾祖父から聞いて知ってた。
今に同じ事が起きたら34兆円の被害だそうだ。前から要望してるが国土交通省だけではなく東京都の予算で埼玉県の荒川、中川、江戸川、利根川の堤防を強固とすることに大きな意味がある。
荒川放水路は完成しており東京都心部は守れたかもしれないが、新中川(放水路)が完成しても利根川が決壊したのだから守れない。以前にも推論をめぐらせたが1947年よりも荒川の堤防が高まってるため洪水になると水の流れ出る先がなく巨大水たまりとなってしまう。
現在の水害シミュレーションでも2週間以上、2メートル以上の冠水となっている。シミュレーションの上限が2週間までだから最近の豪雨の水量からすると1ヶ月も水が引かない可能性が高い。
【本当に危険な小さい川、太い川のない地域】
荒川は気にされてきたが、利根川、古利根川、元荒川が源流である中川が狭いし堤防が低すぎと疎かにされてきて危険。そして東京西部が弱いのは多摩川しか太い河川がないから。
そこは中京地域でも推察でき、岐阜県の岐阜市側(下流は三重県)は揖斐川、長良川、木曽川と太い川があるが、愛知県には上流に岐阜県の山を抱えながら多くの支流が合流しても太い川がない。よって今年も庄内川の水量が一杯になり、支流が流れ出せずに氾濫した。
過去に同じ理由で支流が堰き止められ二子玉川で越水して冠水したが、東京都世田谷区玉川1丁目(旧堤防ストリートビュー)は河川敷にも家が建ってるため同情できないこともあるが、即座に巨額の工事を開始して堤防を強化工事を開始しても、予算がない地区は手つかずのまま。
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| emisaki | 2026-10-25 Sun 20:59 | 生活::防犯・防災・防疫・犯罪など |
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